5 再び たばこ問題について

 

 「再びたばこ問題について」書こうと思うのには、二つの理由がある。

 その一つは、先日(2002年9月15日)ホテルニュ−キャスルで開かれた弘大医学部52年卒クラス会へ招待された時、卒業後25年たった諸君のスピ−チの中で「直亮先生のホ−ムペ−ジを見て、禁煙にふみきった」を聞いたとき、「何が動機づけであったのか」を知りたいと思ったことがある。

 その二は、新聞(9月17日東奥日報)に「WHO西太平洋地域委員会が京都で開催」ブルントラント事務総長談話として「日本では非常に喫煙率が高く、自動販売機で誰でもたばこを買える、日本政府はこの状況を変える必要がある」との小さな記事を読んだ時、なぜこんな大事な(と思われる)ことが、ほとんどの新聞にものらず、テレビにも報道されなかった理由について考えることがあったからである。

 この両者に共通する背景として、私が1966年(昭和41年)に在外研究から帰国したあと、「たばこ」に関して天下の大勢を講義しようと考えて勉強しはじめた時読んだ本「タバコの歴史:宇賀田為吉著、岩波新書、1973」に書かれていたことが頭に残っていることがある。

 「私が学校を出て、東大医学部の稲田内科にご厄介になっていた大正の末年頃のことである。もう腸チフスの熱もすっかり下がってしまって退院の日を待つばかりというところであった。ある日の回診の時、その若いタバコ好きな患者さんが、遠慮勝ちに私に質問をしたものである・・・先生タバコをのんでも・・・よろしいでしょうか?」

 大正末というと私の生まれた80年も前頃の話である。腸チフスなど時代を感じる問答ではるが。

「その時・・・そうですね。一日三本、いいでしょう・・・と常識から答えたのであるが・・・自分のいったことには、医学的な根拠などというものは全然無かったのである・・・」「その時、稲田先生からいただいたタバコの文献のリスト・・ドイツ語・フランス語・英語のいずれも医学雑誌・・・これが、タバコ、”のむ”タバコではない”読む”タバコと私とを固く結びつけた”そもそも”のはじまりで・・・」と書かれた先生の力作である本「タバコの歴史」のはしがきにあった次の言葉が忘れられないのである。

 「かつて、林語堂は、こんなことを書いている・・・」「今日の世界は、タバコをのむ人・のまない人の二つに分かれている。タバコのみがタバコをのまない人に何らかの迷惑を及ぼしていることは事実であるが、この、迷惑は肉体的なものである。ところが、これに対して、タバコをのまない人がタバコのみに与えている不快の種は精神的なものである。タバコをのむことが一つの道徳的な弱点であることは、私も喜んで認める。しかしその半面において、弱点のないような人間は一応警戒しなければならない。弱点のない人間は信用ができない。彼はいつも冷静謹厳で、過ち一つ犯すことができないのである・・・」と。

 タバコをのまない人がのむ人に精神的に迷惑をおよぼしているとはどういうことであろうか。世の禁煙運動への警告ともとれると考えた。

 またタバコをのんでいる人その人へやめるように手をさしのべることの難しさを思ったのである。勿論疫学者とし現代医学で「タバコ喫煙」に問題があると考える立場ではあるが。

 タバコをのむのまないはその人がきめることであり、その人の判断である。判断とは「脳」の「精神医学」「心理学」の領域の問題である。しかしその「精神医学」「心理学」はまだ未熟であるとの私の認識から「再びタバコ問題について」書いておきたいと考えたのである。前置きがいささか長くなったが。

 

 「何がたばこ喫煙をやめる動機づけであったのか」

 馬を水際までつれてゆくことはできても、水をのますことはできないとよくいわれる。

 私のホ−ムペ−ジの何が禁煙をする動機づけであったのであろうか。その点について本人の言葉はなかったからわからない。

 先日「私がたばこをやめた日」について書いたことはある。

 自分自身はどうであったのであろうか。よくは説明はできない。こじつければ「以前COの研究をしていたから」「”あなた確率を信じますか”に書いたように疫学的証拠があるから・・・”前々からあたらないとわかっている籤は買わない”の逆・・・言い直せば私は臆病である・・・意思が強いからではない」「衛生学者としての自覚」など挙げられるが。

  衛生学を担当するようになって、学生と「今週の健康の話題」を積極的にとりあげていたので、新聞各紙に目を通して、キリヌキをしていたことが思い出される。

 私の「たばこと健康」の新聞のキリヌキには、「もくひろい」をやって英米の比較をやったといわれたと記憶があるウインダ−博士の話、彼の友人にキム・ノバックさんがいたといった話題、昭和35年ニュ−ヨ−クからの平山雄(たけし)さんの「紙巻きタバコと肺ガン」の便り、東北大の瀬木三雄先生のWHOなどの最新情報としての「肺ガン研究の動向」もあったから情報としては頭に入っていた。だが自分の禁煙の行動にはなっていなかった。

 在外研究の前であったが、1961年英国内科医師会は「Smoking and Health」として追跡的疫学調査の結果を報告・出版、朝日ジャ−ナル(1962.6.24.)は「紙巻タバコは肺ガンを招く」と紹介記事をのせた。当時「報道解説評論」として先端をいっていた雑誌を購入している。次いでアメリカでも公衆衛生局が委員会をもち報告書をまとめたが、「喫煙に対する史上最大の告発」とサンデ−毎日(1964.2.2.)は伝えている。それらは承知していた。

ミネソタ大学へ滞在していたとき、その委員会のメンバ−の一人の疫学者シュ−マン博士の講義をミネソタ大学で聴講したことがあった。先生は委員会の発表の当日以後禁煙にしたといっていた。またたばこ広告の禁止の可否が論ぜられていた時代でもあった。そんな時代が私の欧米滞在の期間とだぶったことは、「たばこと健康」に関心をもたないわけにはいかなかったと思う。

 帰国後の話であるが、衛生学の講義の中で、「疫学」を理解させるのは「タバコ」の問題はその演習問題として格好な例であった。

医学・健康科学の歴史の上からも、「病は世につれ 世は病気につれ」の例の一つでもある。

 「たばこ即肺癌」といった短絡的なことではなく、すべての「癌」に関係があり、「心臓病」へも関係し、絶対数からいえば大きい問題であると講義した。

 脳卒中・高血圧の疫学的研究の中で、タバコをライフスタイルの一つに入れて調査はしたが、食生活の食塩とは違ってタバコには有意な関係は出てこなかったが。

 4,50年前欧米の学校保健関係の本にたばこ関係の論文が多く掲載されているのは何故かと専門外のことながら疑問に思っていたが、在外研究のあとは納得された。

 1975年(昭和50年)学校保健研究の巻頭言を書くようにいわれ、はじめて「たばこ」にふれて「知識と行動 教師は生徒の前でたばこをすうな」を書いた。

 COとの関係で「マラソンとオ−トバイの前走」を1976年に書いた。専門家としてはっきりと危険であるとの医学的事実上の意見であり、もっと新鮮な空気の中で走ってもらいたい気持からの投書であるが、 その状況は今も変わっていない。世の中はうごかないのは何故かと思う。「無公害車」の製造会社にとってはまたとないビジネス・チャンスではないかと思うのだが。

 1980年には弘前市医師会の健康教室で「たばこに関するエピソ−ド」を講演している。市民へむけての健康教室のはしりであったその時に”エピソ−ド”を喋っている。その頃であったか、退職教職員の会で「成人病予防」の講演をたのまれたとき、会場がたばこの煙で立ちこめていたので、私の話を聞くより、いっそこの機会に禁煙したら!と話をした記憶がある。県の審議会によばれたときも「たばこ ぷかぷか ガン予防」であった。

 1985年厚生省発行の「厚生」に「成人病の文化論的考察」を書く機会があったとき、自分の専門領域ではなかったが、最後のところに「かってタバコが万病薬として登場して以来500年、現在最大の悪として考えなくてはならぬ時代になったのではないだろうか」と書いた。

 1987年になって日航が禁煙席を50%にして場所を前の方にしてようやく国際的になった時「禁煙車より喫煙車設けたら」「喫煙車の提唱」を書いた。

 石原裕次郎さんが亡くなって、棺の中に彼の好きだったタバコをいれてあげた話を読んで涙がでたが、「たばことがん 若い人には注意を」「愛煙家の方へ」を書いている。

 停年後書いた「解説現代健康句」の中には、私の落選作「赤ちゃんもおなかの中で吸っている」、ホワイト先生の「太りすぎるな タバコを吸うな 歩け歩けただ歩け」、青森県で始めた「いきいき健康県民運動」の中で「たばこは止める工夫を」などを書いた。

 そして2年前Y氏の論説がきっかけで「厚生省はカルト集団か」を書いたが、「たばこ問題」が中心の感想文であった。

 以上が私のHPでみられるものだが、そのどれが、彼の禁煙の動機になったのであろうか。

 

 たばこが医学的に健康に有害であるという証拠や研究は数多く報告され、アメリカでの裁判の結果が報道される世の中ではあるが、そのようなことはたばこをのんでいる人にとっては精神的な圧迫以外のなにものでもないのではないか。

 たばこを吸っている人が止めようと思っている人はかなり多いという報告はされるような時代にはなったが、止めようとは思ったこともない「愛煙家」と云われる人もかなりいるのが現実である。

 食塩摂取が問題になったとき「・・・わたしの自由と幸福をうばわないでくれ・・・」と学会で喋ったピッカリング大先生の言葉や「香りとamenity」との関係では世界のトップをはしっていた今は亡きドクタ−フライデ−(星島啓一郎先生)の顔を思い出す。

 そんな時に「喫煙をやめる動機は何か」を検討することも無意味ではないと思う。

 たばこに関する有名人の随筆として、日本専売公社がスポンサ−の「たばこと私」というコラムの連載があった記憶があるが、「あなたは何の動機でやめましたか」の記事があっても良い時代になったのではないか。それが止めるヒントになればと思う。

 身近の例でみれば、「学生からいわれたから」は愛煙家の親の膝の上で育てられた東野修治先生、娘から”やにくさい”と云われたからは品川信良先生、三沢出身の貴ノ浪が優勝するまでの願掛けと三沢市長の鈴木重令さん、ワ−ストワンと禁煙団体からいわれていた前総理橋本龍太郎さんが心臓病で命びろいして以後止めたとか。

 たばこの疫学で有名になり、また「平山疫学」に反論も多くあった平山雄さんは今は亡くなったが、「彼はもともとタバコはのんでいなかった」とは満州医大で同級の山口富雄先生の言葉である。先生は愛煙家である。「たばこをのまない人の意見は・・・」と云われるのを聞くとこの先生にはいつも精神的な迷惑をかけているのではと思ったりする。

 「あなたの子供たちはどうなの」といつもいわれる。

 三人三様である。自分のこどもが生まれても、止めるきっかけにはならなかったようである。「排煙族」「ホタル族」で気をつかっているが、なかなか止められないようである。もう一人は徹底的に禁煙である。その動機は不明だが、他人に迷惑をかけている口かとも思うことがある。それでも「歯の衛生」には娘が生まれて以来極めて熱心である。自分の体験か、この親が何もしてやらなかったためか、食後のブラッシングを欠かさない。「おじいちゃんごめんなさい」とはなんのことかと思ったら、テ−ブル・ソルトを一寸かけるときにつぶやいた言葉だったのには食塩文化論をいった当の本人が驚いたほど教育熱心である。どんな子供に育つやら。「たばこ」や「歯」については彼女は大きくなってから親に感謝することだろう。

 子供の時からの教育とよくいわれるし、文部科学省もこしをあげてきたようである。

 だが「教育」とは何か。「education」とはと考えることがある。「洗脳」とか「マインド・コントロ−ル」といった言葉が頭に浮かぶ。最近話題の言葉でいえば、「拉致」、それも”精神的な拉致”である。

 一日80本のヘビ−スモカ−であった平沢敬義深浦町長は診療所の先生から禁煙指導を受けたそうだが、行政的に「屋外たばこ自販機撤去条例」を可決成立させ、この津軽に「脱たばこ」の一石を投げかけたが、あれから1年経過した。わが国ではじめてのことであったので、賛成反対論で紙面をにぎあわし、社説・論説にも登場した。WHOからも特別表彰の話があったとき、「名誉なことだが、撤去できるのはこれかだ」と辞退された話も記憶に新しい出来事である。

 

  1828年たばこに含まれる有害物質が分離され「ニコチン」と命名されるが、「たばこ」と「ニコチン」は、「お酒」と「アルコ−ル」と同様同じ意味に用いられることが多い。「たばこ」には数百の物質が含まれるから事情は複雑きわまりないと考えるのだが。

 その中でいわゆる「発癌物質」も同定されているという。

 発癌が疑われる農薬を販売したとか、使用したとか、それが理由と思われる自殺のニュ−スがながれると、清水の次郎長ではないが、「このわたしを忘れていませんか」といいたくなる。

 ニオイにも人によって好き嫌いがある。嫌煙権などというあまり個人的にはお好みでない言葉もある。

たばこの嫌いな人が覇権をにぎるとシベリヤ流刑もあったという。ヨ−ロッパに広がったたばこ流行についての反対賛成の歴史は興味深い物語である。イギリスでは専売権確立いらい国家収入が増加し反対論はかげをひそめ、乗馬とカ−ドとならんでステ−タスシンボルにまでなったが、そのイギリスの医師会から報告がでて、「たばこと健康」の問題がクロ−ズアップされたことになったことは歴史的に皮肉でもある。

   たばこ値上げ論もある。

「たばこ値上げで喫煙率半分に」(富永祐民、朝日2000.5.13.)は疫学者としての提案の一つで「価格が上がればこれを機会に止める人が増えるという計算である」と理解したが、内閣で税収を考える人の値上げ論は別のところにあるようだ。

 「”敷島”の”大和”心を人問はば”朝日”に匂う”山桜”ばな」は「国の台所を支えた紫煙」とあり、たばこを専売にして戦費をまかなったといわれるお国がらなのか。

 ちょっと前の1983年(昭和58年)時の厚生大臣が「選挙中は一日80本吸った。たばこは健康の元だよ。たばこを吸うと長生きするよ」と票田サ−ビスをするようなお国がらである。

 わが国では「未成年者喫煙禁止法」ができて100余年たった。そのおかげで早くたばこに触れなかった人達は助かったと統計上うかがわれるが、最近の、また将来の状況はどうなるのであろうか。

 1970年に「喫煙の制限」の報告書を出したWHO(世界保健機関)は、喫煙問題については極めて熱心で、 1987年には「世界禁煙デ−(World No-Smoking Day)とするこを決議し、89年には(World No-Tabacco Day)とし、エイズとならんでたばこのない世界をめざしている。

オリンピックのIOCもサッカ−のW杯のFIFAもたばこ会社のスポンサ−を排除した。

 「肥満は病気である」と同じく「たばこ中毒の病気である」という認識が必要ではないかが今日の纏めである。世の愛煙家にはきびしい表現ではあるが。

 でもWHOの標語の直訳の「たばこは人をころす だまされるな」よりおだやかであろう。

禁煙クリニクから子供のたばこ禁煙を手助けする診療所、たばこを止めなければ手術を引き受けない病院もでてきた。

 「たばこ」の中で「ニコチン」の研究がすすむと、「ニコチン依存性」からさらには「ニコチン・パッチ」「ニコチン・ガム」になり、「治療薬」として登場し、一般に市販されるようになって 事情が変わってきた。

 「謹賀禁煙」の一面広告また「タバコをやめたい人の医薬品」の座談会の一面広告のスポンサ−(ニコレット:PHARMACIA)がでてきた。

  日本心臓財団での川柳募集に際しての私の落選作は「たばこ中毒 なおせるものだとは 知りませんでした」である。(20021015)

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