2 「酒は百薬の長」か

 

 「酒は百薬の長」に「か」の疑問符がついているのが本文の主旨である。

 「酒は百薬の長」とは中国王朝の一つ前漢の歴史書「漢書」の「食貨志第四下」に出てくる言葉である。

 天下をとった王莽(おうもう)の時代、「塩・酒・鐵」の取り扱いの中で「官に酒をつくらせる」という考え方をとりあげるとき、「酒は百薬の長」という言葉が出てくる。

 でも何故そうなのかは書かれていないし、分からない。現代風に解説すれば、EBMでない。証拠(evidence}に基づいた(based)医学(medicine)ではないということである。 今から2000年も前に書かれた言葉がよくも今日まで伝えられたものと感心する。

 もっともこの言葉が日本に伝えられたあと、吉田兼好が徒然草の中で「酒は百薬の長といへども、満(よろず)の病は酒よりこそ起(おこ)れ」といっている。自らの経験か、見聞きしたことか。

 「酒」という字は「壺」を示す象形文字の「酉」に「さんずい」がついた文字である。紀元前2000年頃中国で酒が造られたとき、あまりの美味さにこれは将来国を滅ぼすもとになると考えた王がいたとか。エジプトのピラミッドの中に酒壺とみなされるものがあってブドウの種がついていたという。「wine」(ワイン)はヨ−ロッパに古くからあった果物の「ぶどう」に由来するといわれ、「beer」(ビ−ル)の語源はラテン語の「飲む」という動詞に由来するとあった。

 人と「酒」との関わりは人の歴史と共にある。

 身近にある果物や穀物や入れ物の中の食物に「かび」がはえ「くさる」現象は昔から経験されたことであろう。液に「ぷつぷつ泡がたつ現象」は昔から見ていたことであろう。「沸き立つ」というラテン語から「発酵」(fermentation)がでたという。食物をなんとか「くさらない」ように先人たちは工夫したことであろう。

 世界中でほとんどの国の人々と「酒」は関わりがあり、「酒」の作り方は色々あり、「言葉」は限りなく複雑である。そして「神話」に「宗教」に「文学」に「芸術」に登場するが、その中に相矛盾する言葉が語り伝えられている。「酒は百薬の長」もあれば「酒はあらゆる物の中で最も体に悪い物をいう百毒の長」という言葉もある。

 古代ギリシャ時代の「練金術者」たちによって「科学」が展開される中で、古くからあったあった「発酵」から「蒸留」へと、現在いうところの「化学」の基礎がつくられてゆく。酒は大きくわけて「醸造酒」と「蒸留酒」に分けられるのにも歴史がある。

 「アルコ−ル」という言葉が登場する。もっとも「アルコ−ル」とはもとをただせば女性がまぶたの縁などを黒ずませるために用いる「アンチモニ−の粉末」のことであるが、16世紀以後「何であれ昇華作用によって得られる最も純粋なエッセンス」と意味が拡大したといわれる。「英spilit(スピリット)」に霊魂とか強い酒とかいう意味があり、「酒精」とは「アルコ−ル」とある。現代では「酒」と「アルコ−ル」がほとんど同じ意味に用いられている。

 そんな時代に「酒による人間の変化」が観察されている。

 1)健康になる 2)快活になる 3)開放的になる 4)眠気がおこる 5)わめいて他人をからかう 6)自己主張が強くなる 7)ケンカをする 8)怒る 9)狂乱 そして最後は「死」とあった。ノ−トに書き留めただけで出所をたしかめる時間はないが「酒と健康」のはじまりである。そして今も昔も変わらないものだと思う。

 ぶどう酒の腐敗をどうしたら防げるかの研究がルイ・パスツ−ルによって「腐敗と発酵とは微細有機体すなわち微生物によるもので、その微生物の起源は自然発生ではなく同じ微生物である」との実証がされることになった。この観察によって酒づくりでそれ以前中国で発明され日本にも伝わり300年も前から行われていたといわれる醸造した酒の腐敗を防ぐ「火入れ」という技術に理論的根拠が与えられるのであるが、せいぜい100年一寸前の話である。

 「酒と健康」の研究の中心は主として「アルコ−ルと健康」との関係で追究されている。

 果物に含まれる糖、穀物の澱粉が糖化し、糖が酵母による「アルコ−ル発酵」によってエタノ−ル(英ethanol)と炭酸ガスを生成する。

 「アルコ−ル」(オランダ・英alcohol)とは化学では「炭化水素(炭素と水素からなる化合物)の水素原子を水酸基(OH)で置換した化合物の総称」と定義され極めて単純なものである。一つ置換した(メチルアルコ−ル)、二つ置換した(エチルアルコ−ル)(別名エタノ−ル)、さらには三つ以上置換した沢山のアルコ−ルがあることが分かってきた。

 体に入ったアルコ−ルはどうなるのであろうか。

 「酒に酔う」「酩酊」がある。猿も酔い象も酔う。人が酔ってその様子が「神がかり」とみられたこともある。

「医化学」「生化学」の研究の中でで、「酒に酔うのはエチルアルコ−ルのせい」となる。戦後研究室で研究用に配給されたエチルアルコ−ルにグリセリンを入れて造った”三鷹ウイスキ−”も記憶にある出来事である。「カストリ」「メチル中毒」も記憶に新しい。一つ構造式の違うメチルアルコ−ルは5-10gの少量で失明し死を招く。三つ以上は「フ−ゼル油」とか「高級アルコ−ル」といわれているがその生理作用はわからない。

 酒を飲むとその中のアルコ−ルは胃と腸で吸収され血中に入る。酒の原料は色々であり、水も色々である。酒中のアルコ−ル以外の他の諸成分の影響についてはまだほとんど不明であり、学問はまだ未熟である。「赤ワイン」で名前がでてきた「ポリフェノ−ル」も名前とおり「ポリ」である。「酒」と「アルコ−ル」は別物であるが、ほとんど同じ意味で用いられているのが現状である。

 吸収速度は色々である。だから「つまみ」を何にするかがよく云われる。

 血中アルコ−ル濃度と酩酊度と相関しているというデ−タがある。だから現在血中アルコ−ル濃度、また息の中にでるアルコ−ル濃度が「法医学」「道路交通法」などに登場している。酒を飲むと人間にどんな変化があるかは医学生の自由研究の中で今も人気のあるテ−マである。

 吸収し、血中を循環したアルコ−ルは肝臓に入る。そこでアルコ−ルは解毒されるという。肝臓機能の医学的指標としての「血清GOT・GPT」が問題になり、とくに「γ-GTP」(ガンマ・グルタミントランスペプチタ−ゼ)が「アルコ−ル性肝障害」の目安になる。「休肝日」をつくれとかいわれ、「肝臓病」は「ウイルス」によることもあるのに「酒」のせいにされることが多いのが現状である。

 体内で「アルコ−ル」は「アセトアルデヒドと酢酸」まで「酵素」によって分解され、最終的には「水」と「炭酸ガス」に分解されるという。他の代謝産物の人間にとって不要なものは「尿」「便」に出る。「尿」に出てくるときには腎機能の理解が必要である。「悪酔い」「二日酔い」は「アセトアルデヒド」のせいにされている。

 体内代謝の過程に「酵素」が関係している。「酵素」とは「体内で生成され、生体の営む化学反応を触媒するたんぱく質を中心とした高分子化合物」である。

 「アルコ−ル脱水酵素」(アルコ−ル・デヒドロゲナ−ゼ、略してADH)で80-90%分解され、残りはエタノ−ル酸化系酵素(MEOS)によりアセトアルデヒドまで分解される。アセトアルデヒドはさらに酢酸まで分解され、酢酸は炭酸ガスと水になる。

  一言で「酵素」と表現されるが、まだ「酵素学」は未熟と思われるのが私の今の印象である。現代酵素学の勉強が足りないのかも知れない。人によって分解酵素があるとかないとか、区別できるという。「人種」の差とか、人によって「酒に強い人とか弱い人」がいるとか、「すぐ顔が赤くなる人ならない人」と日常経験することである。「ADH」にも型があるという。II型が問題だという。それを簡単にみわける方法があるという。エチルアルコ−ル(市販の70%の消毒用アルコ−ルでよい)をガ−ゼにつけて人の皮膚でみる「パッチテスト」が云われるようになった。7分経ってはがし、10分後に判定する。貼った部分が赤くなっていれば「アルコ−ルに弱い体質」変化がなければ「強い体質」という目安になるという。生まれつき「飲める人」「飲めない人」また鍛えれば「飲めるようになる人」と区別できるようになったという。戦後海軍の久里浜の病院にできた「研究施設」の研究といわれる。また今はやりの「遺伝子」によるという研究も学会で発表されるようになった。となると人様々ということになる。

 女だてらに恥ずかしいとお茶わんで酒(おちゃけ)をのんでいた祖母をもつ私は酒に強い方かもしれない。だが戦後の「悪酔い」の経験もある。現役時代には「午前様」の経験もあるが、今は「鍛冶町の回診」はやらなくなった。

 「アルコ−ル」にも代謝の過程で「エネルギ−」ができる。熱量計では1gについて7.1カロリ−のエネルギ−が出る。どれだけ利用されるかは不明な点もあるが、「肥満」にも関係があり、酒だけで一日のエネルギ−を満たす人もある。毎日酒びたりの画家、手術で胃を取った某教授が朝から酒を飲み酒でエネルギ−を取っていたことを思い出す。

 炭酸ガスは呼気から、水は汗、尿,便から体外にでると理解されている。「ビ−ルをのんで尿がでる話」「ゴルフのあとのうまいビ−ル」「酔い覚め水」など酒と水分代謝の関係を勉強をしなければ理解できない。

 酒飲みの尿や呼気に特有なニオイがあるのはその分解産物のせいであろう。

 この間どんな問題が人間に起こるか。酒は様々であり人間の変化は様々である。

 「酒酔い」の現象は「脳への影響」と理解され、「高等な脳機能(微妙な感覚・随意運動・認識・記憶・思考・判断の能力)」としての「酩酊現象」と理解されるが、脳の研究はまだ未熟であるとの印象をもつ。

 「脳溢血の衛生学的」を始められた近藤正二先生は「東北だけでなく高知の人もよく飲みますよ」と。そして「酒より米の大食が関係している」といわれた。

 「酒への依存性」は精神医学の領域で問題になる。弘前の津川武一先生らが「酒の害から家庭を守る会」を始めたことも記憶にある。亡くなった額田粲先生らが「アルコ−ル医学会」を始められのが昭和41年である。

  ごく最近の出来事であるが、「国際的な循環器疾患に関する疫学調査」のプロトコ−ルを創った会議のとき、生活習慣の中で「飲酒」の習慣をどのように把握したらよいか議論ししたことがあったが、なかなかまとまらなかった経験があった。

 「おほ」「だく」「にごり」「すまし」と村々では「濁酒」のことをいっていた。「血圧計」をリヤカ−につんで村々をあるいた昭和30年前半の時代、「ご禁制の濁酒の摘発」と間違われたこともあった。次第になじみになると「おほ」や「だく」が出てきた思い出がある。酒と税との関係は今も続いている。「免税店」へ走って「ナポレオン」を求めたことを思い出す。外国では日本の「だるま」が高級にランクされていた。「税」で金が集まるとすれば、「酒」の悪口は言えないのかとも思う。「たばこ」のように。

 弘前へきて「お酒が強くなったでしょう」と云われたことがあった。「お酒毎日1本とは大きい方の一升瓶の1本」だった。寒い国の人は毎日お酒を飲む、とくに男の人は、という常識があった。

 われわれが疫学調査を計画した40年前に、「飲酒」の習慣については「酒を飲まぬ」「時々飲む」「毎日飲む」と区分して検討し、「ライフスタイル」との関連の論文を書いた。最近は上島弘嗣君らの全国の疫学的研究の成果が紙上にでるようになった。

 「杯のやりとり」に苦労した思い出もある。「おれの杯(さかずき)が受けられないというのか」から「お下がりを頂戴します」まで。梅毒などの感染症の感染が考えられた時もあった。そして今は学生の「一気飲み」のコンパまで。四月新学期が始まると弘前では昔「観桜会」今「お花見」である。そして「急性アルコ−ル中毒」予防の告示がでる時代である。

 「酒と健康」を書いた仁平將君が「古人の言によれば(酒は百薬の長なり)と。また(酒は氣違い水なり)と。そしてまた現代医学によれば(どちらも真なり)と。」とまとめたが、「酒と健康」の専門家でない「修業の足りない」者が頭の体操としてまとめれば以上の通りである。(20020919)

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