日本医事新報炉辺閑話・緑蔭随筆掲載の分

(ジュニヤ−版・質疑の回答など、学会記・論文を除いて)

(昭和39年−平成16年)

( p:衛生の旅掲載) 

39 「あたった」話          日本医事新報 2071号   p1 06

 たばこ屋の前に立って、ほしいたばこをゆびさして、「ケ」と一言いえば、たばこが手に入る、いたって便利なここ東北地方に、「あたった」といえば、そのものズバリ話が通じる病気のあることは、あまり全国には知られていない。

39 予言者              日本医事新報 2100号     p1 07  

 本州の北のはずれ、下北半島のマサカリの刃にあたるところに大間という町がある。最近函館と一時間半で結ぶフェ−リ−ボ−トができたことでニュ−スになった。 

40 火災警報             日本医事新報 2123号   p1 08

 火災警報について、一寸考えてみた。 近くの消防本部にきいてみたところ、湿度が40%以下、また最大風速が7メ−トルをこえるみこみのとき火災警報が出されるとのことであった。

40 熱意               日本医事新報 2153号   p1 09

 もう日数もたったことなので、名前をあげても失礼にはならないと思うし、又ゆるして戴けると思う。

42 ”オ−テル”           日本医事新報 2278号   p1 10

 ”オ−テル”をつくるとしたら人が大勢ゆききする空港とか、タ−ミナルとかセントラルの停車場のようなところがよい。

43 予算の獲得            日本医事新報 2281号   p1 11

 一国の総理大臣が癌で亡くなったから、癌の予算が大幅にふえたという話がある。 今度の総理は循環器系の病気で入院したから、こちらの予算がふえるのではないかといったことが、まことしやかに伝えら

43 観光地の条件           日本医事新報 2310号   p1 12

 観光地についての必須の条件は、世界でただ一つのものがそこにある、ということである。 どこにもある、ここにもあるというものであってはいけない。そこにしかないものがあり、できれば、何回みてもよい、といったものでありたい。

44 中血圧              日本医事新報 2333号   p1 13

 「高血圧があがると、脳卒中をおこすから危険です」とテレビで解説がありました。 翌日 「低血圧も悪いです」と別の先生の話がありました。 それをみていた中学2年の子供がいいました。

44 乳児ダイヤモンド論        日本医事新報 2362号  p1 14

 おとなりの岩手県の努力に先をこされたかっこうになって、日本一乳児死亡率が高いということになった青森県ではあるが、、医師会が提唱して始められた「あかちゃん会議」も第4回を迎え、今年は県内の僻

45 A LETTER TO ”GUINEA PIGS” 日本医事新報 2385号   p1 15

 ”人をモルモットあつかいにして”とは、最近よく聞かれる言葉である。医学に対する不信のあらわれであり、ジャ−ナリズムはそれをあおるかのように書きたてる。 一体、患者と医師との信頼関係はどこにいってしまうのであろうか。

48 魂をうる学生           日本医事新報  2571号    p1 16

 最近のできごとで、いわば恥をさらすことになるのだが、一般的な問題としてとらえて戴きたい。

48 衛生学私は何故現在の科目を選んだのか 日本医事新報(ジュニア−) 125号 p1 59

 物心ついたとき、慶應義塾の幼稚舎へ入っていた。普通部へ進みさらに大学への道をあゆむときが、第一の選択の時期であった。すなわち、”経済”へ進むか、”医学”か

50 高血圧と食塩との関係       日本医事新報  2649号   p3 21

 「答」 原著の初版が出たのは、1970年である。丁度ロンドンでの第6回世界心臓学会議によばれて行った時に発売されたので、購入して読んだことを思い出す。

50 尻にしかれたた相良治安      日本医事新報  2646号   p1 17

 相良知安は、日本における医学教育・医療制度を考える上で、忘れることのできない人物であると思う。 その人の記念碑が、今や看学の寄宿舎の尻にしかれたように立っているというのがこの小文のテ−マである。

50 血圧と米飯等の関係        日本医事新報 2671号    p3 22

 「問」 血圧と米飯ならびに食塩摂取量との関係について(東京K生) 「答」 この一見簡単な質問に答えることは容易なことではない。

50 疫学的アプロ−チ    日本医事新報(ジュニア−) 148号 p1 67

 もしもいつか、あなたがイギリスのロンドンに行くことがあったら、John Snowの”Broad Street Pump”のあとを、見に行くことをすすめたい。

51 マラソンとオ−トバイの前走    日本医事新報  2728号  p1 18

 マラソン流行の世の中である。昔学生時代、日吉から信濃町までマラソンのクラス対抗をやったことを思い出す。

54 ウイリアム・テルのリンゴ     日本医事新報  2855号    p1 19

 数千年もの間、人々とのかかわりをもってきた食塩のとりすぎが、この地球上に住む人々の高血圧と関係があるのではないかとの説が、極めて有力になってきた今日この

54 エコ−              日本医事新報  2883号    p1 20

 英語が達者のある友人に、「最近外国でこういう仕事が発表されている」といったら、即座に彼は「あれは先生の−仕事の−エコ−ですよ」と答えた。なるほで”エコ−”という言葉をそのように使うのか、と感心したのだが、自分の仕事を認めてくれた彼の言葉は嬉しかった。

54 はやけ              日本医事新報  2906号   p1 21

 ”はやけ”といのは、弓を射るときにつく癖の一つである。

54 ”コホ−ト分析”によせて   日本医事新報(ジュニア−) 184号 p1 68

 ”コホ−ト分析”という言葉が、医師国家試験の問題の中に登場するようになった。 昭和48年の4月に初めて原語の”cohort”分析がでた。52年4月には”コ−ホ−ト”分析と出ていたが、53年4月と10月には”cohort study”として出ていた。

55 北海道で運河を掘る        日本医事新報 2936号   p2 05

 昭和16年頃、北海道の太平洋側の苫小牧と日本海側の石狩とを結ぶ運河の計画があった。戦時色豊かな時である。札幌から一寸南へ下がった島松の近くの小屋に寝泊まりして、将来は大運河の一部になると聞いていた排水溝の土掘りをしたのである。

56 キャネル夫人のこと        日本医事新報  2959号   p2 26

 フレミンガム・スタデイのキャネル夫妻が、秋田から弘前にやってきた。 「東北地方を訪問して」という座談会の記事をごらんになった方も多いと思うが、脳卒中が多くみられる東北地方の状況を肌で知ってもらおうと、籏野脩一先生が計画された旅行の一部だった。

56 息子からの手紙          日本医事新報  2988号  p2 29

 ザルツブルグで音楽修行中の息子から手紙がきた。 いつもなら、宛名は私であっても、内容は家内とのやりとりなのに、めずらしく私宛のものであった。

56 ”成人病”の由来         日本医事新報  3007号   p2 43

  近頃では成人病というと、何となくわかったような気になるのだが、一体いつ頃から”成人病”という言葉が使われるようになったのか。

57 ヨ−ロッパ塩の旅         日本医事新報  3011号   p2 30

  昨56年の夏、ヨ−ロッパへ”塩の旅”をすることができた。 音楽祭でにぎわうザルツブルグは”塩の城”であり、ザルツアッハ河に沿って、昔塩の取引にさかえたところという、

57 オクサン マイニチ        日本医事新報  3042号   p2 34

 ”百聞は一見にしかず”とは、モスクワでの1週間の結論である。 6月20日から26日まで開かれた第9回世界心臓学会から帰って、緑陰随筆の〆切を知って、急いで筆をとった。

58 東京温泉物語           日本医事新報  3062号   p2 39

 女の三助が肩を流してくれる相だ、といううわさにつられて、終戦後東京駅の構内に誕生した東京温泉にかよいはじめて、30年近くたってしまった。

58 草間良男先生のこと        日本医事新報  3071号    p2 08

 全く偶然のことから、草間良男先生(慶應義塾大学名誉教授)の生前の肉声をテ−プから聞くことができた。内容は未発表のものとのことであった。

58 味気のない話           日本医事新報  3093号    p2 32

 「味気のない」という言葉が、「とてもすばらしい」という意味にとられるような日がくるであろうか、とくに塩味について。

59 ストリップ第二話         日本医事新報  3115号    p2 33

 以前に”ストリップ”という題で小文を書いたとき、題が題だけによく読まれたようだ。 ストリップといっても、何も裸になるという意味だけではない。

60 人々と生活と           日本医事新報 3168号    p2 47

  第49回日本民族衛生学会総会が弘前で開催されることになった記念に、「人々と生活と」と題した写真集をつくって参加された方々にお土産にさしあげた。

60 ヒポクラテスに聞いてくれ     日本医事新報  3196号    p3 40

  衛生学の講義はコス島への旅から始まる。 1966年7月31日私は篠田秀男先輩についで2番目に日本人医師としてギリシャのコス島を訪れたことになっているのだが(ヒポクラテスの会の記録による)、

61 あっと驚いた話          日本医事新報  3219号    p3 01

  弘前から青森への汽車の中で、「弘前大学を停年で退官するときに書く随筆の題は、もう決まっている」と、友人の教授に話したことがあった。それが今回のテ−マである。

61 ド−ル先生その後         日本医事新報  3248号   p3 42

  勝木司馬之助先生によると、私のことを外国では「日本の塩の先生」といっているそうだ。 そういわれるきっかけは、アメリカの塩の先生のド−ル先生との出会いがあったか

62 停年退官のあと          日本医事新報  3272号    p3 47

 停年(弘前大学規定による65歳)になると、そのあと何をするのかが、関心のまとになるらしい。

62 食塩をめぐる人々         日本医事新報  3300号    p4 21

 西野忠次郎先生らの「脳溢血」の中で衛生学的研究をやられた近藤正二先生は、日本中を足で歩いて「長寿」の要因として食生活の重要性を述べ、お米の大食が食塩の過剰摂取をもたらすことを指摘されたことでも知られている。

63 ベネフィット・ファクタ−     日本医事新報  3329号    p4 07

  リスク・ファクタ−という言葉がよく用いられるようになった。

63 食塩0の朝食           日本医事新報  3353号    p4 23

  自分の学問に忠実に生活するために、できるだけ低塩を心がけているのだが、食塩0の朝食を紹介しよう。

64 オイゲン・ヨ−フムの遺産    日本医事新報 3374号     p5 37

 「オイゲン・ヨ―フムの遺産」とは、指揮者オイゲン・ヨ―フムの死去に際してNHKがTVで放映した番組の題名だが、日本での公演の録画放送があった。

H1 Civilization is saltization      日本医事新報  3405号    p5 38

  「文明化とは食塩化ということである」とTVのインタ−ビュ−に応えてしゃべったことがあった。

H2 クラス会記念事業          日本医事新報  3428号    p5 39

  卒業後四十年もすぎるとクラス会を毎年でもやろうではないかとなり、同級生がいる台北とかアメリカでもやることにもなった。また二十年、三十年、四十年と家族入りのアルバムをつくったりした。

H2 翻訳の問題             日本医事新報  3457号     p5 40

  日本の首相の発言が相手国の人を著しく傷つけたことが問題になったことがあった。 「知識水準が低い」と言ったことであった。

H3 「インフォ−ムド」という言葉   日本医事新報  3480号     p5 41

 インフォ−ムド・コンセントが話題になる世の中である。この言葉の本当の意味は何であろうか。言葉にはそれぞれの言葉を生んだ人々の文化を抜きにしては本当のことはわからない。

H3 外胚葉芸術論           日本医事新報  3509号     p5 42

 年をとって変なことを言ったり書いたりすると「あいつはぼけた」と言われそうだが、本誌をかりて書き留めておきたい。

H4 SALVEO             日本医事新報  3532号     p6 04

  SALVEOとは去る十月神戸で開かれたWHOフォ−ラム'91で配られたWHO-CARDIAC STUDY(循環器疾患と栄養国際共同研究)のセンタ−から新しく発刊されることになった情報誌の題名である。

H4 評論家の功罪            日本医事新報  3561号     p6 11

 医学部教授の友人が「縦書きの方が横書き印刷の方より同じことを書いても原稿料が高いんですよ」と云っていた。

H5 「疫学者」の立場          日本医事新報  3584号     p6 12

 前回「評論家の功罪」で功も多いが罪もあるのではないかと書いたのだが、今日は評論家のように「疫学者」の立場を述べてみたい。

H5 朱塗のお椀とお盆  (日本医事新報 3604号)  不二会五十周年記念誌    p6  42

  卒業五十周年ということで義塾から招待状がきたので日吉で行われた慶應義塾大学の卒業式に行ってみた。

H5 健康句    (日本医事新報 3636号)  弘前市医師会報       p6 22

 この度「解説・現代健康句」を津軽書房から刊行した。 「健康句」というのは私の創作した言葉であるが、はしがきに次のように書いた。

H6 「新衛会」のこと           日本医事新報  3666号    p6 27

  「シンエイカイ」とはどんな団体なのか。 山中温泉のグランドホテルの玄関で「新衛会ご一同様ご到着」から話は始まった。

H7 戦後50年            日本医事新報  3689号    p6 44

 弘前大学医学部も青森医専から数えて50年を過ぎた。 青森で、初めて近藤正二先生が「衛生学」を講義されてから、50年が経った。

H7 夏もスパイク 冬もスパイク    日本医事新報  3718号    p7 13

 ゴルフをやるのにスパイクシュ−ズを履くようになってから30年以上になるが、白球を追って静かなコ−スをきれいな空気をすって厚い絨毯のような芝生をふみ歩き回れるとは、きわめて健康なまた贅沢なことだと思うことがある。

H8 先生              日本医事新報  3741号    p6 46

 「せんせい せんせい それはせんせい」と森昌子が唱ったのは乙女の「淡い初恋」であったのだろうけれど、色々のことを教わり心から素直に「先生」と言える方々や奥様方が相次いでお亡くなりになり、心寂しく感ずる今日この頃である

H8 窓を開けば            日本医事新報  3770号     p7 19

 「窓を開ければ 港が見えるよメリケン波止場の 灯が見える・・・」と淡谷のり子さんが歌ったのは昭和十二年だが、それから六十年たった今日この頃は「窓(ウインドウズ95)を開ければ アイコンが見えるよ」である。

H9 言葉・文字そして意味       日本医事新報  3793号     p7 18

 今青森で最大の話題といえば「三内丸山の遺跡」であると思う。

H9 疫学事始             日本医事新報  3822号    p7 02

 「疫学事始」は丁度1年前の平成8年7月、弘前での第37回社会医学研究会総会のときの演題名である。

H10私の夢              日本医事新報   3845号       p7 27

  わが「空想のご先祖様」のミケランジェロ(http://www.cityfujisawa.ne.jp/~maestro)は、道ばたの大理石の中にビ−ナスをみたという。そしてそれを彫刻で具体化した。

H10 ケツアツ             日本医事新報  3874号    p7 10

 昭和30年のはじめの頃、秋田県の人口約五千の農村、今は西目町になっている農村で、弘前大医学部の学生諸君と一緒に村の小学校の校長住宅などに寝泊まりして、中学生から老人までの全住民の血圧を測って歩いたことがあった。

H11 カンケイ              日本医事新報  3898号

   言葉、文字、そして意味にこだわって数年、今度の題もカタカナである。 「カンケイ」という言葉から何を連想するのであろうか。

H11 ゼツコん            日本医事新報  3927号

  カタカナ題名のつづきである。 「ゼッコン」という言葉から何を連想するだろう。多分何も出てこないだろう。私が創った言葉だから。 「絶筆」ならぬ「ゼッコン」という意味である。

H12 リンリ・リンリ           日本医事新報 3949号

 「リンリ・リンリといって鈴虫でもあるまいし」と「医の倫理」を真面目に論議している方をバカにしたような言葉がいわれたことがあった

H12  人体実験            日本医事新報 3979号

 「人体実験」とはあまり響きのよい言葉ではない。いつも医学あるいは医療を非難するときに多く用いられているようだ。

H13 シナリオ              日本医事新報 4002号

  シナリオとは英語でscenario、映画やテレビの各場面や、その順序、俳優のセリフ、動作などを記し、監督の演出の基礎となる台本・脚本・スクリプトとあった。

H13 チャパツ              日本医事新報 4031号

サッカ−のカズが試合の途中で交代を告げられ、「このおれか!?」と答えたときのテレビの映像が記憶にある。

H14 ビジネス              日本医事新報 4054号

介護保険が言われたら、「ビジネス・チャンスだ」言った人がいた。 医療に関係していることがビジネスだといわれると、どうもと思うのは自分だけだろうか。

H14  「青森りんご勲章」のこと     日本医事新報 4082号

「青森」というと「りんご」をイメ−ジする方が多いと思うが、その青森に「青森りんご勲章」というのがあって、私に平成14年2月18日授与したいと知事から書面が入った。

H14  私のツエは護身用        日本医事新報 4106号

人の一生をパントマイムで演ずる芸を昔見た記憶がある。 赤ちゃんのはいはいから始まって、「立てば歩めの親心」、少年から大人になり、さっそうと歩く姿、やがて腰が曲がり、杖をつき、最後は横たわるという演技であった。

H15  「一隅を照らす」のこと      日本医事新報 4134号

 「一隅を照らす」とは「これすなわち国の宝」といって、「社会の片隅でもよい、必要とされる人物となれ」「縁の下の力持ちになれ」という意味で、戦時中でも戦後にも国民的スロ−ガンとなって、かなりの方々が喋ったり書いたりしている。 

H16  「ダイ」と「記憶」         日本医事新報 4158号

「大リ−グ・大放送」と「ダイ・ダイ」と毎日声高に云われると、「イチロ−」「マツイ」と結びつく。アメリカで停電があると「大停電」であり、火事があると「大火災」である。

H16  「大義はおどる」         日本医事新報 4187号

「大義はおどる」は「会議は踊る」のパロデイ−である。

H16 さようなら             日本医事新報 4210号

 昭和25年に「学位授与」ということで記事に掲載して戴いて以来本誌には随分お世話になった。弘前大学へ移ってすぐ

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