「ダイ」と「記憶」

 

 「大リ−グ・大放送」と「ダイ・ダイ」と毎日声高に云われると、「イチロ−」「マツイ」と結びつく。アメリカで停電があると「大停電」であり、火事があると「大火災」である。

 私にとって「ダイ」は、生まれてあと初めての「記憶」にある9月1日の「関東大震災」で、その時亡くなった祖父の墓参りに父につれられて「青山」へ行ったことと結びつく。

 1月17日は「フランクリン・山口百恵そして教授の・・・」と近く83歳になる私の誕生日だが、「湾岸戦争」の日になり、まだ辺りは暗かったときに起こった「阪神大震災」の日になった。昔の人なら「貫一お宮の今月今夜・・」を思うだろう。

 12月8日と8月15日はわれわれ戦中派にとっては記憶に残る日であるが、9.11の”new war”のはじまりの日にとって変わることだろう。

 私は「原節子さんの時代の人」と書いたことがあるが、”出生コホ−ト”の違う若い人はどんなものであろうか。

 「漱石」「鴎外」「サト−・ハチロ−」「魯迅」最近では「司馬遼太郎」もいずれもペンネ−ムであるが、「視覚」によってそれぞれ記憶に結びつく。

 「音にあいたい」「懐かしのメロデイ」のように音も各人各様の「聴覚」の記憶と結びつく。

 「触覚」「臭覚」「痛覚」「温覚」も全て「自覚」である。「自覚」は各人各様で他人には分からない。

 入院の経験から「自覚症状」をいっても臨床の先生方に分かって貰えなかった。分からないと思う。

 「他覚的」「客観的」な証拠によって考え診断していると思われる。血圧の客観的表示を考えてきた時も同じだった。

 救急車で意識なく運ばれた人も診断しなければならない。それで診断しなければならない先生方は大変だと思う。臨床をやらなかった者の感想である。

 「外胚葉芸術論」を以前書いたことがあるが、「記憶」とか「こころ」が「大脳生理学」「精神医学」の進歩に期待される分野であることには違いないと思う今日この頃である。

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