記録:年賀状・挨拶状(弘大へ赴任から退官まで)

 

 年賀状というと小さい時は版画を作っていた思い出がある。

 一人前になってからは「謹賀新年」とだけ印刷して毎年出していた。

 その内一か月も前に賀状を書いておくことに抵抗を覚えるようになった。その間に不幸にあった方からの年賀状を戴くと何かしら墨がうすく感じたことがあった。

 その内正月すぎに「寒中見舞い」という書状を戴いたときはこれは良いアイデイヤだと思って書いたことを思い出す。

 アメリカへ行ったとき、皆が「メリイ・クリスマス and Happy New Year」ではなく、「シ−ズンの挨拶」というのもあるのを知った。

 何かことあるごとに短文をそえて「挨拶状」を送ったことを思い出す。

 

1)昭和二十九年五月

 拝啓 春暖の候 元気で御活躍のことと思います

 小生 慶應義塾大学醫学部在勤中は一方ならぬお世話になり厚く御禮申し上げます

 今回弘前大学助教授として醫学部衛生學教室に赴任致しましたので御報告旁々今後とも相変(旧活字)らず御指導御鞭撻をお願い申し上げる次第です

  北海道或いは十和田へお出かけの節は何卒足場として御利用下さい

   弘前大学醫学部衛生学教室 弘前市在府町五(電話二、二O二二)

   自宅 弘前市若党(旧活字)アパ−ト第二号

 

 弘前大学へ赴任したあとの挨拶状である。 旧活字また文面に時代を感じる。電話番号に局番のない頃であった。このあと(北海道弘前市また秋田県弘前市)と手紙を戴いたことが思い出される。

 

2)昭和三十一年九月

 拝啓 初秋の候を迎え ますます御清祥のことと拝察致します

 さて 私事この度弘前大学教授に御推薦を蒙り醫学部衛生学教室を主宰することになりました

 何分にも若輩未熟の身ではありますが 教育及び研究又地方の公衆衛生の向上増進に微力を尽(旧活字)したいと考えております

 何卒今後とも一層の御指導御鞭撻を賜りますよう御願い申上げます

 先ずは謹んで新任の御挨拶申し上げます

 弘前市相良町二 弘前大学醫学部衛生学教室

 在府町から相良町へと移転したようだが 本部の場所が一寸住所が変わっただけである。 まだ公衆衛生学教室のない頃で。衛生学教室単独で地方の公衆衛生への健康への責任を感じていた自分を思い出す。35歳であった。

 

3)昭和四十年八月

 暑中お見舞い申しあげます

 去る五月第三十五回日本衛生学会開催に当たり種々御高配を頂きましたが、お蔭様をもって好天にめぐまれ、盛会のうちに会を終了できましたことは、皆様方の御厚情と御支援の賜と深く感謝致す次第でございます。

 さて私こと、今般文部省の在外研究員として派遣されることになり、一年間の予定で、この九月上旬出発することになりました。

 主としてアメリカ合衆国ミネソタ大学公衆衛生学部A.キ−ス教授の下で高血圧の疫学的研究に従事す予定を立てております。

 留守中教室および家族の者など何かとお世話になることと思いますが、何卒よろしくお願い致します。

 簡単ながらお礼とお知らせまで。

 

 日本衛生学会をすませ、教室は武田壌寿助教授・福士襄講師にまかせ、家族子供二人をのこしての出発であった。 

 

4)昭和43年元旦

 あけましておめでとうございます

 昨年は医学部の基礎校舎も新築になり衛生学教室は6階のながめと住み心地の良い部屋に部屋に入ることができました

 心を新たにして教育と研究社会への奉仕にうちこみたいと思います

 又10月には自宅を新築移転できましたことも一家のよろこびです

 今年もよろしくお願いします

 自宅 弘前市原ケ平山崎103の10(01722-2-7809)佐々木直亮 悦 章(付中2)修(付中1)

 勤務先 弘前市相良町2 弘前大・医・衛生(01722-2-3111)

 

 在外研究から帰宅後であるが、教室も6階に移った。一般には階の高い方に希望がなかったが、われわれは6階を選択したことを思い出す。コス島で「衛生の女神」をみてのあとであったので、眺めの良い(レストラント・ハイジエイヤ)と名つけた。公衆衛生が中村正先生のあと臼谷三郎先生になって合同抄讀会などやった。衛生学教室ニュ−スを出すことにした。

 新築自宅の住所は昔の住所であるが、市に合併されて、今の(城南2丁目)と同じところで、電話番号も同じ(7809)なのは大学から譲り受けたからである。

 

 5)1970.4.23(昭和45年)

 弘前大学お前もかというように、昨年から今年にかけて大学紛争にあけくれ、年賀のご挨拶も失礼してしまいました。

 予防医学の原則からいえば、一般的健康増進をおこたっていたということになろうかと思いますが、特殊予防もないままに、昨年の入学式のヤジ、ヘルメットデモ、占拠についての早期診断もおくれ、それでも弘前大学方式といわれた位、本部封鎖のあとすみやかに、機動隊導入、後遺症としてのストも防止できず、ようやくスト解除、目下リハビリテ−ションの段階に入り、新入生を迎えようとしています。

 昨年8月大学の評議員に選出されたこともあって、日々会議にあけくれてしまいました。これだけのエネルギ−を研究に投入できたらと思うこともありますが、いそがしい時はいそがしいなりに研究にもせいがでて、元気でやっておりますのでご安心下さい。

 今年の9月にロンドンで開かれる第6回世界心臓会議に発表(高血圧における食塩因子)の招待状がきましたので今迄の成果を発表してきたいと思っております。

 家内一同元気。2月2日3男誕生、繁と名付けました。どうかよろしく。昨年スキ−で一級をとった家内も今年は育児に専念ということになりそうです。年をとってからのお産は正にレ−バ−であったようでした。長男章はハムに熱中し、昼と夜と逆転の生活になってしまいましたが、本人は時代の先端をいっていると自信たっぷりです。次男修はキリ−のはいたというスキ−靴をなでながら、クラリネットを夜中中ふいて、高校入試を前に親を心配させています。マルチ−ズのマリも元気。両親も横浜で元気でマ−ジャンをやっています。ご無沙汰おわび旁々近況お知らせまで。

 

6)昭和五十四年元旦

 あけましておめでとうございます

 久しくご無沙汰しましたが、わが家一同元気でおります。

 三男繁も小学生三年になり、スキ−も上手になりました。次男修がザルツブルグで音楽の勉強中です。長男章は良縁にめぐまれ今年は新家庭をつくることになると思います

 昨年は世界心臓学会と脳卒中など高血圧予防の国際シンポジウムを無事すませました。

 先日は横浜の兄の家で、両親とも合計三百三歳のマ−ジヤンを楽しんできました。

  〒036 弘前市城南二ノ一四ノ五 (0172-32-7809)

 

7)昭和五十七年一月

 寒中お見舞申し上げます

 昨年は思いがけず青森県褒賞を戴きましたが地域の問題にとりくんできました疫学者としては大変有難いことでした。

 日本脳卒中学会での「脳卒中の自然史」、日本保険医学会での「日本人の高血圧・疫学の成果と展望」」の特別講演をする機会を与えられ若干のまとめを致しました。

 夏の八月下旬にエジンバラで開催された第九回国際疫学会議に出席した折「ヨ−ロッパ塩の旅」を試みました。手はじめに訪れたザルツブルグ(塩の城)で次男修にも四年ぶりに会えました。この一月二十七日国際モ−ツアルト週間に指揮をすることがきまって「何となくデビユ−といった感じ」といってきました。

 三男繁はこの春中学生に、長男章・協子夫婦に孫一人広亮は東京。

 一同元気でおります。

 

8)昭和五十九年正月

 寒中お見舞申し上げます

 昨年はリンゴにあけ(1月NHKクイズ面白ゼミナ−ル・レクチャ−)、9月にリンゴの高血圧予防に関する研究と消費拡大に貢献したという功績ということで、第十一回木村甚弥賞をいただき、有り難いことでした。

 今年は、7月27・28日弘前で第四十九回日本民族衛生学会総会を開催することになっております。どうかよろしく。

 東奥日報のあすなろ随談に親子共々登場したその修が、ザルツブルグから7年ぶりに一寸弘前に帰ってきて、音楽にスキ−に麻雀と、楽しい正月を迎えることができました。4月5日にベルリンフィルホ−ルでベルリン放送響を振ることになっていますが、丁度衛生学会がありまだ現役なので次ぎの機会にみたいと思っております。

 オリンピックではありませんが、家内から定年まであと何年かと聞かれたので数えてみましたら、あと800の余日となりました。もうひとふんばりといったところです。

 

9)1986.4(昭和61年)

 ご無沙汰しておりますがお元気のことと思います。

 今年満65歳に達しましたので、3月31日付をもって弘前大学を退職致しました。

 昭和29年に弘前大学に着任、同31年に教授となり医学部衛生学講座を担当して参りましたが、無事に勤め上げることができましたこと、ひとえに皆様方のお力添えがあったものと感謝致します。尚弘前大学名誉教授にご推薦いただきましたことを報告申し上げます。

 今後のことですが、開学以来非常勤講師でありました東北女子大学の教授として、新たに「健康科学」の科目を主にやらしていただくことになりました。

 尚ささやかではありますが、今までに蓄積した知識を種にして「りんご健康科学研究所」の構想を育てていきたいものと考えております。 

 弘前大学退官のお知らせと近況まで。

 036 弘前市城南2-14-5 Tel 0172-32-7809 佐々木直亮

  

 東北女子大学で8年勤めた。

 名刺は昔の「海軍軍医中尉」のものから「弘前大学教授」のものまである。その間何百人と交換し、それぞれの方との思い出はあるが、先日全部処分した。

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