学会こぼれ話

 (昭和40年5月14-16日弘前で開催された第35回日本衛生学会総会で)

 大ホ−ルの舞台の上の第35回日本衛生学会総会のカンバンは、運搬とりつけ、とりはずし一切を含めて、金7300円也、”あの位立派なら、東京では数万円しますね”とは学会の舞台うらは、すべてご存知の先生の話。

 大ホ−ルの音楽は好評。”どこの製品でお金はいくらかけたか”と、とまどう案内係。”東京の日生劇場にはおよばないが、地方都市としては日本一”とはハイファイこの道にかけては世界的権威、自らも日本に数台のスピ−カ−をいつもご自慢の某教授の批評。

 

 大平教授のパンフレットをくばっていた係、大平教授とは知らず”先生どうぞ”。

 400-500名も入ったでしょうか大平教授の特別講演のあと、いざ総会を開こうとしたら会場には、チラホラ、2、3名。

 とにかく、100名程度になって、無事総会は終了。出席された先生方は皆よかったといわれる。教育協議会の報告を受け持たれた3先生の努力に感謝しなければならない。

  野辺地先生

 新築の市民会館使用にあたって、はじめから頭を悩ましていたことは、スクリ−ンのないこと。あの会場でスライドが出来ないとは、どなたも不思議と思われるでしょうが、お金が少し足りなくて、目下検討中といったところ。

 特別講演でスライドの出来ないことを前もって充分なっとくしていただいたつもりなのが、講演開始直前におつきになった一教授、やおらポケットから”スライド”を、”あ!あ!”ショックです。そのあと開会のことばはいささか上がってしまったというのが本当のところ。会の運営に心すべきこと。 

 ”一般公開講演も異色あるもので興味深く拝聴しました。鳴海氏のゆうゆうたる話ぶりも、東北的でしたが、津川氏の辛辣さはまことに型やぶりで、文学好きの私には大変興味がありました。小野さんでしたか、わが藩わが藩というのも弘前ならでの言葉のようで印象的でした”。相磯先生のお手紙より。

 ”弘前には、シュバイツア−がおられるのを今日はじめて知った”とは鯉沼先生のことばだが、誰ということではなくて、その精神があるということなのだろう。

 「かあちゃん九時だ、お袋いそぎ床に入る、弥一、農家に幸よおおかれ」と狼の森の保健館にある掛軸を書かれた名誉会員吉岡義等先生は、司会のミス、暉峻先生のご健康を祈ります。

 20分の話がのびものびたり55分、でももう何時きかれるか分からないからね。

 ”津軽時間とは、はじまる時間がおくれることではなく、おわる時間がのびることなり””津軽の文化と医学”より。 

 講演をまじめに聞いていたら懇親会にでては”津軽”にのれず、とはいえ会費500円はおしいと受付へ。主催者が返金した唯一の会費です。

 ”いろいろ学会に関係していますがね、今回の衛生学会ほどよい学会にあったのははじめてです”とはおせじにしても有り難い言葉。

 

 某大教授が話はじめたのをゆびさして、”おい君君、所属氏名を”とは、とはさすがに壁発表のしにせの座長。

 追加討論の紙をすばやくもっていくと、”まだ早い”うっかりしていると”まだかまだか”と思うと、”おれは書かない”と。係りはさんざん。

 ”座長には女の先生がよいですね”とは学生の印象だが、女性の座長といえば某先生一人しかいない。ほれられたかな。

 ”先生方もよくねむられるものだと安心しました”とはアルバイト学生の感想。椅子がよすぎたせいか、ナイタ−のつかれかは分かりません。

 あんまり沢山質問しすぎて、自分で何を質問したか忘れた先生がいたとか。

 人垣をつくり、質問の多かった下着の研究の発表、それももっぱら男の先生からの質問が集中したとは。

 

 電文に曰く”オチツイテ ゴセイコウヲイノル ウイズラブ”、ちらりと見た未婚の受付嬢、頭にきたとか、これが彼女から彼女宛とか、衛生学会も乙なもの。

 ”壁発表のはる高さは、もう少し高い方がよかったですね、前の人の肩がじゃまになって”とはごもっとも、誰れでも脚線美までみたいのは人情です。

 イタイイタイ病の討論の席上、”あわてた先生”、”では一体何が原因でおこるのでしょうか””いやそれがわからないから研究しているのです”はごもっとも。

 ”よくこうつぶのそろったアルバイトを集めましたね 一日いくらです”とねほりはぼり。さすがは東京都でその方面の世話を一切やらされた先生だったとは。

 ”この頃の医学生はたちが悪くて、バイトには用いない方がよろしい”との申しつぎでしたが、今回のバイトは衛生学、公衆衛生学の教授が部長のヨット部、陸上部の部員達。部の資金かせぎでもあるというので、まじめにやらないわけにはいきません。 

 壁発表の用紙をはるのを手伝っていたアルバイト学生、あんまり立派な服装に先生と間違えられ”先生手伝っていただいて恐縮です”といわれた方も恐縮。 

 各会場の主任になった研究生、実に真面目によくやってくれました。それもはず二年間の準備の期間何もめいわくもかけずその1日なら誰でもその気になるでしょう。

 会長(教授)、助教授、ブレインと少数精鋭主義で学会直前まで計画運営してきました。

 

吉岡・羽里・佐々木・三浦・近藤・鯉沼・石原・大平

 立てこんだ15日の受付へ、つかつかと入ってきた青年、「井沢八郎」と、これを聞いた受付嬢「ハイ、井沢先生ですか」と。さがせどもさがせども名札みあたらず。それもそのはず、すぐとなりの会場のリンゴ花まつりの歌手の名前であったとは。

 ピンクム−ドの弘前学会、間違えてはこまります、衛生学会誌の表紙の色、会長の記章、胸につける名札の色の話。

 名札といえば、あのデザインのものは弘前では出来ず、お金が東京に流れることになりました。

 登録がすみ、会費の納入がすんでいる方は、受付では名札を受け取るだけ、本人に便利なように計画されたことだが、こられるのかこないのか一切わからない、ぶらりと受付へ、そんな方にきまって文句が多いとか。 

 入会申込書、受領書と、沢山名前を書かせた上で、写真を送る封筒の名前まで書かせては、と、つい遠慮して封筒を渡しそこねた受付嬢、”あの方はどなただったかしら”と小さい胸をいためています。 記念写真の申込みをされ、それでも送ってこない方がありましたら至急事務局へご連絡下さい。

 どう計算してもあわないと青息吐息の会計女史、それもそのはず番号のうち忘れた受領証を出したのだから、勿論お金は余計余りましたね。 

 ”有能にして忍耐づよき事務局に感謝す”とは歴史にのこる名文句だが、会費、演題費、宿泊費の納入にあたって、往復実に4回のすえ、最後になっとくされた会員からよせられた言葉。

 ”リンゴジュ−スがこんなにうまいものだとは知りませんでした”と好評のジュ−スが品切れになったとき、”今しぼっていますのですこしおまちください”とはうまいあいさつ。 

 誰れだ、ビ−ルだったらもっとよかったという人は。

 

 ”りんご会館”と運転手にいったら、どうもみられないところに降ろされた。申しわけありません。”弘前りんご商業会館”とは別に”りんご会館”がありました。

 本年とって満84歳の石原先生をはじめ、お体不自由な羽里先生まではるばる弘前までおみえになった。有り難いものだ。これが衛生学会の特長というもの。

 

 懇親会おえて、名誉会員を大鰐へハイヤ−お送りしたあと、”随分よろこばれました”と。名誉会員は大事にするもの、コンパニオンをおつけするようにしたらどんなものでしょう。

 

 若い幹事の先生が方言をノ−トのうつし発音(ハチオンと読む)の練習をしているそばから、芸者も知らないことばを披露されるとは、さすが全国をまたにかけてあるいた先生。

 ”弘前には 芸者はいつも同じシジュウ−五人”45人ではなく、ここ何年同じ顔ぶれで人口安定のところ。この話を聞いた大阪の某教授”この方面でも健康的なところだね”

 どうみてもけがをしそうな手つきで、ビ−ルの栓を抜く一見ホステス風美人、実は会長夫人だったとは。

 調子よく話しがはずんだはよいものの”お店はどちらですか”と聞かれ、早々に次ぎのテ−ブルへ。

 ”バ−ささきのマダムです”と答えりゃ一流だ、とは影の声。

 懇親会のおわり近く、会長ご夫妻のみおくりを受け、衛生学会も変わったものだ。

 

 かつて北海道の学会へ行く途中弘前へよられた某教授、よいきげんで連絡船にのったのはよいものの、カメラをその店にお忘れになった。そのカメラが翌日札幌までおっかけていったという感激が忘れられず、”あの弘前の人はまだいますか”と某キャバレ−へ。

 めざす彼女には会えなかったが、その話を覚えていたマネ−ジャ−からごっそりビ−ルのサ−ビスをうけ”やっぱり弘前はよいところ”

 ”雨天体操場のような店だね”という批評にもかかわらず、その店の名だけ頭にある方、”先生、今度も何回いかれましたか”。

 2の5151に電話をかけると、いつもすばらしい乗用車がス−とやってくる。弘前に来られても人徳のある人は違うね。 

 ”弘前には美人が多いですね”と、バ−の話かと思ったら、はからずもりんご花まつりのパレ−ドを市中でみかけ、女子高校生の集団検診の機会をあたえられた方の話。

 好評だった学会案内。これは前会長や皆さんのご意見によって出来たものだが、”安心してのめるバ−の名前がないのは、何といっても残念でした”とは、旅行にはいつも新案のシェイカ−をご持参の某教授の批判。

 ”弘前の町は大分荒らされましたね”とは、いつもいきつけのバ−に学会の人をみかけたという学生の話。”飲んべいには、安くて飲めるところは不思議とわかるもの。

 食堂のウエイトレスのスロ−モ−につい席を立ち、会場まですしを運ばせた某教授、”正に案内書の通りです”。

 と思って注文したら、とたんに料理をはこんで来た店スピ−デイでサ−ビスがよく、おまけに味がよかった店として、弘前駅前主婦の店2階のレストランを推薦致します。

 某洋菓子店でジュ−スを頭からこぼされた東京の人。クリ−ニングをする間、着てきた洋服より良いのを着せられてさそうと会場へ。

 ”あの時どなられるかと思いました”とは、店主の話だが、あとでこの話を聞いた東京の人、”弘前の先生はこんな時いつもどなるのですか”とはつらいね。

 ”大鰐の銀水旅館では、朝夕車で駅まで送迎してくれるなど、1泊1000円では到底えられないサ−ビスをしてくれました。学会長の、特別のご指示のためのようでした”一会員より。”特別の指示はいたしませんでした”学会長。

 宿についたとたん、同窓会の歓迎を受け、めんくらうやら、うれしやら(このところ、げためっけるやら、にげるやらの調子で読むこと)。

 アトラクションは、りんご花まつりだけではありません。近くは草野球を1日みていた先生。長勝寺、岩木神社から九渡寺のおしらさま、恐山まで足をのばされたとか。ロ−カルカラ−は豊かです。

 ”りんごの花がまだ咲かなくて残念ですね”との案内係りの夫人に”いや花なんかどうでも、もう一度アダムになってりんごをたべたい”との答え”中年の先生はいやらしいわね”とは後日談。

 ”久しぶりで学問的なふんいきにふれてさせていただいて有り難うございました・・・他県の大学の先生2,3を知り親しくなりました。キラリと光るような意見にふれて、また何かをやってみたいと意欲がわき出るような気がしました”−保健婦より。どの位親しくなったかは書いてありませんでした。

 7時ちょっとすぎに駅前に、さがせども観光バスはみあたらず。”さては弘前もパリなみと、会長宅へ電話。入った電話ボックスのすぐ目の前に観光バスがとまって最後の一人をまっていたとは。

 十和田湖行きの観光バス、あまり順調に行きすぎて青森着は予定の一時間前、おかげで一番損をしたのは、超過勤務手当をもらいそこねたバスの運転手。

 忘れものの第1号は、幹事会に一番乗りの某教授のレインコ−ト。弘前駅にお忘れになったが無事手元にかえってからは一時もはなさず。

 某小路の小料理屋で、つい忘れた愛用のパイプが、その夜のうちに会長宅にとどけられるとは、弘前はよいところ。

 かくはデパ−トに、さいふを忘れた長崎大の川津先生、これもデパ−トからの連絡で無事手元にもどったものの、”おみやげは、かわずに帰られたのかしら。

 最後まで持主のわからない忘れ物は”こんぶ一袋”ふろしき入れ、お心当たりの方事務局へ。

 東北線、常磐線、花輪線、奥羽本線、五能線と弘前への道はいくつもある。”あけぼの、しらゆき、”と”鳥海”の指定券を渡された某先生”一寸よく説明して下さい”との問いに、一枚一枚示して”これは乗車券です。の説明に”それはわかっています”と。無事に帰京されたでしょうか。

 ”これがすむと、ガックリくるんじゃないですか、1,2週間ゆっくりお休み下さい”は有り難いお話だが、会長翌日予定通り教壇へ。

 (日本衛生学雑誌 20(3)昭和40年)より

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