コホ−ト分析覚書

 

 私がはじめて「cohort analysis」にふれたのは、教室で購入していた「Brit.J.Prev.Soc.Med.10,159-171,1956.」にR.A.M.Caseが報告していた「Cohort analysis of mortality rates as an historical or narrative technique」の論文を見たとき以来である。

 この論文は「cohort analysis」の原理を紹介し、イギリスの肺癌の死亡率について検討した成績について述べたものであったが、結果は極めてあざやかで、人口動態統計の理解に「目からうろこがおちる思い」であった。それから40年たった最近、同じ雑誌(誌名は変わったが)「J.Epidemiology and Community Health, 50,114-124,1996.」に「Historical article」として同じ論文が再版されていた。それほど大事な論文であるとの認識があるのであろう。

 丁度菱沼従尹先生が厚生の指標(昭32.)に連載されていた「衛生統計の歴史」を読んでいた時だったか、さすが衛生統計発祥の地のイギリスならでの仕事であり、わが国ではいつ頃検討できるようになるかと思った。

 この論文を武田壌寿君が昭32.4.6.の教室の抄読会で紹介し、同じ方法論をわが国の脳卒中死亡率に当てはめての論文「わが国の脳卒中死亡のコホ−ト分析について:厚生の指標,5(5),52-56,1958.」を発表した。わが国の脳卒中の死亡率が戦時中低下したことが知られていたが、コホ−ト分析の結果、どの年齢層の人も一様に低下したのではなく、戦時中当時40,50歳代の働きざかりであった人々に最も強く影響があらわれたことが示されたのである。その当時まで脳卒中が予防できるかどうか疑問視されていたのだが、この成績からわが国の脳卒中は予防の可能性があると推理したのである。予防の可能性についての手がかりとしては、わが国の脳卒中死亡率に地域差、季節差があることもあったが、時代差についてのコホ−ト分析の結果、予防の手がかりが与えられたと考えたのである。

 この考え方は昭和33年熊本で開催された第28回日本衛生学会でわが国での初めての「高血圧の疫学について」のシンポジウム(日衛誌,13,11-13,1958.)に、また昭和36年寿命学研究会主催で日本医師会館で開催された「脳卒中の予防・治療・リハビリテ−ション」のシンポジウム(日本医師会誌,48,(2),75-79,1962.)に報告した。

 東北大公衆衛生の瀬木三雄先生が”なかなか面白いことをやったね”と前の厚生の指標にのった論文の批評として武田君に耳打ちしていたのをおぼえている。

 「cohort analysis」の「cohort」を辞書で調べてみると、Websterには第1に「one of ten division of an ancient Roman legion comprising at first 300 but later 500 to 600 soldiers」とあり、ロ−マ時代の軍隊の単位であることが分かった。軍隊の単位といえば、最近話題になった「在郷軍人病」のレジオネラ感染症のレギオン(legion)もロ−マ時代の軍隊の単位であり、その十分の一の単位が「cohort」とあった。

 この「cohort」を分析方法の名にあてはめた訳だが、その原理は図に示すように、「cohort」とは、同一出生年次群を追跡してみる見方である。

 

 ある年度(date)での調査成績を年齢別にみるとか(date contour:contourは等高線という意味)、ある年齢(age)の調査成績を年次別にみるとか(age contour)が普通行われている方法である。厚生省や文部省などから毎年のように報告される調査成績は、ほとんどが「date contour」か「age contour」の成績であり、それでいて年次推移などについての結論を述べているのが現状である。

 加齢(aging)とは生まれてから(生物学的には受胎の瞬間から)死にいたるまで、年をとってゆくことである。いわば「同期の桜」「同級会」とか「同じカマの飯を食べた人々」を追跡してみる見方である。だから「date contour」の成績だけで年をとると云々と、例えば年をとると血圧が上昇するとか、子供達の発育や能力が年をとると、どうだとかこうだとか結論づけているのは、同じ人なり、コホ−トを長年にわたって追跡したわけでないから、そうとは言えないわけで、それを言おうとすると時間がかかるのである。人口動態統計などは公的に資料がつみかさねられているからそれを利用できるまでに時間がかかるのであって、人口動態統計の歴史がものをいうのであって、イギリスから「cohort analysis」の論文がでるには背景があるのである。それ以外の情報はそれなりに計画だって研究を継続してはじめてできるのであって、費用もかかるし、私の場合のように教授に若くなって定年までつづけられたのであって、それでも30年そこそこの研究であったわけである。

 もっともこのような考え方をもつ研究者は他にもいるのであって、アメリカのジョンスホピキンスで初代の疫学の教授になったW.H.Frostが1900年代のアメリカに.おける結核の死亡率を分析して「cohort」別に加齢に伴う死亡率がことなることを報告(AmerJ.Hyg.30(Sect.A.),91,1939.)したが、この現象を平山雄先生は雑誌自然(13(7),18,昭33)に「フロスト現象」として紹介していた。

 このような考え方をもてば、資料があれば分析検討できるわけで、わが国での研究でも次ぐ次ぎと報告されるようになった。

 われわれの教室でも「脳卒中・高血圧の疫学的研究」のほか、戦時中減少したう歯について(武田ら:医学と生物学,46(2),78,昭33.)(武田:医学と生物学,47(3),112,昭33.)、初潮初来(佐々木:日衛誌,23,329,昭43.)(佐々木:学校保健研究,107,552,昭43.)歯牙萌出と月経初潮との関係(一戸:弘前医学,25197,1973.)、初潮初来の年次推移と季節変動(佐々木:弘前医学,30,306,1978.)、初潮・閉経・有経年:日韓比較(南:弘前医学,30,361,1978.)、日本人の死因の動向(佐々木ら,弘前医学,31,190,1979.)、低体重児の発育(加賀:弘前医学,38,42,1986.)、低体重児の発育と初経(津島:弘前医学,38,76,1986.)、青森県内女子学生の初潮初来の年次推移と季節変動(佐々木:東北女子大紀要,30,106,1991.)、東北地方2町村の死亡状況(佐々木:東北女子大紀要,31,81,1992.)、日本における死亡と血圧状況の年次推移(佐々木:東北女子大紀要,32,116,1993.)と報告した。

 疫学調査方法として「追跡的疫学調査方法」が認識されるようになると「目的とする疾病に罹患していないものを対象に、あらかじめ仮設にたてられた因子に暴露したものと、暴露しないものを集団を仮定して、両集団からの発生状況を将来に向かって追跡し、比較することをコホ−ト研究という(柳川)」といわれる場合もある。ある時点から将来にかけて追跡することが原則と思うが、ある時点から過去へさかのぼってみることも、コホ−ト分析に入れられる場合もある。

 はじめて「cohort analysis」を「コホ−ト分析」として一般に紹介したのは、「佐々木:保健の科学,2,146,1960.」で、発音からいえば、「コウホ−ト」あるいは「コ−ホ−ト」と書くべきかもしれないが、日本語として「コホ−ト」として書くことにすると述べた。ちなみに(マックメ−ンら:金子ら訳:疫学、丸善、昭47.)には「コ−ホ−ト」と、マイロス・ジェニセック:青木ら訳:疫学、六法出版、1998.)には「コウホ−ト」と訳されている。

 昭和46年に医師試験委員を委嘱されたとき、「cohort analysis」は大事だからと考えて問題を作成したことがあった。日本語としての訳語がまだ一般的ではなかったので、原語として「cohort」として作成したが、採用され出題された。その後何回かでているようである。

 わが国でも外国でもコホ−ト分析による成績は沢山報告されるようになり、それぞれ重要な報告になっていると思われる。

 平山雄先生は各種癌死亡についての検討した結果を報告している。東大の根岸龍男先生が大型計算機を用いて次々と報告されたが、その最初の引用文献としてM.Susserの文献(Civilisation and peptic ulcer:Lancet,Jan.115.1962.)を紹介している。

 昭和34年弘前市学校医学校保健講習会で「コホ−ト分析とその実例」を特別講演している。昭和49年に山形県で第1回公衆衛生学会が開催されたときの特別講演として「研究する心:コホ−ト分析的思考法の実例から」を報告した。その時はわれわれの成績のほか、日本人の発育とくに戦時中における観察や結核の年次推移とかジフテリア、肺ガン、自殺などについての実例にふれた。医学生向けに「コホ−ト分析によせて」(日本医事新報ジュニヤ版,166,27,昭54.)に書いたことがあった。弘大医学部学友会誌(昭53)にも書いた。また昭和56年に「コホ−ト分析による健康の追跡」を保健同人社の生活教育に「統計の再認識」として連載したことがあった。

 衛生学の試験のとき「コホ−ト分析」という言葉を入れて短文を書けという題を出したら、「コホ−ト分析のことを知らなければ衛生学を語れない」と書いた学生がいた。及第点をあげないわけにはいかなかった。一番の傑作は発音の語感がそう書かしたものか「コホ−ト分析とは糞便分析のことである」と書いた学生がいたことが思い出される。(990927cohort)

(弘前市医師会報,268,66−68,平成11.12.15.)

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