「人の品位」のこと

 

 もう大分前のことなのだが、大相撲で横綱昇進の話が審議された時だったか、「あの力士は品がない」という意見があって、見送りになったということが記憶にある。

 このとき「人の品位とは何のことか」と疑問に思ったことがあった。これが本文のテ−マである。

 朝のニュ−スを聞いていたら、昨日の相撲審議会かで、「今の横綱が話題になり・・・処分なし・・・激励と注意を審議会としても行うことがある・・」とか耳に入ってきて、前のことが急に思い出されてHPに入れようかと思ったのである。

 そう考えたのは「文明論のこと」につづくのだが、慶應義塾を創られた福沢先生が明治29年に旧友会の席上、「抑も気品とは英語にあるカラクトルの意味にして、・・・」と云ったと福沢文選にあったことを思い出したことと関係がある。

 また「慶應義塾を単に一処の学塾として甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、知徳の模範たらんことを期し・・・」とのべられたこととつながるのである。

 日本語の辞書で「品位」をみると、「品格と地位、また人にそなわる清廉高尚な人格やその位置」とあり、「地金や貨幣について、その中に含まれる素材の割合」「鉱石中の有用元素の含有率」とあった。

 ところが英語の「character」には、その意味が沢山書かれており、その文中の使い方も色々あることが分かった。

 1に「他と異なる個性、性質、性格、気質」であり「アメリカ人気質」とか「国民性を描写する」とあり、「柄に合っている合っていない」とか云って「personality」「individuality」「identify」と類語であるとあった。

 また2には「物・事の他と異なる特(異)性、特質、性格、雰囲気」とあり「その物・事・雰囲気の特徴」であり「学校の雰囲気」という使い方もあり、3には「道徳的な特性、品性、人格」をいい「正直、気骨、剛毅 清廉」とあり「人格者」「品性の疑わしい人」と。4には「文学作品・劇などの登場人物・配役」であり、5には「性状を表す形容詞を前において・・・人」「変わり者・奇人・面白い人・風来坊」とつかい、6に「評判、世評、名声、令名」であり「名店・老舗」の使い方、「人をけなす・ほめる」の使い方、7に「地位、資格、身分」、8に「遺伝形質」で「獲得、後天的形質」と使い、9に「文字」「字体」「記号」「指標」などの使い方があり、最後にギリシャ語からラテン語として「印刻する」「印刻の道具」から「人間性の際だった印」になったとあった。

 日本語の「品格」にはどちらかというと「清廉」とか「ある価値観」にもとづいた意味をもった言葉の印象が強く、そのような用いられ方をしており、英語のそれはもっと広い意味があると理解された。

 前に「リンリ・リンリ」に書いたと同様であるが、改めて「翻訳」の難しさ、また「エトス」の相違をこの「品位」の言葉から理解されたのが今日の収穫であった。

 

 ついでに「品位」に関連のある「記憶」にあることを書いておこうと思う。

 私は「原節子の時代の人」であると自覚している。いつだったか昔の映画、たしか「青い山脈」ではなかったか。そのとき原節子さんが喋っていた言葉の響きから何となく東京の昔の「上品な」言葉づかいが思い出された。なぜそう思ったのか?が今日のテ−マと関連がある。

 「あなた品がないわ!」「上品な仕草は、さすが、慶應ボ−イと感心しました」と云われたこともがある。ほめ言葉なのか、けなす言葉なのか。「上品」といい「下品」というと「差別語」であろう。

 自分でも「あの人はどうも品がない」とテレビなど見ながらそう心の中で思ったことがある。人の前では云わないし、その人のことを記すことははばかれるが、それが今日のテ−マと関係がある。

 歴史の父とよばれるヘロドトスだったか、他の地方の喋っている言葉がまるで鳥のさえずりか、どもっているのか、理解に苦しむと書いていた記憶がある。

 日本国内でも京の言葉が一番「品のある」言葉ではなかったか。江戸も田舎であった。「標準語」として「東京の言葉」がきめられると、地方の言葉はさげすまれ、沖縄では「方言札」が首からかけられた話を聞いたことがある。東京の中でも山の手と下町の言葉があったが、同じ「東京弁」でありながら「なんと品のない言葉使いなのか」とある先生の「特別講演」を聞いたとき思ったことを思い出す。

 「Kings English」だと「American」には一目おかれるという自分の経験もあった。敗戦後の田辺復員収容所での勤務のとき、若いアメリカの将校さんのジ−プに乗せてもらって構内を走っていたときに。同じ英語でも色々あって、私の印象では香港の人が喋っていた英語は心よかったし、ひどく”なまり”が強く感じられて、これがあの高名な教授かと思ったことがあった。私の主観であるが。

 弘前にきての経験だが、F君が「・・・歯切れのよい東京弁の方にあこがれを持ち、アクセントの手本にしたものでした」ということもあった。自分では「津軽弁」は喋れないし、まねて喋ってもかえって失礼にあたると考えたからであるが、調査で村や町を歩いたときも、講義の時も、今にいたるまで私は「東京弁」である。全国から学生が弘前にくるようになって「駅について美人が多いのにおどろき、彼女らが言葉をしゃべらなければもっといい」と感想文に書かれたのを読んだことがある。「言葉」を聞いて百年の恋もさめたという話もある。

湯水のように」が土地によって色々な意味に使われていることを書いたことがある。

 言葉は音の伝達でそれぞれに意味をもつようになって、情報が伝わる。

 音楽は世界共通の言葉とよくいわれるが、私にはそうは思われない。外胚葉芸術論に関係することだが、音はそれぞれ各人の思いと結びつき、それぞれの思いがあると考えるからである。ラジオで「音にあいたい」とか「思い出のメロデイ」「懐かしのメロデイ」が放送されているが、それぞれ各人各様の思いをのべているのを聞いてそう思うのである。

 「箸のあげおろし」が云われることがある。その人の「行動」に関したことになるが、イギリスから来たお嬢さんが「そば」をたべるとき音がでないように気をつかっていた。食事の時のマナ−はとくにうるさいようである。「ス−プ」のとき音をたてると一斉に目をむけられる。そんな国に育ったお嬢さんとしては・・と思ったのである。

アメリカで新学期が始まったとき、小学生むけに「横断歩道を歩くときは”ゆっくり”歩きなさい!」とあったし、お米のPRに「この米は・・・このように”さらさら”です!」がCMであった。

 外国旅行をして、国ごとに振る舞いが違うのがわかった。

ザルツブルグで音楽修行をしていた息子を訪ねたとき、あちらの生活の中での苦労を思ったりした。本人は気がつかなかったと思うけれど、私の方が少しは経験が多かったからか。人様ざまであり、「どれが品性がある」とは絶対的には評価されないと思うからである。

 金髪の女性が、街で挨拶し、玄関でぬいだ下駄を腰をかがめて揃えているテレビが放映されている。一方”渋谷”をうろつくテイ−ン・エイジヤ−の喋る言葉が響く。女子大で本人はかっこうよいと思っているに違いないのに、下着のシャツを外にだしていたら、大声でしかる先生がおられた。いずれ大人になる人達ではあるが。生まれ育った年代が違う。専門的には”コホ−ト”が違う。東北農村の疫学調査で、食物の好き嫌いが、”コホ−ト別”に異なることを実証し論文を書いたことを思い出す。

 チグリス・ユ−フラテスの数千年の歴史の中にある人々の考えと、たかだか二百年の国の人々の考えと、違いがあってもおかしくはない。ただし絶対的に武力の優位に立っている国を相手にしている国の行動・考え方に対したときはどうするか。朝貢が常識の時代に「つつがなきや」と云われたらどう考えるだろう。「戦争で負けて、外交で勝った」吉田茂首相がマッカ−サ−とわたりあった”その時”が放映されていた。その吉田さんが高知かの選挙場に”靴をはいたまま”入ったっとか記憶にある。(20030727)

弘前市医師会報,295,54−55,平成16.6.15

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