「りんごと健康」

 

 昭和61年に弘前大学を停年退官したあと、「りんごと健康」という本を第一出版から刊行した。

 1960年(平成2年)12月30日初版発行で、@N. Sasaki (ISBN4-8041-0523-9 C-1077 P1545E)で著作権が登録されているから、「りんごと健康」は著作者の私と出版契約を交わした出版社の第一出版とにある。

 社団法人日本著作権協議会の著作権台帳というのがあって、退官後第一出版から出した「りんごと健康」「食塩と健康」、津軽書房から出版した「解説現代健康句」が登録してあった。

 「著作権が尊重されていますか」というアンケ−トもあったが、「日本ではあまり尊重されているようには思われません」と実例を挙げて答えた。

 「特許」「特許」と特許庁の講習会に顔をだしたら、皆ビル.ゲ−ツをめざしてと受けとられるような話があった。著作権は死後50年あるそうだし、おまけに(HP)(ホ−ムペ−ジ)にのせた文章も著作権が認められるような時代になったと思われる。

 ところで「りんごと健康」は今はやりのテ−マであって、青森県のりんごの花を讃えるつどいで「りんごと健康」のお話をということとか、テレビとか雑誌でりんごの特集をやるからインタ−ビュウをという電話がよくある。

このとき「私の(HP)(ホ−ムペ−ジ)をご覧下さい」「参考にされるのは結構です」「公開の原則で作成していますから」「だだし引用の場合には、著作権のこともありますから出所をかいて下さい」と答えることにしている。

どこまでが著作物なのかは明確ではない。

「りんご」も「健康」も一般に知られている言葉であるが、「りんごと健康」となると著作物になるのか。

図書館で「りんごと健康」という題で検索したら、私の「りんごと健康」の本が一冊でてきた。となると「と」がつくと文章になるのであろう。著作物となるのか。となると「食塩と健康」も「現代健康句」も著作物となる。

コンピュウタ−のURL(Uniform Resorce Location)やDNS(Domain Name System)と同様にはやいもの勝ちのようである。

 

 さて弘前市のコミュニテイ−FM局(アップルウエ−ブ)(78.8メガヘルツ)が平成12年3月に認可されたようだが、まだ試験電波を市内土手町の店の2階の事務所で出していた平成10年8月5日、波多野さんからということで人ずてに私に「りんごと健康」について、一言という話があった。

 電波は空中を流れ、何人かの方の耳に入ったかは分からないが、テ−プをとってあったので、そのときの話をおこしてみた。その記録である。

 

「こちらはJOYZ**-FM 」「こちらはアップル・フェヤ・イベントFM放送です」

「アダムとイブのりんごから人類の歴史ははじまり、ウイリアムテルのりんごから民主主義の潮流が芽生え、ニュ−トンのリンゴは近代科学の誕生をまねいた。そして今、一つのりんごから・・・」「アップル・フェヤ− おかげさまで10周年」とイントロのセリフが流れた。

 「りんごが健康に良いのは皆さんご存知ですか」

「”一日一個のりんごは医者を遠ざける”という言葉をよく耳にしますが、今日はゲストに・・・・・」ということで、ぶっつけ本番で女の子と話あった。

 「まずはじめに りんごと健康を考える上で りんごに注目したのは どんなきっかけですか」

 「東京生まれの私が弘前にきたのは昭和29年で、弘前大学医学部の助教授できました。今から40年以上前ですね」

「それは昔テレビでやっていた”いのち”という番組がありましたね」

「40年前は青森県にはすごくいろいろな健康問題があったのですよ」

 「私は慶應義塾大学の医学部をでたんですけど、医学部といってもいろんな科があるんですけど、”予防医学”という、”病気になる前に予防したい”という考え方が学生時代からあったんですよ」

 「昔は”結核”が多かったんですよ」「このへんでは”シビ・ガッチャキ”があった」 「もうひとつ”あだり”があった」「これが現代でいう脳卒中なんですよ」

 「ところが”あだり”は分からなかった」「その”謎解き”ですね」

 「ところが”いのち”のドラマの中で”このへんに高血圧が多い”といわしているんです」

 「ところが”学問”のほうからいうと、それはおかしいんです」「そんなことをいえる証拠は当時なかったんです」

 「でも現実に”あだって””ぼんとあたって””びしっとあたって”お医者さんにみてもらった方が血圧が高かったことは分かっていた」

 「このへんでは”どぶろく””おほ””にごり””だく”といわれていた”お酒”の飲み過ぎが悪いと考えられていた」

 「それで”あだれば”一週間以内に亡くなっていた」

「今でいう”リハビリ”なんていう言葉もなかった時代です」

 「どうにかこの”あだり”が”血圧”と関係がありそうだとは分かっていた」

 「”血圧”は顔をみただけでは分かりませんから、計らなければならない」「そこではじめて計りはじめた」

 「弘前の近郊に”狼の森”というところがあるのをご存知ですか」

「鳴海康仲先生が保健館をつくって、あそこが”予防”というか”健康”というか”公衆衛生”のメッカでもあった」

 「”いのち”のドラマでも胃癌で亡くなったり、これからは”農村医学”だと云われていたんですよ」

 「ところが狼の森、あそこはりんご生産部落でしょう 昭和29年8月、そこで計った血圧値が、”正常”というか、東北地方の他の地方と比べて低かったのですよ」

 「そこからはじまったのですよ」

 

 「今までは病気になった人の血圧はお医者さんが計っていた。また生命保険を申し込む人の血圧を計っていた。でも普通に生活をしている人の血圧を計ったことはなかった」「今でいう”疫学調査”です」「われわれが計ってはじめて一般に生活している人々の血圧がわかったのです」

 「それで”何故 狼の森の人々の血圧が・・・”という”謎解き”ですね」

 「ホリド−ルとかいう農薬を使い始めたころで肝臓がやられるのではないかとか」「栄養が悪いからではないかとか色々考えました」

「でも狼も森では”スト−ブ”とか”ペ−チカ”をつかって”暖房”が”住生活の温度環境”が良いのでないかとか」「脳卒中は冬に多かった」「だから”冬を暖かくしたらどうか”とか考えたのです」

 「色々と生活をながめると、第一ヒントは住生活の温度環境でした」

 「第二のヒントは”食生活”でした」

 「最近は”食塩が高血圧に悪い”というのは”常識になったようですが、当時はそうでなかった」「塩は大切なものだから、いくら取っても良い、東北地方の人々は多い人で一日30グラムも40グラムもとっていた」

 「塩を測定する炎光分析、当時最新式の分析器を用いて 尿の中に出てくるナトリウムとかカリウムとか、それまで測定が大変困難だったものを測定しました」

 「そして高血圧の成因としてナトリウムとカリウムのバランスという理論を考えたのです」

「また”食塩”は”ナトリウム”は体に必要なものだったけれど、本当に必要なものは非常に低いんだということがわかってきました」「アメリカでは5グラムぐらいを考え、わが国では10グラム以下といっていますが」

「世界中の資料を集めて検討しました」

 「私は”減塩”という言葉はあまり好きではありません」「”低塩”といっていますが」 

 「昔は塩は体に必要なものだから、塩をへらすと体に危険だ」「だから”減塩”食は医者の指示に従ってやる特別な食事だと考えられていました」

 「段々わかってくると必要な量はもっと低く」「食塩が多いのはわれわれの食文化がそうしてきたと考えるようになりました」

 「田中総理大臣のときですが”日本列島慢性食塩中毒論”をのべたことがありました」

 「りんごは食生活の中でよい方向に働くと考えられ、”りんごは健康に奉仕する”ということで、先日青森県長寿振興財団でだしている”あすなろ倶楽部”の”病は世につれ”の中に書きました」

 「青森のりんごと”徒然草”とかけて何ととく、、そのこころは」「テレビの笑点の番組でしたが」

 「そのこころは」「”健康に奉仕する”」

 「”徒然草”の作者”吉田兼好”の”けんこう”と”健康”にかけた答えでした」

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