初めがあれば終わりがある(オタク老人のひとりごと22)

 

 「ロ−マは一日にしてならず」「 すべての道はロ−マに通じる」といわれた「古代ロ−マ」も、紀元前753年建国、前27〜270年ヨ−ロッパ・中東・アフリカに及ぶ大帝国ロ−マ帝国になったといわれている。

 以前ロ−マ市内をあるいていたとき、大きな壁に勢力範囲がヨ−ロッパに広がっていった地図を見た記憶がある。そのロ−マが、分裂・滅亡の歴史を辿ったとあった。

 宗教音楽も医学などの学問も「ラテン語」をもとに展開していった歴史があることを学んだ。

 しかしそのロ−マのその前にその地域を支配していた人達がいたと、その遺跡があると最近知った。まだ詳細は判明していないようだが。

 「食塩と健康」をまとめたとき、人類の歴史を勉強する機会があった。

 歴史の父と呼ばれるヘロトドスのこと、旧約聖書の記録はメソポタミアの地域に育ったこと、またそれより古く中国にはまた別の人々の歩みの記録があったことを学んだ。

 すべて前があり、初めがあることを学び、その初めは何であるかを知りたいと考えた。

 しかし最近ものごとは「終わり」があるのではないかと考えるようになった。

 長嶋さんが現役を引退したとき、「巨人軍は永遠です!」と喋ったときは、「永遠!につづく」と受け取ったことを思い出す。

 「巨人・大鵬・たまごやき」の中に育った自分としては、毎日の野球放送に巨人の勝ち負けが気になるほうである。

 松井秀も「骨折」し、連続出場の記録もストップした。

 「プラネット・ア−ス」というNHKの4日連続の放映をみた。

 この地球上の珍しい画像をどのようにして撮影したのかの一部を知り得たが、「自然の姿」「動物の姿」を見せて戴いたことは幸いであった。

 しかし自分としては、その地球上に住む「人々の姿」がなかったこと、また「塩」の記録が全く見られなかったことは心残りであった。もし記録があったら「世界塩の旅」に追加したいと考えながら見ていた。

 「標題:プラネット・ア−ス」はかっこうよく思えた。「プラネット」は「惑星」であり、「ア−ス」はその中の一つの「地球」であるが。

 このTVの続きはこの10月だそうだか、これを撮影した「カメラマン」また「プロデュ−サ−」は珍しい「ショット」を撮影できたこと、またそれをまとめ上げたことに満足であったのであろうと思った。

 自分も「終わり」が近づいた気分がすることが、こんな文を書かせているのかと思う。

 昭和29年に弘前へ着任した同じ時、東北大学から着任した武田壌寿君が先日亡くなったことも関係しているかも知れない。

 奥さんと手をとりあって弘前にきた武田君、その「ツ−ショット」を撮った記憶が甦るのであるが、その奥さんが身内だけで静かに送りたいという意向であったことを尊重してはるかに送ったことも、まだ私の頭に中に「生きて」いる君を思いながらこの文を書かせているのかも知れないと思うのである。

 こんなことをHPに書こうかと考えていたら、「終わりはまた次ぎの始まりではないか」と思いついた。

 ロ−マの次ぎはバチカン王国だけのこり、今イタリヤである。

 秦の始皇帝は長寿を求めたといわれるが、そうはいかなかった。

 ブッシュ・ブレア・プ−チン・コイズミもおわり、次ぎはだれになるのか。

 独裁者といわれた人も終わりがあり、次ぎの人がかわって時代が推移している。

 ダ−ウインが「進化論」をのべたとよく言われるけれど、彼の著書のもとには「evolution 」とある。日本にその考え方が入ってきたとき「進化論」と訳語を作ったといわれる。私は「進化」より「展開」のほうが、その後「進化論的論説」が生まれたことより良かったのではないかと前から考えていたことをここに書いておく。

 北野武氏がイタリヤのベネチヤで「ガリレオ2000賞の文化特別賞」を授賞されたと報道があった。「ガリレオ」の名前がある意味を知りたいと思ったが、「たけし」さんが神妙に!「芸術ができる環境は平和であること」とのべたという言葉に印象をもった。

 「平和」についての記憶の中にあることを書くとすれば、「ホワイト先生」が世界平和を考えたこと、先日のトリノの開会式のとき、ほとんど報道はなかったが、白いドレスの「オノ・ヨ−コ」さんが「平和メッセ−ジ」をのべたことがある。

 弘前のさくらは散り初め、かわってりんごの花が咲き始めた。(20060518)

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