「アメリカ病」のこと

 

 「アメリカ病」という言葉をつくろうと思った。

 今話題の「華氏911」の監督マイケル・ム−アの姿をTVの中でみた時だった。

 「華氏911」が今度のアメリカ大統領選挙にからんだ映画であることは、その話題性から承知していた。まだその映画をみていないし、監督が喋っていることについての意見をここで言うのではない。では何を言おうというのであろか。

 続解説現代健康句に書いたことなのだけれど、「肥満」である。現代アメリカ病は「肥満」であると。

 医師の目からみて、これは「視診」であるが、監督は「肥満」が問題ではないかと視たのである。

 40年前の外遊時にはそれほど目にはつかなかったが、最近のアメリカだよりをみていると、やたらに「肥満」が目につく。

 「アメリカ病」といえば、世の評論家は色々論ずることと思われるが、ここでは医学的にみての「肥満」を問題とする他に意味はない。 

 

 世界の国々には、それぞれの健康問題を抱えているのではないかとの認識である。それも時代の経過とともに変貌するのだとの認識である。

 

 「イギリス病」という言葉があったが、イギリスのもつ経済問題であったと記憶している。しかし「社会医学」の本に「たべすぎ」が現代イギリスの健康問題であると書いてあったのを昭和43年に紹介したことがあったことを思い出すが、それと同じ意味である。

 

 池田総理がだみ声で喋っているのを聞いて、喉頭癌を疑ったのは専門ではない私だけではなかったであろう。「前癌状態」とか、政治的な病名を使っていた記憶がある。

 

 「日本列島慢性食塩中毒」という表現をつかって昭和47年に新聞に投書したことがあった。田中角栄著といわれる「日本列島改造論」をもじって、「日本の抱えている健康問題」に専門家を動員してやってもらいたいという気持から書いた。

 どうにか食生活の中で「食塩過剰摂取は健康上問題である」という認識は一般化したようであるし、死亡状況の変貌はここ東北にも起こったことが統計上見られることは、それにたずさわった者としては嬉しいことである。しかし世の中にその医学的知識が一般に常識になるのには時間がかる。食塩についていえば40年かかったと思われれる。

 

 情報革命の時代になって秒きざみに情報は世界中に伝わる世の中にはなったことは毎日インタ−ネットをみていると実感はするものの、世の人々がどう考え行動するかは別である。

 「ベッカム様々」といっていたら今は「ヨン様」である。健康情報も日替わりランチのように毎日やっているが専門家からみて疫学的にみてどうかと思うこともある。

 統計学の中で重要なのは「コホ−ト分析的思考」であると認識しているが、「コホ−ト分析覚書」に書いたように、私として「cohort analysis」の論文にふれたのは1956年である。昭和31年である。その重要性を認識し、わが国の脳卒中の問題に応用して論文を発表(1958年武田)し、学会(1958年)で発表し、「コホ−ト分析」として医学一般紙へ紹介(1960年)した。医師国家試験問題に登場したのは1961年である。そして昼のTVにみのさん名調子に答えて先生!が「”コホ−ト分析”で証明されています」といっているのを聞いたのは今週であった。どれだけその意味が分かったかと思いながら。

 

 「わが巨人軍は永遠です!」と長嶋さんがグランドでマイクの前で喋ったのは極めて印象的ではあったが、どうやら世の中が変わってきたようである。プロ野球加入申請をしたのがIT関連産業の30代の方々であると伝えられるのを聞くと時代は変わったと思う。

 

 あれから数十年たった今、また別の問題を抱えてきているとの気持であり、「病は世につれ 世は病につれ」である。「明日の健康を求めて」の道はどこまでも続くものだと思う。

 

 弘前大学医学部の衛生学講座の第二代目の教授として私は高橋英次先生のあと教授になったが、次ぎの菅原和夫教授も私と違った道を歩み成果をあげて先日停年になった。次ぎには誰を選出するのかと思っていたら、弘大出の昔保健医学研究会で活躍していた中路重之君が9月1日付け発令になった。長崎生まれの彼がこの弘前にきたのも亡くなった中村正教授とのつながりを思わずにはおられない。彼は彼なりにこれからの健康問題に取り組むことだろうし、それを期待したいと思う。(20040926)

もよへもどる