「人生いろいろ」の記憶から

 

 この7月11日(平成16年)は参院選の日だという。でも何となく気分がのらない。「年金」と「イラク」が焦点であるという。どちらもぱっとしない。

 「イラク」も今日のTVを見ていたら、フセイン前大統領らの裁判がはじまったという。ほぼ100%の支持をうけていた前大統領の裁判である。イラクの国民はどう思っているのであろうか。!!! 東京裁判の時のことを思い出す。

 国会での「人生いろいろ・・・」の問答の放映を思い出す。

 「人生いろいろ・・・会社もいろいろ・・・」

 「首相としてそれを国民にあやまらないのですか」

 「なぜ問題なのかわからない」・・・

 そのあと時間切れか退場した姿が映像に残った。

 その当の本人がかつて「公務員」だったとき、親の会社の顧問?かを「兼務」していた報道があったことは、私が弘前大学へ赴任したときの「あっと驚いた話」と重なる。

 この「人生いろいろ・・」は、「メデイア」では問題であるようである。

 今度の選挙に関した「プレス」の公開討論の中で、「直接選挙と関係はありませんが!」と司会者から質問があったことから伺われる。「今更”島倉千代子”でもあるまいし!」という記事が翌日新聞にのった記憶もある。

 あの島倉千代子さんのヒットは記憶にのこるメロデイである。

 作曲は浜口庫之助である。

 作詞は中山大三郎であって、どんな気持ちでこれを作詞したのであろうかと思う。はじめてこの歌を聞いたとき、私には「女もいろいろ さきみだれるは!」の言葉の方が印象に残った。

 「人生いろいろ」にはいろいろ解釈があろうが、私にとっては「人生いろいろ」の感が強い。多くの友人を失ったことを思い、今生き残った自分を思う。

 また「疫学者」として研究を展開してきた身にとって、そう思うのである。

 高橋英次先生が弘前から東北大学に移られてしばらくたったあとだったか。

 臨床の先生が「疫学的研究と称する研究」を展開されたのを見聞きしたことがあった。「要は沢山例数を集めることだ!」と考えたらしく、臨床では大勢人手をかかえていたからそれができたのであろうと考えた。ただ多数例集めればよい、と一般にはそう考えられていたようだと思った。

 「疫学的研究」は「人々の上におおいかぶさる」ことを問題にしての出発であるから、集団からデ−タを多数集め検討することから始まる。しかしそれは「手がかり」であってそれだけで終わるものではないと思う。

 私が「集団評価と個人評価」をのべたのもそこにある。

 その結果「個人的特性」(病態生理,4,67-69,1985)を論ずることができたのも「疫学的研究」の成果であると考える。

 具体的な例として「日常高食塩食」の中で生まれ育った人々の中でも「高血圧状態」にならず一生をおくる人が実際いるのだという現実の証明であった。

 ド−ル先生は「R型・S型」を動物実験で示されたが、それを人間の集団で観察できたのだが、それは「遺伝子」に左右されるのではないかと云われるようになったことにつながる。

 それだから最近では「オ−ダ−メイド医療」とか「テイラ−メイド医療」とか云われるようになったと思う。

 昔軍隊で百姓の足が「軍隊の靴」にあわないとき、「お前の足が悪い!」とかいったという話と結びつく。

 一昔前、背広を作ってもらったとき、「寸法を測り」「仮縫い」をしてもらったことを思い出す。

 イギリスには「代々の方々の洋服のサイズ」があり、イタリヤでは「各人の足のサイズ」がととのえられているという話が記憶にある。

 そんなことから「人生いろいろ」というのは、まともであるとは思うのだけど、そういわれると「問題をはぐらかした?」かに受け取られ、またそう思う方もいるのであろう。(20040705)

弘前市医師会報,301,50−51,平成17.6.15

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