記憶にのこる雑誌(2)

(2)として昭和54年(1979年)までの記憶にのこる雑誌について。

  

弘前に「第二次道標」という雑誌があった。「日本人の死に方について」(第3号, 1-6, 昭34)を書いた。

青森県老人クラブ連合会出版の老人シリ−ズ1「新しい老人像」に「もっと長生きするために」(pp33-38, 昭40)を書いた。

弘大保医研が昭和42年度夏期保健活動感想集を出したとき、「夏期保健活動によせて」(p5)を書いた。保医研には「保健医学研究会へ」「保医研によせて」「保医研の真髄」など書いた。

    

青森県立青森高等看護学院公衆衛生看護学部から刊行されていた「北灯」に「ひとことふたこと」(3号, 2-3, 昭43)を書いた。講師の先生方のプロフィ−ルが掲載されたこともあった。

昭和43年に青森銀行が「青銀会会報」を刊行することになって「健康随想」(1-7)を第2号から連載した。

青森県精神衛生協会の「こころの衛生」に第9回青森県精神衛生大会での公開座談会「農村をめぐる精神衛生」(司会佐藤時治郎、小林時三郎、佐々木直亮、山内豊、船本寿代)が記録(8巻1号, 8-26, 1968)された。

日本評論社刊行の「からだの科学」の特別企画「高血圧症」(村上元考編)に「日本人の高血圧」(からだの科学, No.25, 50-54, 1969)を書いた。

   

エ−ザイから出版されていた「Clinician」という雑誌があった。相沢豊三先生の顔が表紙をかざった号に相沢先生は「脳循環測定の意義」、勝木司馬之助先生は「日本人の脳卒中」を書かれ、私にも執筆依頼があった。「脳出血と風土」(Clinician, Vol.16, No.181,8-12, 昭44)が記録された。次いで「脳卒中」の特集号(表紙佐野圭司先生)に「脳卒中の疫学」(Clinician, Vol.27., No. 294, 19-23, 昭55.)が掲載された。

武田薬品から刊行されていた「実験治療」の「はんぺ−じずいひつ」に「ストリップ」を書いた。海外旅行後の随筆である。

日本学術振興会刊行の「学術月報」に「国際研究集会参加記 その37」として「第6回世界心臓学会会議に出席して」(23(10), 通巻第294号, 655-657, 1971)を書いた。

昭和45年に弘前大学医学部同窓会の鵬桜会から「鵬桜会報」が発行されることになったが、第2号に「HIROSAKI・JAPAN」(pp1-2)を書いた。その後「衛生学教室のアルバムから」「研究うらばなし」など掲載された。

 

緒方富雄先生らが「ヒポクラテスの木友の会」を創られて会報を出された。その第1号(1971.10.15)に「F コス島のヒポクラテスの木(原木)を訪れた日本人として、1.篠田秀男先生についで 2.佐々木直亮が記録(p14)された。

千代田生命健康開発事業団が各地で健康教室を開催していたが、青森市で開催されたときの講演「高血圧のはなし」の講演・質疑の内容が「健康開発」(No.22, 1-12, 昭46)に記録された。 

近代医学社刊行の「Geiatrics Medicine」に「第3回脳卒中研究懇話会」の一般演題「青森県における循環器疾患の疫学調査からみた2,3の問題」(佐々木直亮・蓮沼正男・山田信男)(10(3).405-415,1972)とシンポジウム「脳血管障害研究のアプロ−チのしかた」の中での発表「脳血管障害、予防のアプロ−チのしかた」(10(4),587,1972)が掲載された。第4回脳卒中研究懇話会での「一過性脳虚血発作発見のための問診についての野外経験」(11(2),311-316,1973)が記録された。

    

臨床科学社刊行の「臨床科学」の特集脳血管障害に「脳血管障害発作の疫学」(7(12), 1539-1548, 1971)を書いた。

最新医学社刊行の「最新医学」の特集高血圧に「疫学面よりみた食塩と高血圧」(26(12), 2270-2279, 昭46)を書いた。

バイエル薬品刊行の「MEDIZIN VON HEUTE」(今日の医学)に「脳卒中の成因--環境因子-疫学の面から」(49, 75-82, 1972)を書いた。

田辺製薬出版の「臨床のあゆみ」の特集高血圧と電解質に「高血圧と電解質--疫学の立場より, とくにNa, Kについて」(No.52, 1-3, 1972)を書いた。「高血圧と食塩」(中村治雄・佐々木直亮対談)(4(3), 5-8, 1984)も。

   

いずみ社刊行の「いずみ」に「”ケツ”と”ゴク”」(August, 5, '72)を書いた。イギリスから来たフィルパさんの思い出である。

大日本製薬刊行の「Medical News」(メジカルニュ−ス)に「70年代の医学 高血圧の疫学研究から地域保健へ 弘前大学の佐々木先生」と写真(撮影山下稔)と記事が掲載(No.132, 1972.5)された。

医歯薬出版刊行の「臨床栄養」の成人病−食生活中心とした考察特集の臨時増刊号に「塩分摂取と成人病」(41(6)臨時増刊, 719-723, 1972.11)を書いた。「成人病と食生活」(40(5),584-588,1972)および「日本人の食塩摂取はどうあるべきか」の平田清文先生との対談(54(5),413-424,1979)が記録されている。

医学書院刊行の「神経研究の進歩」の脳のシンポジウムの特集に指定討論としての「脳血管性障害の疫学に対する指定討論」(17(6), 1123, 昭48)が記録された。

  

最新医学社刊行の「最新医学」の特集脳血管障害に「疫学--最近の問題点」(29(7), 1214-1220, 昭49)を書いた。

弘大のヨット部が「溟風」を出したとき部長として「巻頭言」(No.1, 1, 1974)を書いた。「白帆」(1号、1, 1965)のガリ版もあった。「ヨットによせて」を書いた。

Medical Tribune の「HYPERTENSION BULLETIN」に「食塩との関連を疫学的に追究」(第2部, 1974.3.21)や「りんごと高血圧」(7(14), 11, 1974)が掲載された。今宮俊一郎君が編集をやっていた時の記憶である。「食塩と高血圧--食塩文化論の立場から」(pp10-11, 1981.7.23)も。

   

医薬の門社刊行の「医薬の門」に臨床ハイライトとして「クモ膜下出血の疫学」(14(9), 222-223, 1974)を書いた。   

診断と治療社刊行の「診断と治療」の高血圧における最近の観点として「ナトリウムと高血圧」(62(10), 1730-1733, 1974)を書いた。

青森県環境保健部が弘大医学部の教官を助言指導者として呼んで職員研究発表会を企画したことがあった。「あすをひらく」として発表会第7,8集として刊行(1974.12)された。意見など記録されている。何回か続いた。

心臓編集委員会が編集の「心臓」(HEART)という雑誌が医事通信社から刊行されることになったが、巻頭言として「NIHON-SAN Studyによせて」(7(4), 407, 1975)を書いた。

   

永井書店刊行の「綜合臨床」の臨床ゼミナ−ルに「高血圧と遺伝」(24(9), 2449-2458, 1975)を書いた。

東京医学社から刊行の「臨床成人病」の脳卒中診療の進歩の特集に「わが国における脳卒中の動向」(5(12), 1349-1355, 1975)を書いた。

にゅ−ろん社から大根田玄寿先生ら編集の「脳卒中」が第4巻に脳出血の特集をやたとき、「高血圧と脳出血」(pp15-23, 昭51)を書いた。

「月刊健康」(犬飼仁郎編集)が協栄生命から出版されていた。「日本人の高血圧と食塩」(3/76:52-56)ほか何回も依頼執筆した。

  

日本臨床社刊行の「日本臨床」の脳卒中の予防の特集号に「疫学からみた脳卒中の成因・予防への手がかり」(34(1), 11-17, 1976)を書いた。

青森県医師会刊行の「青森県医師会報」の私の小宇宙の欄に「奥羽本線の記」(第182号, 105, 昭51)を書いた。その後何回か書いた。「沖縄行き」「いい日旅立ちへ」も。

日本母性衛生学会編集の「母性衛生」に第17回学術集会(弘前市)の発表「青森県における未熟児調査について」(木村スサ、成田玉栄、千葉綾子、鈴木治子、秋山有、佐々木直亮)の抄録(母性衛生,17(2), 57, 1976)が記録された。

暮らしの手帖社から刊行の「暮らしの手帖」に「中年とは?」という質問に「われわれが提唱した”中年期脳卒中死亡率”のことを投書したら採用・掲載(48号, 44, may june 1977)された。「デジタル式電子血圧計をテストする」(82号, 40-49, 1983)の特集をやった時意見を聞かれた。

    

日本医師会雑誌が差し込みの特集をやった時、「高血圧の疫学」(日本医師会雑誌, 77(2), 148-149, 昭52.1.)を書いた。

弘前大学医学部学友会刊行の「学友会誌」に「”コホ−ト分析”によせて」(pp18-20, 1978)を書いた。

日本栄養・食糧学会刊行の「栄養と食糧」に鈴木継美先生の勧めで総説「高血圧と食塩摂取」(31(4), 301-310, 1978)を書いた。

日本高血圧学会誌としての「高血圧」が刊行されることになり、第1号には第1回日本高血圧学会総会の抄録が掲載された。われわれの報告「最近の日本人の血圧の動向について」(佐々木直亮・柳橋次男)の抄録が記録(高血圧,1(1), 65, 1978)された。

   

医歯薬出版からの「臨床栄養」の対談「日本人の食塩摂取はどうあるべきか」(平田清文・佐々木直亮)の内容が掲載された。はじめ出版のはずではなく自由な放談で対談したが、終わったあと印刷したいと申し出があり了解し、記録(54(5), 413-424, 昭54)された。

日本医事新報社から刊行されている「日本医事新報」(ジュニア−版)に「私は何故現在の科目を選んだか」のアンケ−トに「衛生学」(No. 125, 30, 昭48)とESSAY「疫学的アプロ−チ」(No.148, 15, 昭50)「”コホ−ト分析”によせて」(No.184, 27-28, 昭64)を書いた。

医薬品相互作用研究会刊行の「医薬品相互作用」に第8回総会での特別講演「疫学的アプロ−チについて」(4(1),12-27, 1979)が記録された。

医学書院刊行の「脳神経外科」に総説「脳卒中の疫学--本邦人の特質」(7(7),  623-636, 1979)が掲載された。

 

Pfizer社が欧米に刊行している「SPECTRUM」という雑誌から原稿執筆依頼があって、
Salt and Hypertension」(Vol.22, No.4, 60-64, 1979)を書いた。英・獨・仏・普語版が出された。

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