脳血管性障害の疫学に対する指定討論

(脳のシンポジウムにおいて、昭48)

 

脳のシンポジウムの中で「脳血管障害の疫学的研究」の発表の機会があたえられ、ただいますぐれた研究の成果を聞くことができましたことを疫学者の一人として喜びたいと思います。われわれも20近くこの方面の研究を行ってきましたが、その成果についてはここではふれません。ただこれからは「脱疫学への展開」「人間そのものを追究する学問への展開」を必要とするものではないかという考え方に至ったことを一言申し上げておきたいと思います。

ただいまの報告は脳血管障害の終末点である死亡を発端として、病理学的死因を追究するのに疫学的方法を用いたものと考えます。これらの成果が貴重なものであることを前提として、いくつかの問題点を指摘しておきたいと思います。

1)病理学的死因と人口動態統計でいう死因とは異なるものである。人口動態統計でいう死因とは「原死因」であって、一連の事象の起因となった死因を採用する約束になっており、これと病理学的死因と同列に論ずることは適当でない。人口動態統計で得られた成果は疫学でいう一つの手がかりであって、これを今回病理学的に確かめられたと考えたい。したがって同列において時代的推移を論ずることは早計であると思われる。

2)ここでいう時代的推移の場合、加齢による推移と時代的推移を分離して考察する必要がある。今回の久山町の調査の場合、ある地域の中で一つの集団を選定し(厳密にいうとはじめの時点で障害のない人だけを選定したことに問題があると思うが)、それを追究した疫学でいうprospective studyで得られた成果であって、そのコホ−トの加齢による推移と考えられる。時代的推移は、現在のage contour, date contourによる検討にとどまることなく、時代の異なるcohortの資料が永年にわたって整備された段階で考察される必要がある。

3)死亡の疫学にとどまることなく、発作の疫学の必要がある。脳血管障害の起点は現在のところ、発作発来の時点と考えられるが、この時点での診断基準、とくに脳出血における脳内出血とくも膜下出血の鑑別、脳梗塞の前駆症状としての一過性脳虚血発作の把握など、疫学的研究にかせられた問題がある。

4)そこで得られた資料について、量的な解釈をするか、質的な解釈をするか、判断のわかれるところである。粗の死亡率、年令訂正死亡率の量的な指標、中年期脳卒中死亡率、Life lostまどの質的な指標によって把握される問題とは異なってくる。われわれの疫学的研究によると、男は女より、脳内出血は脳梗塞より、早く発作がおこり、早く死亡することが、認められるが、そこに問題を把握する立場があってよいと思う。

5)死亡の疫学で得られた手がかりとしての地域差、時代差、性差、季節差などについて、発作の疫学ではどうであろうか。今後の問題である。

6)さらに発作発来の前の状態として、われわれは高血圧状態を考え、過去10数年追究しているが、これらは小学生や中学生のようなかなり前からの高血圧状態と関連があると考えられる。また、血圧評価については、集団評価のみならず、個人評価とくに長期にわたる個人評価の必要性が考えられる。

7)これら一連の事象が、それらの人々が実際に生活している生活諸要因とどのようにかかわりあっているか、われわれはその一部として住生活、食生活との関連を明らかにしつつあるが、これらのことが分析検討される必要がある。

討議:佐々木直亮

疫学の効用の一つに疾病の自然史を明らかにしてゆくことがあり、それが明らかになれば、いわゆる予防に役立つと思われる。また集団についての対策は疫学的所見によらなければならないだろう。人口動態統計は貴重な手がかりであるが、そこで得られた手がかりを解明して行かなければならない。東北地方に多く見られる脳内出血は若くておこることに特徴があるのではないか。しかし現在生活諸条件は急速に変化している。

以上は昭和48年2月25日福岡市で行われた日本学術会議の脳研究連絡委員会「脳研連」と文部省の「脳障害」特定研究班の共催の第9回脳のシンポジウムにおける「指定討論」の内容である。医学書院刊行の「神経研究の進歩(17(6), 1123, 昭48)に掲載されている。九大の広田安夫先生の「脳血管障害の疫学」発表のあとの発言であった。昭和48年という時点で理解する必要がある。

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