無名のチロルの作曲家エドムント・アンゲラーの楽譜が発見される!
シュタムス修道院
フィーヒト修道院

エドムント・アンゲラー(P.Edmund Angerer)(1740-1794年)
 1992年、チロル地方の州都インスブルックから西へ約30kmに位置するシュタムス修道院の音楽蔵書から、同じくチロルのフィーヒト修道院(インスブルックから東へ約20km)の修道士で、聖歌隊指揮者、さらに修道院付属師範学校の音楽教師あったエドムント・アンゲラーを作曲者と明示している『おもちゃの交響曲』の写譜が発見されました。この写譜をしたのは、シュタムス修道院の修道士で聖歌隊指揮者でもあった P・シュテファン・パルセッリ(1748-1805年)でした。
 結論からいうと、今日、『おもちゃの交響曲』の真の作曲者として最も信憑性の高いのが、このエドムント・アンゲラーです。
 以下が検証と考察です。
もくじ:
1)エドムント・アンゲラーの生涯
2)フィーヒト修道院とその音楽教育
3)シュタムス修道院とシュテファン・パルセッリ
4)発見された写譜についての考察
5)アンゲラーの作風についての考察

6)ベルヒテスガーデン〜チロルから全ヨーロッパへ
7)総論
8)空想『おもちゃの交響曲』
9)後記、出典


アンゲラーの生地
サンクト・ヨハン
エドムント・アンゲラー
エドムント・アンゲラーの墓

1)エドムント・アンゲラーの生涯
 ヨハン・ネポムーク・アンゲラー(Johann Nepomuk Angerer)は、1740年5月24日にチロル地方ウンターラントのサンクト・ヨハンに住む学校教師で地元の合唱指導者、オルガニストであった、シュテファン・アンゲラー(Stephan Angerer)の息子として生まれた。父から音楽の手ほどきを受け、さらにインスブルック郊外の町ハルの児童合唱団に入る。1758年、ベネディクト会修道士としてインスブルックの東30キロほどのフィーヒト修道院に入り、エドムントという修道士名を得、1764年には新司祭としてはじめてミサを執り行った。アンゲラーは修道院内で聖歌隊指揮者として、また修道院付属師範学校内で音楽教師として活躍した。さらに数多くの教会作品やオペレッタ、音楽劇を作曲し、尊敬と名声を得て1794年に同修道院内においてその生涯を閉じた。アンゲラーの亡骸は、同修道院教会の地下に埋葬されている。


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