「責任」についての記憶

 

 この頃テレビで企業のトップが「申し訳ありませんでした」と頭をさげる場面がよく放映されている。

  一方アメリカなどへ行ったときには「どうもすみませんでした」とは簡単には言ってはいけない、「あとで責任をとらされるから」ともいわれる。

 今度のイランの人質解放に際して「自己責任」が話題になっている。

 一体「責任」とは何だと考えることが多いが、この「責任」についての記憶を書いておこうと思う。

 文字通り解釈すれば「任務の責を負う」となるが、「任務」とはというと、いわゆる労働者の場合には任務は上から与えられるから、それをしなければ本人の、その任務が悪ければ、その上の人が責任をとることになる。

 前に書いた「noblesse oblige」として”選ばれたことへの義務感”との関連でいえば「選ばれた者の責任」がある。教授になったとき、何をやるかは「青天井」であったが、何をなすべきかの義務感をもったことを思い出す。

 大学の評議員をやっていたときに、各役職の責任をどこまで負うか決めたことがあった。事務長どまりのものもあったし、すべてが学長までいくとは限らない「内規」を決めたことを思い出す。基本的には評議会の決定は学長の「掌」(たなごころ)の上にあった。いわゆる岩岡問題のときの”分限処分”のときは別であったと記憶している。今度国立大学が独立法人化したあとどうなったかは知らない。平成11年菅原教授が日本民族衛生学会をやったときだったか、ちょうど以前大学総長をやられた方が文部大臣になったことがあった。「これで大学の法人化は決まるでしょう」と東大卒のS先生と話しあったことを思い出す。

 わが国の戦後処理云々がいわれることがある。

 日本が開戦を決めたのは、終戦を決めたのはいつ誰がきめたのか。開戦は「あに朕が心ざしにあらず」は「***」を守ったからで、「終結」の決断は「***」を守らなかったと言われたとか。「***」と書いたのはいつか聞いた言葉なのだが今思い出せない。

 大元帥で軍人の長であった朕の命は下々にまでおよんだ記憶がある。「特攻隊」がどういうことで「命令」されたのかどうかは知らないが、戦後その上官は「自決」されたと聞いたことが記憶にある。

 戦後は新憲法になって「国民」が主人になった。それも議会制民主主義によって「代議士」の決定にゆだねられている。選挙が終われば国民の手がおよばないところで決定され、法によって実行される。これがわが日本の現実である。

 アメリカで「9.11」が予防できなかったかが議会で質問されている。責任がどこにあるかを明らかにしようとする試みかと思われる。

 イギリスでもブレア首相の責任が追究されている。

 日本は「多数決による決定」であろう。首相がどう思うかは「独裁」でないから首相をせめてもどうかと思う。「党首討論」が放映されているが、小泉さんは「自民党の総裁」ではあるが、討論では「党首」ではなく「首相」として相対しているようにみえる。

 もっとも「政党」の意見は「党則」でしばられているようなので、それをはずれれば「それなりの「制裁」があるようである。

 新聞の場合にも同じ問題があるようである。

「社説」をみるとその社の意見であるようだが、それを書いた人の意見であるのか、論説委員間で論議してそのまとめを書いたものなのかよくわからない。書いた人の名前をのせることが一般化しているアメリカの新聞では、だれの意見かはっきりするが、記名記事でない場合には「社」としての「責任」になるのかどうか。

 だいぶ前民間放送で若い記者諸君と語り合う番組をうけもった時の記憶では、折角書いた原稿の見出しは「デスク」が勝手に書くのだという話をしていた。先日の裁判では「見出し」には著作権はない、ニュ−スの事実を書くだけだからという解説であったと記憶している。しかし現実には「見出し」しか読まない人もいるし、それによって意見が左右されてしまう人も多いと思われる。自分が話題の中心になったときは特に強く印象される。かつて「高血圧に塩は無関係」という見出しが一流新聞にでたことがあった。それに対して「新聞は何を伝えてきたか」を書いた。

 裁判で責任が問われると「編集長」などが責任をとっているようである。昔「日本」新聞を創刊した陸(くがかつなん)は新聞は「広告」と「政見」の発表の場としてとらえていたようだ。時の政府にしかられるのは編集責任者であったようだ。昔ペンネ−ムをいくつももって世の政府を批判し「革命」の基礎をきずいた方がいた記憶がある。「魯迅100年祭」が東北大学で開催されるそうである。個人的には記名記事のほうが良いと思う。言論の自由が保障されている世の中ならば。しかし「相手への殺戮」を訴えた人は相手から殺されてしまう「殺し合いの世の中」であるようだ。

 科学的論文の場合には、「筆頭者」とか「最終者」がその論文に責任があるようである。また同じ論文に名前をつらねる人からも「責任」をもつと一筆とる雑誌もある。

 学会を開催したときに「学会誌」の編集に気をつかったことを思い出す。一字間違えても責任が問われるから。亡くなった北博正先生が日本衛生学会を開催されたとき、抄録は今でいう「FAX」(ファクシミリ:原本と同じもの)にした。先生曰く「ミスがあれば著者の責任だから!」と。

 パスポ−トには「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられる関係の諸官(all those whom it may concern)に要請(requests)する」日本国外務大臣とある。

 これは日本国として、国外に出る人に対して、日本国以外の「関係の諸官」へのお願いである。相手次第である。だから日本国以外の関係機関から一般には「保障」を意味する「ビザ」というのをもらわなければならない。

 アメリカへの長期滞在には特別に「DSP66」をもらわなければならなかった。

 今度はアメリカへ行くにも「指紋」も必要になるという。「テロ」をふせぐために個人を確実に把握しようとすれはそうなると思う。

 だから今度の事件で外務大臣が「苦言」をのべたと記事にあったが、官僚としてはまともなことであると思うし、「自己責任」がいわれるのだと思うのだが、そうではないという意見も新聞紙上に散見するのが日本の特徴である。「衆心発達論」的に考えれば、戦後5,60年平和の中に生まれ育った「平和ボケ」の中の人々が大多数を占めるようになれば、「あまえの構造」としてこうなるのだと思うのである。 

 以前のパスポ−トには「北朝鮮を除いて」という記載があった記憶がある。北朝鮮とは戦争は終わっていない国だからである。その国に理想をいだいて「日本を改革しなければならい」とかいって、「ハイジャック」した日本人がいた。まだ向こうで生活し、そのほうが「良い」といっている人がいるのを聞いたことがある。

 昔国境線をこえて「亡命」した人がいた記憶がある。

 だが人はそれぞれ考えがあると思う。「イラク」にまた行きたいという。そう考えることは自由だし、自分がそう思うならそれで良いと思う。Kさんが「長いものには巻かれろ」の現実主義か、「一寸の虫にも五分の魂」の人間的尊厳を選ぶかと書いているのを読んだが、その人の考えが国際的に認められるようになれば良いと思う。WHOの場合には政治的には左右されないと書いているのを読んだ記憶がある。

 ただ現実として「イラク」という「国」は今なくなった。だから「臨時暫定政府機構」」を6月末までにつくろうとしている。国連が手をさしのべることができるか。治安はまだ不安定である。世界革命の基地をつくろうとというメッセ−ジが耳に入る世の中である。人質をとった人々は「武装グル−プ」といわれている。今後どうなるのかと思う。

 すこし長々と書いてしまったが、年を取った証拠かとも思う。(20040420)

弘前市医師会報,304,45−47,平成17.12.15

もとへもどる