「安全」についての記憶

 

 「六本木ヒルズ」の「回転ドア−」で子供の死亡事故がおこったことを、新聞・TV・ラジオが一斉にとりあげ、あれやこれや論説がのべられ、検討委員会がおかれる話まで報道されている。

 この話を読んだり見たりしたとき、今から50年以上も前に、「安全問題」に取り組んだときのことを思い出した。

 それは戦後慶應の衛生にいたとき、「関東電気工事株式会社」の「医師たる衛生管理者」の仕事をしていたとき取り組んだ問題であったからである。

 戦後できた労働基準法によって事業社には「医師たる衛生管理者」をおかねばならぬことになって、その”口”が教室に話があって仕事をすることになったのである。学位論文もどうやら出来上がって講師になった時だったか、いわゆるアルバイトの”口”になって収入もふえることになった時代であった。

 昭和25年から28年まで”名義がし”ではなく、週に何回かかよった。たまたま会社に幼稚舎の後輩がいたり、その父親が社長だっりしたこともあり、今思うと楽しく仕事をした記憶と、そのとき自分でも「安全問題」を勉強する良い機会としてとらえていた思い出がある。電気工事会社として作業員の事故・災害は問題だったのである。この間いくつかのレポ−トを作成し、会社の広報紙にその記録が残っている。

 「安全第一」という標語があった。その意味は経営者が生産第一、安全は第二か三と考えていた時代に、経営方針として安全を第一にしたら、生産も上がったという意味て、「標語」ができたのだと記憶している。

 安全問題の中に、「1:29:300」とかいう数値で表せる問題意識があった記憶がある。ハインリッヒの法則とかいっていた。

 アメリカでの話として、死亡事故一例の背後に29例の死亡にはいたらない事故があり、またその影に軽い事故例があるものだとの認識であったと思う。

 このことは「予防医学」の原則的な考え方で、死亡事故だけでなく病死の例でも問題を考える立場であったと思う。その死亡の前の罹患、またその前の病的な状態もよく考えなければならないという意味と理解した記憶である。

 今度の場合も死亡事故があったから社会問題化したようだが、報道にあるように、回転ドアで転んだり骨折した例が数十例前にあったのだということである。

 とは云ってもわが国ではそれを証明することはできなかった。

 それは基礎になる「統計」がなかったのである。「大福帳」ではだめなのである。戦後アメリカからの指摘があってか、厚生省に「統計調査部」ができた。学生をつれて統計調査部の「パンチカ−ドシステム」を見学に行った記憶がある。パンチをうつ女子の「腱腕症候群」も話題になった。弘前へきてあとの「そらで」(田植えをする人の手の甲がはれること)のことと、高橋英次先生が苦心して購入したと聞いた備品番号2号の「手回し計算機」と共に記憶にある。

 「医療事故」の場合も同じで、患者が死亡すると大きく報道されるが、実は死亡はしなかったが「すれすれ」のことは多数例あり、事故には至らなかったが「ヒヤット」した例も沢山あるのだということと同じである。

 ところが現実には「医療不信」につながるような報道がなされる世の中であるのは、医学関係者としては残念だが、それに対して「リスク・マネ−ジメント」の専門家が育ってきて色々やるようになってきたのは世の進歩というものであろう。

 「氷山現象」も同じ考え方であったと思う。海面上に浮かぶ氷山の、見えている部分だけが氷山ではなくて、見えない海面下にその何倍かの氷があるということを考えよということであったと思う。

 伝染病の場合にも、罹患者として認識される人だけでなく、「不顕性感染者」が存在するという認識は、いまだに”素人”には理解されていないことだと思う。医学を学んだ者は一応このことは理解しているとは思うのだが。

 その後「疫学的」研究とか考察とかいわれるようになったが、「予防的」に考えることと共通点があるように今思う。

 「糖尿病予備軍」などという言葉もでてきた。でも臨床家には疫学者の云うことが理解されていないと思う点もあるが、ここではふれない。

 私が昭和29年に弘前にきて、「あたり」「高血圧」の問題に取り組むことになるのだが、前に勉強した「安全問題」「予防」があったことと無関係ではなさそうである。

 「安全問題」に取り組んだときも、アメリカの資料などを参考にしている。すでに50年以上も前にそれなりの論文があったのである。それを自分なりに「翻訳」したり「わかりやすく実施方法」を書いたのだが、残された記録を今見ると読みとれる。

 今時の若い人が勉強していないのであろうか。そうとは思えないが、そんなことは知りませんでしたでは「専門家」としてはどうかと思う。「安全工学」とか肩書きのある「教授」とかの肩書きにある人へのインタ−ビュ−の放送が耳に入ってきたが、何か数十年タイムスリップした気持ちになるのは、年寄りの幻想なのであろうか。

 

衛生管理者:医学博士・・・・の記録である。

1 衛生管理について 25.10.9

2 赤痢にどうしてかかるか 

3 衛生管理報告 26.9.25

4 電工の災害予防について 27.2 関東電気工事株式会社

5 電撃傷について 27.4.27

6 昭和27年度定期健康診断報告

7 救急法について 27.2 関東電気工事株式会社

8 改訂救急法について(医者にかかる迄の事前処置) 27.9 関東電気工事株式会社

9 結核管理のやり方について

10 人工呼吸法について

11 塵埃ほこりの調査について

12 西部支社における照明調査について

13 電気工事の災害は防止できるか?

14 疲労症候調査の成績について 関東電気工事株式会社

15 脳溢血を心配しておられる方へ 社報 3巻1号 28.1.1.16-19

16 はしごを用いるとき どんな事故がおこるか 社報 3巻4.5号 28.5.1. 29-30

17 災害を防止するために心理学は何を教えるか 社報 3巻7号 28.7.1 13-15

18 昭和28年度定期健康診断報告 社報 3巻7号 28.7.1 15-19

19 班長として心得ておきたいこと 社報 3巻8-12号 28.12.31 47-49

20 これだけは知っておきたい救急法 電気工事の友 Vol.7No2, 22-23, 昭29 

  

 社長のところに「今度弘前大学へ赴任することになりました」と離任のご挨拶にあがったら、「”ドサ回りですか”」と云われた言葉が耳に残っている。本社から地方の支社へ赴任するのかとでも考えたのであろうかと思った。本社近くのうなぎ屋でごちそうになった「ふたえ(二重)のうな重」とともに記憶にある。

 

 追記:

 航空事故に関して、「免責」を前提にその事故について関係者から聞き取り調査をするという話を読んだ記憶がある。同じような事故を再びおこさないように。このことを知ったときに、「医療事故」についても同じことができないものかと考えた。

 歴史的にいろいろのことがある。かつて医師は”奴隷”であった。”侍医”であった時代もあった。医師が”みたて”が悪く患者が死んだりすると、医師は殺されたりしたことがあったと読んだ記憶がある。戦後台湾の友人から聞いた話の記憶では、そんな時に医師は生活できなくなり追放される状態で、だからアメリカへ逃げてゆくのだと。

 わが国でも医師は事故がおこると、たえず追究される世の中であるようである。それを「免責」を前提に事故調査がされる時代がいつくるものかと思う。同じ様な事故を「予防」するためには、一例でもそのよってきたる要因を出来るだけ知らなければ出来ないと思う。 

 「わがモルモット諸君へ」のレタ−を書かれたキ−ス先生のことを思い出す。

 医師の一部は「よくばり村の村長だよ」とT医師会長がいったとか。

 医師の行為が全て「善」にもとずいているという前提は理解されないのであろう。

 たしかに一部精神異常とみられる人もいるだろう。古墳の遺跡を自ら埋め込んで発見者としてちやほやされたい人もいるだろう。科学的論文を「ねつ造」する人もいるだろう。有名新聞の有名記者の書いた文が「ねつ造」であったとの報道もある。

 だがそれは全体からみれば一部であろう。

 「人が犬にかみついた」方が報道されるが実際には「犬が人にかみつく方」が多いのであろう。

 事故を起こした人を責めるだけでなく、その人の良心にもとずいた情報を知り、それを将来の「予防」に役立てて行く方が、結局は今生きている人々に役にたつのではないか。

 ”絶対的に”事故の起こらない方法など”永久に”ないと考える立場である。

 人は過ちをおかすものである。

 「疫学者」としては、「demio」「人々におおいかぶさる」問題を考える立場である。

 事故も沢山の要因が重なりあって起こるものだとの認識である。

そして「あなた確率を信じますか」になるのであるが。

 大リ−グ開幕の始球式に小泉首相と一緒に投げたニュ−ヨ−クのジュリア−ニ元市長の紹介記事に「破れガラスの理論を実践した人」というのがあった。英語で何と云われているのかは調べる暇もないが、ニュ−ヨ−クを立派に立ち直らせた人ということであった。ほんのつまらにない「事」をまず無くすことから始めたら見事全体がよくなったと捉えた。(20040407)

(弘前市医師会報, 302,39−41,平成17.8.15)

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