生あるものは死を迎える

 

 大分前のことであるが、老人医学を勉強し始めた後輩から「如何に長生きさせるか」を研究しているのですと手紙をもらったことがあった。それに対して「老人は如何に死んでゆくかを考えているのです」と返事をしたことを思い出す。

 1800年にイギリスで第1回の国勢調査が実施され1841年作成の人口動態年報に収録された「生命表」に、「英国民が生まれ死にゆくまでの死亡秩序」が把握されていたことを時の宰相グラッドスト−ンが見ていたく感激して統計局長官に手紙を書いたというエピソ−ドが衛生統計の歴史の中にあったというのを読んだあとだったかと思う。

 この世に生を受けた者は何時かは死を迎えるのである。

 いつだったか老人大学かで、元気の良い老人が「200歳までガンバって生きて!」とかいって挨拶をしていたのを聞いたことがあるが、「あなた確率を信じますか!」で、現実を素直に認めなければならないのである。

 昭和を代表する作家といわれた丹羽文雄氏が100歳で亡くなったとか。色々とエピソ−ドが語られている。

 100歳というと昭和天皇が植物学を学んだ先生の誕生日に贈り物をしたとかいうその先生が100歳で亡くなったという小さい記事を昔みて、そんな死に方が羨ましい!と思った記憶がある。

 キンさんギンさんが長寿者として有名になった時分から、「長寿」とか「寿命」が話題になってきた頃、「寿命と平均寿命」という題で書いたことがある。

 「平均寿命」は科学的な一つの指標で、ある仮定にたって計算された数値であるのだが、世の人はそれぞれ自分勝手な解釈をして文章を書いたり喋ったりしていることを指摘した文であったのだが、未だにその数値は理解されていないようである。

 今年のお正月の挨拶に「私も杉田玄白が耄耋独語(おいらくのひとりごと)を書いたといわれる歳を迎えました」と書いたが、今や皆さんが長生きするようになったことは喜ばしいような又年取ったことを実感する方が多くなったことも事実であろう。

 昭和32年に秋田県の人口約5千の西目村で調査を始めた頃、村には80歳以上の方は殆どいなかったことを思い出す。資料によれば80歳以上の男性はいなく、80歳以上の女性の方の血圧260以上とあった。その方であったかは確かでないが、村の広報誌の表紙に長寿の方のおばあさんの顔写真が載ったことがあった。数日あとその方が自殺してしまったことは記憶に残る出来事であった。その方の心の内は知るよしもないが、「昔はもっと美人で・・」という話が語られていた。

 福沢諭吉先生が第1回の脳溢血の発作かあったのが満63歳で、明治34年1月25日再発作があり、10日後の2月3日に満66歳で亡くなったのも今思うと随分若く亡くなったという思いがある。血圧についての記録はないと土屋雅春君が「医者のみた福沢諭吉」(中公新書)に書いている。 

 宗教とか文学には「死」を取り扱ったものは多いという印象がある。それを学問的に検討したわけではないが、思いついただけでもいくつかはある。

 私にとって記憶にあるのは、「淡島椿岳」の「今まではさまざまの事して見たが、死んで見るのもこれは初めて」である。身近な人だからである。(20050428)

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