Part 1

英子さんへの第1信(昭和20年12月8日 紀州田辺発 東京宛)

 「英子さん 元気ですか 東京の生活如何ですか 机に向い或いは友達と話し会ひ一生懸命勉強して居る君の姿を心に画いて居ます。僕は佐世保の終戦事務の一段落着いた所で転勤 大阪の復員収容部として紀伊田辺にやってきました。気候風光良い田辺、かつては物資豊かであっただろう田辺も物価高に深刻な一面をもって居ます。復員船が入ってくるのは何時の日か 目下休業の形です。そしてこれは普通の葉書の文句です。分かりますか? これから本当の英ちゃん宛僕の第一信を送ります」

「これから続けて書かれる文章は僕のいつわりのない姿です。僕の本当の姿としてくんで下さい。そしてそれに対する英ちゃんの頭の中も書き綴って僕宛送って下さることを約束しませう。 僕が自分の日記に書きしるした事、人にみせる日記ではありません。自分の心の頭の発達をあとからふり返ってふり返り将来への指針ともしたいと思っている様なことをそのまま英ちゃんに送ります。綴ってとっておいて下さい」

「先日お宅へよった日大雨大嵐でしたね。おかげであの日大阪駅へ出てみて山陽線が不通になった事を知り困ってしまいました。でもその晩は京都の杉山様に一夜を明けました。翌日京都発尾道から機帆船(ポンポン船)で門司へ佐世保には案外無事につきました。あとから考えて最も良い道を選んだものと自分ながら感心した次第です。でも尾道から門司の一昼夜の船旅に闇の運賃六十五円也を払されました。往復の旅行は散々だったとはいへ一大収穫は英ちゃんに会った事でした。その日の日記には次ぎのように書いてあります」

「此の日僕にとっては次ぎの時代を画する一日であった。それは大阪の彼女を訪問した日の事だ。雲仙よりの求婚状の相手それは山本の英子さんである。一介の海軍大尉として何時出征するやもしれず英ちゃんを持てば安心して出征出来る気持ちがしますと、素直に申し出たものだ。その気持ちは男としてこの世に生をうけ自分の正しい子孫を後世に残したい切なる望みがあった。それがはたして個人的な単なる欲望であるかどうか それは大いに反対するところであるが 自分の子供を持ちたい気持ちからであった。斯かる時停戦ー敗戦の現実を見 日一日が過ぎ去って行った 戦いは終了した。 あとに残ったものは将来の展開する日一日である。休暇をもらい篠山へ帰り大阪へよった次第である」

「英ちゃん それはかつて僕の胸をときめかした彼女であった それは成長しそして美しく感じた彼女だった かつて胸がもえたものが一日現実になってきたのであった。彼女はそれは単なる美貌の存在だけではなくなっていた。理知のひらめきがあった。物事を考えようとするものがあった。物事を疑う心があった。そしてそれを全部発表する素直さを感じた。物事の見方が真っ直ぐだった。話して居ても何の不自然さを感じた事がなかった。自分から僕に正面からぶつかってくるものを感じた。積極性があった。それに対して僕はどうであったか。僕は今までの通りだった。何のつくらいもしなかった。僕の父母の教育慶應の教育海軍の教育から体得したもの判断をそのまま発表しただけであった。体の事もかまはずしゃべった。何の心配もなく又何の心配もいらぬことも。英ちゃんの顔や体をみてこれが将来一生妻となるのだと思うと何か幸福感を感じた。然しそれは瞬間的な肉体的なものではなかった。今まで終戦以来だらけた居た僕の体精神に大いに緊張感を与えへ将来への光明となり将来への力づけになって居ることは否定することは出来ない。そしてそれをしみじみ感じ身のひきしめるのを実際に感じた。それから大いに勉強しよう 一切のでなほしだ 一生の問題 一生の研究 勉強の連続」

「あれから二カ月余経過しました。日一日展開する日本の現実はどのように進んでいるのでしょう。停戦敗戦これはあくまで日本に対する厳粛なる事実だと思います。アメリカは再度日本の門戸をたたき遂に開けたといっています。新しい日本の再出発だと云います。これがはたして本当の姿でしょうか。自由主義それは彼らの標題にすぎないと思ひます。この頃の新聞をどう読みますか。あの日以来がらっと変わった論議これは今まで否定されて居た一面が舞台変わって表はれたもので本当の言論の自由というものかどうかは良く考えてみる必要があります。聯合軍をまともにみて何を感じますか。彼らはやはり金持ちです。豊富な物資に物をいわせています。今までとざされた居た眼には恐ろしさを感ずることがあります。良いものは優れて居るものはどんどん取り入れるべきでしょう。然しアメリカは如何に日本を料理すべきかと思っているのにちがいありません。自分の心を失ったときそれは日本の滅亡です。魂なき日本になってはいけません。若い者はあくまでもしっかりしなくてはいけません。然し学ぶべきものは必ず沢山あると思います。婦人参政権がゆるされました。女子の問題 自由民主主義これについて女子大の皆さんの考えはどんなものですか。盛んに論議が戦わされて居ることと思います。大いに勉強して下さい」

「慶應を開かれた福沢先生の本を読んだことがありますか 岩波の福沢選集の中の学問のすすめ女大学評論 新女大学等々 一度読まれることをすすめます」

「僕の書いた事分かりますか 一部ひょいひょい飛んで行く様な所があり 変な文章になりました。思うまま頭にうかぶままに書いたのでこんな文になりました。英ちゃんよりの便りを待って居ます」

 十二月八日

英子様        直亮

(和歌山県田辺市文里 旧田辺海兵団内 大阪検疫所)

英子さんより返信第1信 (昭和20年12月22日 大阪発 21年1月6日田辺着)

 

「師走も残り少なくこの二三日殊に寒さがきびしい事が御座います。ご無沙汰に打ち過ぎ失礼申し上げておりますが 南海田辺の生活如何でいらっしゃいますか。母も心にかけていた伯母が重病の為何かと取りまぐれ失礼申し上げておりまして 悪しからずお許し下さいませ」

「風光絶景みかんの香も高き御地に羨ましく存じます。終戦数ケ月漸く町にも戦前の姿を少しづつ取り戻し箒もバケツの自由販売さへも私達に何か喜びを与えてくれます。今年の冬休みも汽車の都合で早く先日帰宅致しました。東京も随分趣を変え殺風景の廃墟にトタン屋根生活を営む人露店ジ−プ殺人電車等敗戦の寂寞を痛感させるので御座居ます。文化都市とは凡そ縁の遠い存在の様に思はれました。私は再び学生生活にかへって数週間とらはれのない楽しい生活を送ってま居りました。学校と寮のみでは社会とは没交渉であるこの生活は帰って思えば本当に温床でした。帰っての一週間見るもの聞くもの敗戦後とは申し乍らあまりにもすくすくと育たない淋しい問題が多く御座居ます。今こそ私達は自覚を新しく理想に生きて行かねばなりません。現在は未曾有の過度期で私達に与えられた問題は深く考えさせられる事が山をなしております。一生を通じて一番思考する私達の年頃にこの大試練が見舞ってくれた事はかえって幸いだと存じます。最近の反省をめぐって随分前書きが長くなってしまいました」

「さて私の心境・・家を離れて居る者が帰宅してみると時代の波とは云いながら社会をおびやかして居る風説が将来家のなり行きを考えさせられ何ともいえない心配がおしよせてま居ります。これは私個人がいくら心配しても仕方がないという事が万万承知して居るのですけれど これとは別に私達の問題を中心として考えてみますと吾家は丁度巖頭に立っていると思います。前方からそして左右から大きな波小さな波が打ち寄せております。この岩は大きな面積をもちながら中心(重心)がないのでしょうか。対抗する力がありません。押し返へされず波は遠慮なく頭の上に降り飛び乗り切るには逃げてしまいます。考えれば考えるほどわからなくなってしまいます。簡単に考えればそれきりかもしれませんが けれど人生で一番大切なかけがえのないそして死ぬまで永続する結婚に関してはそうはま居りません。母と二人あれこれ随分考えました 家事多忙のためあなたにも少なからず悪感情を抱かせした事を恐縮致しております」

「過度期なるが故に将来は暗黒で不安がみなぎって居ます。それに加えて父の存在がない為に母はどれだけ過去においても苦しい立場を乗り越えて来たかわかりません。私が親孝行をしようとした事がかえって親不幸になるとも限りませんがそこでこの問題は結局私が最初直感した事に帰着するのではないかと思います。即ち親類はさけたいといふ事です。あまり突然でおわかりにならないかも知れません。この手紙で私があなたに一番素直に誤解なく私の苦しい立場を理解して頂きたくて特に筆を持ちました。二人の問題は第三者を入れて曲解を生じるより本当に美しく明るく二人の気持ちのふれあいで解決したいと存じます。この結果は決してあなた個人に関することではないといふ事をはっきり分かって頂きたいと思います。結婚が両人の理解によると云えば確かにそうだと思ひますが 今の場合 スム−スに行かないといふのは そこに心痛が御座います。本当の意味での好きさらに幸福不幸は結婚前にわかるものではないと思ひます。一家をなすことになって 二人の力に依って努力建設が幸いにも不幸にも表はれ 更に両人間の真の理解にまで入ってま居ります。それで事前に個人的にああだこうだといふのではないといふ事を分かって頂き度いと存じます。両家が親類なるが故に母は人一倍考え気を使って来た事が御座いました。一方では何事も親子になって迎えてくれても 他方では一事に万事けちをつけ気持ちよく与えてくれません。これが父のある家庭では聊かもとらはれる事なくて行く事が運命のいたずらが やはり弱い私達の気持ちを駆り立てるばかりでなげうってしまえばよい様なものの法はそうとも許してくれません。最初私なんかどうしてでしょうと本当の所わかりませんでした。東京は広いのですもの。お話ししたら分かって頂ける方は沢山ある様に思ひます。来春には昔にかへって親類の”直ちゃん”で家にお遊びにいらして下さいませ。こんな時こそとらわれる事はいけません どうぞ妹弟をご鞭撻下さいませ。このあまり愉快でないお便りも私なりに積極的に信じて認めました。私達はまだ若いのです。女として若くないかもしれませんけれど 気持ちの上では子供の様なお姉さんの様な所です。お互いに希望も理想も大きく持ちましょう。」

「女子大もいよいよ大学に昇格されるとか云います。本当にもっともっと勉強せねばなりません。今度隣組の子供達の希望でクリスマスを催したいと目下計画中で御座います。警報に神経を凍結させて居た子供達に喜びと温かさを呼んで上げたいと思っております」

「長い一生の中 美しいメロデイ アパッショナ−タを聞き終えた様な興奮から覚めた淡々とした気持ちです。将来私達の間に存在する理想を画いておりますが 何時か お話出来る日があれば幸いと思っております。何とかして私の気持ちをすっかりお伝えしたいと思ひ乍ら 至り尽くせないものになってしまいました。益々寒さが加わってま居ります。何卒充分ご自愛遊ばされ下さいませ。佳いお年をお迎えます様 お祈り致しております。 

十二月二十二日認む      かしこ   山本英子

 佐々木直亮様 お前に」                  

年があけて 英子さん宛第2信 (昭和21年1月7日田辺発)

 

「拝啓 今日桜井でお別れしてから数時間後無事田辺に着きました。

大変忙しい中をお世話になって有り難う叔母様に厚くお礼を申しあげておいて下さい。

出たときと一寸も変わっていない田辺に待って居たのは昨年末の二十二日付のあなたの手紙でした。

何回も何回も繰り返し読みました。

今窓の外に波の音の聞こえるほど静かな一室でこの手紙を書いています。

封筒を机の上に置き眼をつぶって頭の中を整理したその結論から書いて行きます」

「英ちゃんの顔がうかんできて眼と眼が会うとき僕の心は英ちゃんの眼の中に入って行くにごりのない素直の気持ちのふれあうのを感じる僕がこれまでこんな具体的な頭で女の人をみつめたことがあっただろうか かつて学生時代電車の中で”ああ美しい人だな”と思える人にあったことはたしかだ それが近頃はどうだ 九州から大阪に幾らかお化粧ばえのある人は居ても見つめて不自然さを感じない人は居ないではないか 恋という字が許されるなら僕は恋をしているかもしれない ああこんな事を書いて来る英ちゃんが益々愛らしくなって行く気がする 好きなんだと 僕には英ちゃんを愛して居る 世の中に片思いといふ言葉がある以上 片思いといふ場合もあり得るわけだ 然しそれは不幸なものの一つになることだろう」

「僕がこんなロマンチックな感じをもって居ても 女はもっと現実的かもしれない だが然しこの手紙にはわ分からないことが沢山ある 本人は自分の気持ちを至り尽くしていないと書いている それは単なる外交辞令か」

「社会をおびやかしている風説とは何だ 英ちゃんの心を痛めているものは何だ」

「叔母様はご主人を亡くされてお子さんをかろうじて大きくなさる上に大変なご苦労があった事は拝察致します。 英ちゃんは親孝行だ そしてあくまでも親孝行でありりたい それはよい大切な事だ 僕と英ちゃんと一緒になることがお母さんに対して不幸になるのか対親戚の義理とかいうものがお母さんを或る苦しい立場に置く可能性があるのか だから親戚というものをさけたいのか分からない。 分からない 分からない ”私の苦しい立場”とはどほいう立場か ”長い一生の中 美しいアパッショナ−タを聞き終えた様な興奮から覚めた淡々とした気持です 私達の間に存在する理想も画いておりますが 何時か相談出来る日があれば幸いと思って居ました 何とかして私の気持ちをすっかりお伝えしたいと思いながら・・・と心を痛める文句がある」

「最後に篠山で読んだアンドレモロワの結婚友情幸福からのぬき書きを書いておきます。

恋する人々が相手を信頼しきった平等感の中に隔意なき生きてそれは最も純粋な最も完全なものになる””私は永久に自分を束縛した 私は選択した 今後私の目的は最早自分が気に入る者を探すことではなく 自分が選んだ者の気に入ることであろう””結婚はこれからなすもので なされたものではない””神様だけがご存知だ 僕は幸福を手に入れるだろう と考えて富くじでも買うつもりで結婚してもそれは全然だめである それより寧ろ作品にとりかかる芸術家の心境でぜひ結婚しなければならぬ ここに私がこれから書かうとする活きようとする一遍の小説がある 既に出来上がって居る二人の性格の隔たりをどうしても承認しなければならない事を私は知って居る だが私は成功したい 私は成功するだろう”と夫も妻も心のなかでいうべきであろう」

「(”理想” 理想はあくまでも高く 常に反省し 着々と基礎を固めて行くことを”恋愛結婚” 僕には僕としての理想がある、やがて来るべき人に 自分自身 大いに努力して居る)・・・しかしこれは四年前僕が書いた文の一節です。やがて来るべき人 それはもう決めてしまった様な気がします」

「以上 僕が一方的な感じ 頭の中をのべたままである」

「僕は英ちゃんの心を束縛しようとは思はない 又思ってもできることではない 知りたいのは 英ちゃんの本当の心である」

「結婚に対する英ちゃんの考え 全面的に賛成です。 だが親戚はさけたいといふ君の直感は分からない」

「”この結果は決してあなた一個人に関したことではないとことを分かっていただきたい”と書いてある。これをどう解釈してよいのか」

「僕には英ちゃんがもっと勉強して実力をつけてもらいたい一心である。さらにこれから先よりよき候補者が表われ あなたをとりまくものの中から英ちゃんが最後の断を下すことは勝手である」

「僕はあくまで競争し 僕の信念でぶつかって行くまでである」

一月七日

英子様    直亮」

英子さんより第2信に返事(昭和21年1月21日大阪発 26日田辺着)

 

「寒さの中にもあたたかに日の光に春のきざしを感じています。先日はお便り有り難く存じました。ご返事をと気にかかり乍ら藤本家の出生やら伯母の病気のため取り紛れ落ち着いて筆をとる時間が御座いませんでした。伯母も看護のかいもなく遂に昨日早暁死去致し本日近親相寄り葬儀を終えました。思い出も多くさし上げた写真を撮る時も白障子等助手の役目をして呉れました 母もこれから随分淋しくなることでせう」

「何時もお出で頂いた時十分おもてなし出来なくて残念でございます」

「さてお手紙拝見して最初は何の涙か涙が出て困りました。自分でもわけのわからない涙でした」

「あの手紙は読んで頂いてよかったかわるかったかわかりません。でもお互ひには嫌なものだったと思います。あれからいろいろ考へてみました。今迄私は結婚というものに対して消極的で客観的すぎた所があったと思います。すまなく思って居ます。自分から飛び込んで行けばまだまだ開かれる道があるのでしょう。女はこんな時代では余計現実的でしょうが かへって私は夢を追いすぎて現実生活がお留守になって居る様な気がします。夢といても直ちゃんの実現的なものより 理想と妄想の中間を行く様なものが多い様です。これが女をある時は夢中にさせたり或る時は迷わせたりします。そして結局決断力のないどうしてよいかわからないものにしてしまいます。私は目下この事に十分注意して居るつもりです。が女性はやはり受け身のものでしょう。引っ張ってもらえば案外懸命について行くものだと思います。直亮さんも何かはっきりした心のよりどころをおつかみになりたいのでしょう。私も何時もあっけない様な事ばかり云って自分乍ら物たりない様に思います。が女なるが故?はっきり口ではいえませんの。私の本心をお聞きになりたいお気持ちは尤もだと思ひます。でも手紙ではかえって何とお答えしてよいか お話して居る時の方が本当の気持ちをくみとおて頂ける想いです」

「先拝借致しましたご本女子大学評新女子大学面白く読ませて頂きました。そして今日まで推量できなかった大人の気持ち(母の未亡人としての等ちょっとしかられそうですね)等感じられました。将来の指針として興味がありました。親孝行の如何、親類の事などお心におくばりになった様ですね。親孝行は近い将来の事だけではなく遠き将来私達が努力次第でどうにでもなることがわかりました。少々嫌な事もあり見返して見る位になって報いたいものです。うるさい親類の人、こんな事は親類間であまり云いたくありませんが御想像で十分おわかりになりますでせう。赤の他人にまでとてもひどいことをおっしゃいますのよ。名のみかこちらの感情を害し迷惑な事の多い人達より情の深い他人の方が余計親しまれる事が多いのです。そこで親類間ではうるさい嫌だから他人の方がよいと思ったものでした。それから直感で嫌だと思ったのはまだ何も手紙の時感じた事であまり幼稚で又可愛い事をいふと笑われますから 恥ずかしいのですけど・・・」

「問題にぶつからない時々 自分のある一つの像を画いております。これは頭で構成され全然見たこともないんですから 知っている人より他人の方がロマンチックに感じられましたの でも今はもうそんな事は考えておりません」

「アンドレモロワのぬき書きはどれもうなずけました。本当にそうありたいと思います。人間は一人では一人前になれないと云います。まして女はたしかにそうです。あなたの四年前に書かれた一節。”心からの恋愛はお互いの人格をきめ高めるものであることを信じたい”とおっしゃるのは私もそう信じたいと思います。結婚した夫婦がお互いに精神的淘冶を忘れがちにあるのは物足りなく淋しい事です。これが人生の最も美しい姿であると思います。こういふ点で引いていって下さいませ。世間をみる目も頭も変わってまいりましょう。女子大もいよいよ大学令になりそうです。過去三年名のみの生活学問に追われて来た様で最後の一年十分補いのとれる様に頑張りたいと思っております」

「伯母の病気で延期しておりまして上京も今の所二八日にする予定で御座います。家ではお手紙の検閲官が多くて困ってしまい あまり刺激のつよい事は後で困ります真実真相を無視して第三者が読んでも徒に変なことになって・・・」

「最後に健康と明朗を持ち続けて理想実現にお励みの程祈り上げます。あまりほかの事ばかり考えてお勉強がお留守になる様な事がない様に遊ばしてください。それが心配で御座います。あなたの信念にあくまでもぶつかって下さい。神はよくはかって下さいませう。競争のことはご自由で御座いますけど」

「今日は随分ざっくばらんに書きました。まとまりませんでしたけど 何卒ご判読くださいませ」

一月二十日認む    直亮様   えい子」

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