Part 2

直亮より英子さんへ(昭和21年1月28日田辺発)

 

「丁度今晩大阪駅で汽車を待って居る英ちゃんの姿を心に画きながら筆をとります」

「先日のお便りとても嬉しく読みました。何故って? その日の日記に”英ちゃんはやっぱり僕の見た英ちゃんに違いなかった 今迄の何かさびしい気持ちがさっと晴れて心からの喜びの情にゆりうごかされたのを感じる 率直な所 涙が出た それを喜びの涙が よろこびの気持ちがわいて来た。僕にも何の涙かわからない涙が出た”この気持ちは英ちゃんにはきっと分かってもらへると思ひます」

「英ちゃんのざっくばらんの便り本当に良いと思います。本当に目の前で話し会って居る様な気がします。それが本当の便りだと思います。以上は人間の最高の魂の結合です。 分かるでせう」

「さて以下僕の近頃考えて居ることを書いて行きます」

「英ちゃんは僕の良い所と悪い所(長所と短所)をあげることが出来ますか」

「会うごとに便りするごとに考えてみて下さい。僕も君の良い所悪い所をしっかりつかんで行きたいと思って居ます。顔の美しさ外面的な美はつくろいは一時的なものです。つき会えば付き合うほどその人のあらが気がついて気になって最初の印象が忘れられて行くものです。恋いは人を盲目にするということがありますが、それは楽しいものであったとしてもやがてはさめるものです。その意味で相手の悪い所をつかめたら大したものだと思います。そしてその悪い所をのみこんでかかれば問題は良い方へ進むにちがいありません」

「此の頃の世の中 世の有様 日本 どのよ様に君の目にうつりますか 女子大の生活を如何におくるべきか これも君の頭のどこかにある問題だと思ひます。僕が学部へ入った時同じ様な事を考へた事があります。その時は自分自身がどんな人間であるかをしっかりつかみ どうどの様に自分を生かすべきか 自分の最も生かして生活したいと考えへたものでした。それから数年 今だに自分をどうしたら生かせるか分からずまよって居ます」

「最近読んだ本の中に ”教育即彼らのあらゆる人間性を具有し自己の天性と本質を熟知すると同時に社会の本質や状態に通暁して完全な権利者として社会にでてゆくのである”と書いてありました。これだけの自信のもてる大学生活がおくれたら幸福であったと思いながら 自分の勉強の足りなさを痛感します」

「所謂女子大出のオ−ルドミスと云う言葉があり実際にかかる人をみることは出来上がった性格と自分に対する自信と男に対する失望がそうさせたかもしれない不幸な人ではないかと思います。男として一方的な考へでは未完成な いはばこれからの自分の思い通りになるものを欲するものであるけれど 英ちゃんに対しては およばないものとしてすがられるといったものよりも 又君は君として考え行にお互いに影響されたいと思う心の方が強い気がします」

「福沢先生(僕は小学校の時から先生で教えられてきました)の本をどのように読んだか知らないけれど 女性の人格を全面的に認めて居る点では同感です。日本では現在女子に参政権が与えられ女性の解放が叫ばれて居るが本当に日本の女性が獲得したものでないことは何か非常に弱々しいものを感ずる所ですが(日本全体が自由を獲得させてもらった−本当に自由であるかは尚考察を要しますが)何故そうであらねばならぬかを深く考へてほしいと思います」

「今迄得た印象では民主主義といい婦人の解放といい大きな世界的な流れである様に思はれます。ただ日本だけが封建的な思想(相当根強くはびこって居ます)にとどまって居たように思はれます」

「現在の社会的不安の原因が何であるかこれが解決策は将来はどうなるか等事が多いのだけれど結論として自分がどう生きるべきかと云うことを次ぎの様に考へて居ます。即自分は出来上がったものの中に或いは安住の地を見出そう生活しようというのではなく将来かくあるべきだといふ自分の社会に対する矛盾がいくらかでも得られる得る様な地に住みたいと思っているということです。若い者の気持ちはある安定な地におちつくということいわば現実の安易な妥協を認めないということです」

「日本が負けたことに対して国家総反省が要求され皆がはだかになって立直らねばならぬとき老いたるもの(現実には家族をかかえたもの)は今迄の自分のきずいた地盤に居すわろうとしてそれにあくまでくっついて行こうとするのに対して我々若い者はもっと徹底的にはだかになり反省しなければ日本の再建はできないと思ひます。然からば実際にどうするか。 それが目下の大問題になって頭の中をめぐって居ます」

「田辺は復員港に決定次第 いそがしくなってゆくでしょう」

一月二十八−二十九日

英子様      直亮」

英子さんより(昭和21年2月17日東京発 2月21日田辺着)

 

「随分春らしくなってまゐりました。東京は今久しぶりに雪にかわって雨の音を聞いております。お元気でいらしゃいますか。先日はお便り有り難う御座いました。お室の人の手紙が検閲になっていたのでドッキトしましたが無事だったのでホットしました。こんな事はまあないのですけど」

「東京は相変わらず雪がきえないで寒くて驚いてしまゐました。でも今年は風邪も一度もひかず栄養失調もお室のいたずらで何とか切りぬいてゐます。東京は都電で通ってみても随分焼けておどろかされました。日比谷の辺りは戦時と変わって進駐軍が闊歩してゐますし素敵なバス等が走っていて何だか他国にきたみたいです。日本人の多くは男女学生で復員姿もまじってゐます。学校はやはり学生にとって楽しい所です。世間に立ち上がろうとする空気躍動する血が感じられるのに新しい風がふかないと淋しいものです。動員中に力を失った感があります。最後の一年間青春の喜びを満喫したいと思っております」

「お手紙に書いてあったこと同感です。しっかり見つめてぶつかてまいりましょう。人格の価値を認める事も難しい事ですね」

「紀元節の前日藤本に行きましたら皆肥って元気そうでした。しっかり食べているようです。子供達はこの物価高のこの時代にとらわれる事少なくのびのびと感じました」

「お便り下さいますときはミスはミスだけの心配と羨み?(若い人は殊更に対称的です)があるそうでございますから茂ちゃんになってお出し下さいませ。仮名なんてお嫌でしょがこの場合は仕方がありませんもの」

「春が来るのを待っています。    かしこ

 直亮様        えい子」

直亮より(昭和21年2月28日田辺発)

 

「便り有り難う。

田辺は昨二十四日台湾の基隆から引揚第一船を迎えました。入港が決定してからの十日間は正に活動そのものでした。今迄のいわばあてのない生活から現実の生活実行の生活に突入したわけです。受入側各部とも整備に全力をあげました。僕の関係する検疫所もまるでこの十日で出来上がったも同然です」

「あてのある生活にははりが出てきます。はりのある仕事をやることは愉快なことです。それを日に日に成し遂げて行ったあとの気持ちはたしかに良いものです。引揚者の受け入れは日本も国からみて一つの大きな仕事です。その仕事のある部分を受け持ってゐるこということはある心強さをあたへます。然し僕がここで感じるはりというものは或る感傷的な引揚同胞に対する親切とかいうものに対するはりではなくて仕事そのものに対する熱情といったものの様な気がします。(男の気持ちのある一面)これが若い者の気持ちとしてゆるされるかどうか分からないけれど その仕事が親切であるから同情的なものでものでなければならないから熱情を感じるのではなく 自分が或るやるべきだと思い考へた事を実行にうつしてそれが完成され終了されるといったその経過の中に自分を見出したときに感じるよろこびである気がします。それは辞令的な外交的表面的な実行がなくてそこに不純さのない仕事に対する実行があると思ふのです.・・・分からないかな・・・」

「早く落ち着いた基礎的な学究生活に入りたいのは山々ではありますが 今はその時期ではない いづれは来なければと思いながら現在は一般的な仕事(現在の仕事は学問的といふより社会的な雑業が主です)が又一つの勉強である ここで得られるものは出来るだけ多く自分の将来へ何かの足しにさそうとやってゐるわけです。(二十五日)」

「昨日夕第二船が台湾から入りました。沖に投錨した船に連絡船に乗って検疫に行きました。ここで検疫というのは船に伝染病が無いかどうかを確かめに行くのです。はるばる外地から内地に着いた船に連絡第一船が近づくときはやはり劇的なものがあります。引揚者の想像!期せずして帽をふり出迎えの意を表します。昨日の船は主として海軍の人達でした。船のサロンで出会った軍医は思いかげなく同期の者でした。引揚者の中に知人を見出すことはかぎりない喜びです。そしてその人達が皆海軍の階級章をつけてやってゐる中に立つときはなにか昔のなつかしさとふと振り返って現在の状態に気がついて何かさびしいものを感じさせられます。外地から帰って来た人達は一体現在の日本の中に入っていってどういふことを感じるでせう。少なくともこの一ケ年のギヤップというものはその人をとまどいおかずにはおられないでしょう。そしてそのギャップに或る人間のあさましさが感じられるとしたら 何とわれわれは考へたらよいのでしょう(二十八日)」

「今日駅で友人を送りました。田辺がまだ田舎で落ち着いた気分にあるせいか大都会でみる或る冷ややかなななざしはなく帽をとり”有り難う御座いました”とお礼を云われて故郷へ向い離れてゆく汽車をみるときには日本人同胞に対する忘れてゐたあたたかい気持ちがしらずにわいて来る感じでした。そしてこれが本当の気持ちだったのだなと深く感じたものでした」

「この手紙は仕事の合間合間に書いたので飛び飛びになりました。然し実際に物事にあたって感じる僕の頭の中はこんなものです」

「自分が科学者としてあくまでも科学的に物事を考えたいと思いながら感情に流されてゐるのを感じてゐますが 今度の仕事は日本人に対するあたたかい感情にうらずけられた自己の仕事に対する熱情でありたいと思ってゐます」

「先日の手紙に雲仙のことが書いてありましたね。雲仙には何となく懐かしさが感ぜられます。昨年の今頃は山の上の海軍病院の生活でした。あの美しい自然にかこまれて世の激戦を忘れる様な雰囲気でした。然し次は自分が第一線に出て行く気持ちで働いていました。牧落に最初の手紙を出したのも雲仙からです」

「お室の方は誰かしら? 恐らく僕のことは少しでも知っている方でしょう。 ”部員さん”(こう軍医は呼ばれていました)の事をたずねてごらんなさい。他人の目からみた”僕”がどんなものか それにとらはれてはいけないけれど 何かと参考になることもあるでしょう」

「田辺にも雨毎に 春が近づいてゐます。復員船も次々と入港する予定です」

「英ちゃんも元気で勉強して下さい」

英子様   直亮」

 英子さんより(昭和21年4月19日大阪発 22日田辺着)

 

「桜もちり春の色は次第に濃く夏へ迎ひはじめました。その後はお元気でお仕事にお励みの事と存じます。お便りしたいと思ひつつ妹の受験で上京したりしてゐましたのでこんなに延引してしまいました。お休みが十日のび今月一杯になりました。母は九十歳の祖母が大分衰弱してゐるので見舞いをかねて母の郷里大分に送って行き三人でお留守をしてゐます。三人だけだとかえって皆責任をもって簡単に運んで行きます。お仕事は相変わらずお忙しいですか 復員だよりを耳に傾けて今日は如何かしらと聞いています」

「この間いらしゃった時は梅がきれいでした。春にうららかさと自然美の魅力よい気持ちでした。私は次第に思ったことが云えなくなってしまう様です。はじめは心臓は何処へやらはずかしいのか?気の弱くなって行くのを感じます。なかなか口には出せなくて息がつまりそうな時もありましたわ おかしいでしょう この間は大分お互いが近くなった様に思われました。私の気持ち少しはおわかりになって? あなたに対してイエスかノ−かといふよりあの時の私の気持ちが結婚そのものに対してイエスかノ−であったといふ帰宅して日が浅いのと学生気分で余計だめでした。そして理論的にそして又日本の伝統的な恋愛と結婚に対して矛盾を感じてゐた時でしたから」

「最近男女共学のスタ−トとして男女入れ交じっての受験が伝えられてます。男女同権の立場において最高学府に学ぶといふ事を何だか羨ましく思いますの 能力や環境によって幸か不幸なのか私の場合は許されそうでもでもなく許されたとしてもきっと躊躇するだろう事はわかり切ってゐますのに行ってみたいとも思ひますの これは何かをより多く求めたいいろんな世界に満足を得たいという気持ちからなのでしょうか 現在でさへも何も努力もしてゐないのに吾乍ら恐縮の至りです 選挙も終わって女代議士が初の栄を荷負って登場しました 同性としてあまり価値のなそうな人が交じっているのを見るとため息が出ます あまりにも政治意識が欠けていて好奇心や一人は同性といふ気持ちが少なくも如実び表われてゐる結果をみてこんなつもりでなかった人も多いでせう 男の人でもきっと若い魅力的な女の人に投じた人も多いのでは! でも結果は人間的な魅力のある人でないと当選出来ないのでないかしら 女性はもっと常識的にでも偉くなりたいものだと思ひます。アメリカの映画をみても同じ地上にあり乍らかくも文化程度が異なるかと恥ずかしくなってしまいました。精神はとにかく学力的にも能率的に更に仕事のなされた結果からみて随分な違いです。敗戦の結果日本を見直してしまいます。こんなおくれていたものに満足していたかと思ひます。東京日比谷の辺りでもちょっと外国みたいに四方からジ−プ 大型バス タクシ−等 みなアメリカのスピ−ドで走って来て田舎者も横断できなくて逃げ回っていましたの 女の人も颯爽と闊歩してゐて服装は活動的に 隙だらけの日本人は哀れにかんじました」

「恋愛・結婚を封建時代のままを最も普通な正しいものとして履行してゐる姿は外国人から見たら同情ものでせう 人生を有意義にそして楽しく価値あるものとしたいを願う私達にとって割り切れない せしめられる不満を感じます。日本人独特の行き方が今後の若い人によって良心的に作られなければならないと思ひます」

「キュリ−夫人伝有り難うございました。夫人の想像も及ばない学究的な態度に唯ただ敬意と感激で頭がジ−ンと来ます。ピエ−ルとの一つに結びつけられた清らかな情熱のほとばしり綺麗なそしてあたたかいものを感じます。精神的には世界で一番幸福な美しいご夫婦であったでしょう。科学者だけあって情熱的ですね 私は女学生時代キュリ−夫婦を理想としていたことがありました 自分自身が科学者を最も好んでゐました。実際としてあまりにもかけはなれたものである事を知ってゐます。けれど今でもあんな高潔な気持ちで結合で生活したいと思ひます。人間の頭で作られ・・・醜いものにあってゐます。大人の世界ではそれが当然の事として通用してゐます。若いうちは新しいもの真実味のある美しいものを学び望んでゐますが 次第に世渡りが上手になってといふか追究する懐疑的な心を失って現在に甘んじ悪習に浸り当然の事の様にしてゐるのは 本当に淋しい事です。人間のせせらぎの如く コバルトの空の如くありたいと思っています。何といっても精神はなごやかさ 真の誠の家庭が望まれます。毎日向上して行きたいものだと願ってゐます」

「今度は二十六日頃上京致します。美知ちゃんも今日辺り入学の通知が来るって応接室で頑張ってゐます。帰京したら最上級生で責任重大です。後輩の指導共とも自己を開拓していってもっともっと勉強しなくてはなりません」

「恥ずかし乍も綜合大学になるのですもの」

「ご健康を心からお祈りしてゐます」

直亮様      えい子」

直亮より(昭和21年6月8日田辺発)

 

「早六月の今日は八日です。あれから数十日もご無沙汰してしまひました。田辺の港も引揚者は二十万を越えて毎日仕事におわれています。今日は良い天気でした。田辺の第五十一船目の上陸作業を終えて風呂に入り今やっとおちついた所です。何か君に話をしたい気がしてこの手紙を書いている次第です」

「 東京は如何ですか。今時分は”つゆ”のうっとうしい日が続いてゐるのでないですか。こちら田辺はまだ雨も降らず良い天気が続いてゐます。時々夏の様な入道雲がみえて海に飛び込んで泳ぎたい気がします。毎日日本を出て数年久しぶりに内地をふむ人達が帰られてくるのにこちらはそれがあたりまえの様な普通の出来事の様に感じそれが各個人にとって一生に一度のことであるだろうことを忘れがちになります。そしてその中に数年会わなかった友達先輩の顔を見出すときは何か忘れてゐた昔の思い出がよみがえって来て何とも云えないなつかしい気持ちがします。長いことご苦労様でしたと口には云わないけれど 内地はどうですか?と聞かれたとき我々は何と返事をしてよいのでせうか。実際我々の生活は今どうなのでせうか。学生生活を送ってゐるものには実際は分からないかもしれません。だが僕は学校を出てからは少なくとも一人で生活してゐます。一人でという意味は自分の考えでという意味です。その僕が今の自分の生活を振り返ってみるとき何を考へるでしょう。人は何の為に生きどうして生活しそれからさらにどう生活して行けば一番よい道なのでしょう。僕にはこほいふ話をするとある人は君は幸福すぎるよ何も心配もいらんよと。それはたしかに僕は幸福な点があることは自分でも認めてゐます。この戦争で夫を失い子を失い家を焼かれ肉親をころし或は自分の家がどうなってゐるのも知らずひょっこり幾年目にかに田辺みたいな所へ上陸してくる人 まだ帰らぬ人を待ってゐる人等々 そほいったいはば戦による苦痛は少なくともといってよいほどうけていない身はそほいう人からみれば幸福なのでしょう。 それに手元の写真帳に君の姿がはってあるのをみれば」

「だがそれでは僕の気持ちがゆるされません。僕ははっきりとした信念と目標をもって進んで行きたいのです。そしてそれが未だにぼんやりとしたものであることが残念でなりません。特に終戦以来は日がたつにしたがって又疑問があるそして分からないものになって来るのです。日本といふ国 国民は一体はどうなって行くのでしょう。このことについて君の考えを知りたいと思ひます。これは君がいつか云ってゐた もとめたいもの つかみたいもの そしてはっきりしないもの かもしれませんが」

「僕は近頃の様子では マ元帥からいはせれば所謂好ましからざる人物(追放令にふれ相な)になるということ(委託学生から行ったということによって)この一事をもってしても何か自分をさへぎるものが出来た感じがします」

「近頃進駐軍となかよくなってジ−プに乗って彼らのホテルへ映画を見に行きます。一週四回それも最近流行のフィルムばかりなのはなかなか興味があります。ただ日本語の字幕等全然ありませんからこまかい思想は分かりません うらやましいのは彼らの文明の程度の高い程度の高いこと それを自由の活用して居る点です。近頃日本の映画館に回って来るのは四五年前に流行したものだそうです。それをここ一年以内のものをみておるのですからその点では東京の人達より早いことになりますが ここ田辺の端にひっこんでいると新聞は二日位記事がおくれ普通の映画は数ヶ月のおくれ時代のセンスにますます遠ざかるおくれて行く気がして残念でなりません」

「こんな毎日仕事におわれ落ち着いて勉強する雰囲気がないですが良い点をあげればまず生活の苦労は全然といってよいほどなく 食事の心配ももなく 気候もよく(女の人はあまり美しい人はいないようですが)これから夏になると毎日でも泳ぎたい時は泳げると思います。今年の夏は一つ真っ黒になる位泳ぎたいと思っています。東京へも一度出張させてもらって行きたいものです。まだ二年半もみていない東京へ」

「美知ちゃんも元気ですか」

英子様         直亮」

英子さんより(昭和21年6月25日東京発 29日田辺着)

 

「梅雨を素通りしてしまって三十度突破の盛夏ぶりでしたが今久しぶりに雨が降ってゐます。東京も毎日暑くメリケン中毒?で少々のびはじめましたが繰り上げ休暇で今日(二十五日)から三ケ月お休みになりました。お元気の様子想像しております。ご苦労様ですね。少なくとも自由に解放され学内に盛り上がってきた喜びや熱を食糧のために中断しなければならない事は学生として充ち足りない気がします」

「東京は一般的には万事栄養失調でせう。人(食)も電車も財政も。この間議会傍聴にゆきました。与党と野党のカケ合で日本の政治裏面を*いて本当の姿はかくありと考へさせられました」

「六月末頃帰りますがそれまで多忙で帰宅してからゆっくりお便り致しませう。あさつ探しでひっぱられると覚悟はしています。お休み中論文の事や引揚状況につき伺いたい事御座います。お兄様復員なさいましたか。 サヨナラ」(葉書)

  英子さんより(昭和21年8月3日大阪発  10日田辺着)

 

「一伸 あまだれとかすかな虫の音が夏の夜の風情を一層味わいあるものとして小枝を伝ふ水の音で何ともいい知れないもの静けさが感じられます。その後ご機嫌如何でいらっしゃいますか。お風邪はおめしになりませんでしたでせうか。皆で案じておりました。三十一日の午後お兄様がお訪ね下さいました。今日はきっとお見えになるだろうと朝からお待ちしておりましたが母がちょっと外出したい所があって行かうかよそうかと相変わらず迷って結局戻って来ておかしい様でした。お元気なお姿 長年のご苦労を偲び申し上げました。しどろもどろの姉妹のピアノとコ−ラスをお聞き下さいましたの 母が傍で聞いてゐてヒヤヒヤした相です。この為にみな奮発して今度直ちゃんのいらっしゃったら音楽会をしましょうと云うことになって早速練習が始まっておりますの。次郎も何か弾くといってこの間十二時頃迄やってゐました。昔はよくこんな事をして女中にお客になってもらって変装ごっこして美少年や醜面の令嬢が出来たりしてとても愉快でしたけれどよい思い出です。その時はお得意のを一曲お願い致します。楽しみにしておりますから」

「お兄様は六時の汽車で篠山へお帰りになりますので いろいろお話し伺はずさよならしてしまって残念で御座いました。今朝母と弟が上京致しましたので数日妹とお留守居です。あれもこれもとお仕事は多くあるのですが 何しろ静かな中に能率を上げねばと頑張っております。お盆には篠山にお帰りになります様でしたら賑やかでよろしいでしょうがなるべくいらっしゃる様にお待ちしております。次郎も友達がないので何やら計画し僕も手紙を書こうかなといっておりました。今夜は月の夜でもまして夜の更けて行くのが冷え冷えとした空気の中に感じます」

「二伸 ノ−トで失礼ですけどこの方が書きよいのでこれに致します。さっきお風呂で色々考えたのですけど さて筆をもって何から書こうかと迷ってしまひます。お休み中は寮と違って家事雑用でてんてこ舞いでお勉強や読書の時間が少なくなって現実的な生活の中にすぎてしまいます。母はこんな世の中では余計家の用事も主人の役目で外出しますので私が主婦となるわけですけど”学生”を念頭においてゐると奥様はどうも家事のみにはあきたらなくなってまた奥様がほしい様です。プランをたてて帰った当座はなかなか思いませんでしたけどこの頃は大分馴れた様です。本当に家庭はアメリカ式の科学生活によらねば日本婦人は何時までも文化水準の低いままに満足しなければなりません。敗戦後日本を客観的にみる様になった事は本当によい事だと思います。軍人でいらっしゃった方の戦争観と申しましょうか敗戦によって日本を真っ正面から批判的にご覧になったご感想を伺わせて頂き度く存じます。行く所迄行ったら日本独自の味をみせる更に向上して行きたいと思います。私は学生としての仕事を少々やりたいと思ってゐるのですけど忙しすぎる時は従来の通り平平凡々やってしまひます。(即研究的ではなく習慣的に)隣組のご夫人達があけてもくれても同じ道を堂々めぐりしていらっしゃる唯子供の成長をのみ楽しみに生けていらっしゃって何ら本をよむといふ欲望をもつわけでもなし文化的に向上をあまり目指していらっしゃらない様で 日本婦人はこの範囲で満足して人生を楽しんでいらっしゃるか?と思います。この前少し人生のことが出ましたけれど私が考えてみましたら自分の人生の目標がない事に気がついて今更乍ら驚きました。その日ぐらしをしておりますと 朝目がさめてももう空虚で活き活きとした力が湧いてまゐりませんのね。今でも一生の日当たりはあまり漠然としておりますけれど理想を目指す目標を把握する事が出来る気がしますけれどこれは女性の立場のみかもしれません。私は本当に輝かしい人生でありたいと思ったこともありましたがそれは理想でしかなかったかもしれません。人生も運命も結局は自分でつくって行ってのものです。自己の力で楽しく明るく美しい道を開いて行こうかと思ってゐます。美といふ事は何についても感じるられうことです。私達は単に美しいと口で云ふものはとも角ピンと心に感じられるかくれた美しいというものをもってゐる心があると思ひます。この間ラジオで云ってゐたこと・・恋いはお互いの中に他人にはわからに神秘的な美しさを見出したものであると云っていました。新聞にも面白い事が書いてあったのですけど アメリカでは大部分恋愛結婚だけれど結婚後はお互いの間で性格の相違などを見出すけれど若かりし頃のロマンスを胸にひめてそれで雑なく楽しくやってゐる。日本ではこの様な美は束縛したり閉め出したりして案外少ないのではないんでせうが、私は早く父と別れたのであってみればさほどでもないかもしれません けれど家庭の和合精神的融合の美等という事を望んだり考えてみたりしました。和気藹々ってとてもよい事ですね。宝塚をみても筋より人から受ける感じによって魅つけられます。この間女役で感覚的な感じをもった人がゐたので感覚的なキレイ可愛い人ってよいなと思いました。が私とは大分縁の遠い話です。私は学校でふとある時女て結局従順さが一番幸福なのでしようと思った事がありました。女が従順なのは普通の場合としても綺麗な気持ちの良いものであると思ひます。私達はすぐ意見でもあると反抗的になりがちです。友達でもあまり自分を通そうとする人は見てゐると気の毒で損だと思います。これと意見をもつといふ事は少し意味が異なるかもしれません。けれど意見を持ちながら云わない従順的なのは少々卑屈だとも云えると思います。過去の日本婦人はよい事でも確信してゐても口を封じられてゐた場合が多かったと思ひます。頭から受けられないのです。もう少しお互いに個人を尊重し素直に受け入れるつまりはよく判断しながら聞いたらきっと日本は進歩すると思うのですけど。女性はもっともっと勉強しなければいけないと思うのです。叔母とよく共鳴し話しあったのですけどもう少し家庭婦人が文化的素養を吸収しようといふ頭に弾力性があって洋画でもみる生活上の気分の挨拶でも出来たらステキなんですけど。私自身あまり何も出来ないで淋しく感じるのですけどせめて若い中に出来るだけの事はして来たいと思います。お休み中 ピアノや絵を描いたりコ−ラス洋裁位は大いに楽しみ趣味的に迄したいと思います。があまりのんきなご時世でもないのがすぐ現実にかへって思い出されてつらい気がします」

「何時も何時もお会いしながら伺ほうと思いながら遂忘れてしまう事ですが こんな事を深く考えてゐるのは私一人かもしれません 大丈夫だと確信してゐるのですが念のためお聞き致します。あなたと私は従兄弟の子と孫になります。これでは血族ですが大分遠い方ですが お母様と私の祖母とも従姉妹でせう。二重結合になりますが 大丈夫ですか。優良遺伝子は血族でも害にはなりませんのね 従兄弟の孫と子と何遍もそのことばかり考えてゐたりおかしくなってしまいました。

理論的解答をお願いします」

「今日は大分変わったお便りになってしまいました。お笑いになって結構です。思ってゐる事を書いてしまいながら今夜の様にさっぱりしました。書き出したらきりがありませんからこのへんでさようならと致します。まだ暑さは続きますから充分ご自愛下さいませ。人生の幸福は何といっても健康です。何時も楽しく明るくやって参りたいと思ひます。もう船はまゐりませんの? お仕事は何時までで御座いますか。 さよなら」

直亮様          えい子」

直亮より(昭和21年8月17日田辺発)

 

「今十二時少し前です。さっき無事田辺着 体をふいて一寸落ち着いた所で先日の手紙を取り出して再読してみました」

「いつも君からの手紙をもらふと何回となく読み返してみます。それは丁度君と話している様に感じられるからです。その様に君の手紙は君の心の中をそのままうつしてゐる様です。話が次々ととんで即一つの文章として或る結論を得ているが次ぎの話題につづいて行く点がありますがわれわれの心はやはりこれが今の本当の心の様です。たへず求めようとして居る心はつかみ様のないものを求めて居るのかもしれません。だがその心がいつまでもあり持って居る事はそれは”良いもの”としてみとめるべきだと思います」

「君は女として今迄先輩のあゆんで来た路を見 これからかくあるべきだと思ふ点に於いて女が或るわくにとどめられずもっと何か外にやるべきことがあると。 たとへそれは漠然たるものものであってもまずはそれに気がついて居るだけでも良いと思います。僕自身としてもいつかの手紙に書いたかもしれませんが 女はもっと自分を生かしてもらいたいと思ひです。その点があくまで個人の女性の人格は今迄も尊重しょうとしこれからも尊重して行かねばならぬと思ってゐます。君が”女って従順なのが結局一番幸福なのだろう”と考える根拠がどこにあるかは知らないけれどその従順さに関連した夫の立場妻の立場といふ問題は一人が解決できない点を持ってゐます。これに関係のある友よりの手紙をいつかみせる機会もあることと思ひます」

「篠山の二日間愉快でした。君とは面と向かって話しあう機会はほとんどなかったけれど 君の姿を見 声を聞いて自分の頭の中で考えをもてあそんでゐたのが 楽しかったのせう。篠山の門をは入って家に上がってしばらく落ち着くまでの数分間 僕と目を合わせなかった君がちらっと上目づかいに僕の顔をみたときの印象は・・・ああたばこの火が消えちゃった!」

「この二日間は父母が与えうる大きな贈物として受け取って下さったことと思ひます。父母は僕がある安定感を求め様としてゐることは心良い賛成をあたへてくれた様です。両親は僕を今迄ここまで育て上げてくれたのです。僕は僕等は何をそれから学びとったらよいのでしょうか。僕は君のお母様に会う度によく三人の姉弟をここまで育て上げさらには育て上げようとしてゐるかを深く考えさせられます。親といふものは子供からみれば過去の人間です。又子供はそういえるだけに現在の又将来の人間でなければならないでしょう。過去の中から何を学びさらに将来に生かしていかねばならないのです。こんな理論はここにあらためて書く迄もなく百も承知のことでしょう。では具体的に何を学ぶべきでせうか。何を感じましたか 僕が率直に感じたままを君に注文をつけます」

「僕が篠山に疎開地へ始めた帰ったとき一番嬉しかったのは両親が身の廻り家中もきれいに生活して居たことでした。それは人の性質にもよるものだけれど ともかくきれいに生活してゐることは良いことです。君がアメリカ式の文化生活にあこがれを持ってゐることは良いことです。僕自身もその様にありたいと思ってゐます。だがあこがれはあこがれですましてゐるのでは所謂お嬢さんとしてしか思はれません。もっと地についったものでなければならないと思ひます。僕が牧落の家へ家へ行ったときそのままでいいよといふ言葉は決して放任の意味でいってゐるのではありません。あけておいても良い状態におきたまえといふ意味です。まるで子供に物を言ってゐる様に聞こえるかもしれませんがここが一番大切な所ですから かさねて言います。 君は少なくとも気がついてゐる。 実行したまへ 玄関と台所と便所 はその家に住む人の気持ちを表してゐる 女子大ではこんなことも教えへるでせう」

「最後に従兄弟の子と孫の問題

近親結婚については今だ定説はありません 或る本の一節を紹介すれば”既に本文に於いて述べた様にアイルランドは同族結婚の可否問題は要するにその血族の根底をなす胚原形質の良否に関する事であり 胚原形質が健全である限り同族結婚には何ら害がないと云っている” 詳細は二人であったときお話しませう」

八・十七

英子様   直亮」

英子さんより(昭和21年8月28日大阪発 9月14日田辺から篠山転送)

 

「お手紙有り難う御座いました。又”opened by”にかかっていました。私も何時もお便りを何度かよみかへして出来るだけ正しい意味を理解しようと努めております。今度のお手紙本当に有り難く思ひました。又一方では頼もしくこんな事も素直に云って下さる方はまあないでせう。私も常々考へてゐる事であり乍ら味合へば味合うほど有り難い事だと思ひました。これから一生懸命努力してご期待に沿ひ得る様致します。又これが将来への喜びである様にも感じます。本当のことを云うと寮ではよくやってゐます。寮で可能なのはあたりまえで家でこそ実行家になります。唯皆が協力者でないと何事もなし難いと思ひました。あなたのおたよりは何時も何か考へさせられる点があって子供の世界で育った私にはお兄様の様な気がします。女学生はよく兄をほしがりますが何か刺激を与えてひっぱってくれる人 女に欠けている決断で行く道を導いてくれる人 更に進んで真の理解者を求めてゐるかもしれません。あなたの真剣なのもよくわかる様に思ひます。私は力はないけれど協力者になりたい何かにつけ力一杯やらねばと思ひます。友達に於いて物足りない所他人からみた私を知ってみたいと思ひます。自分を練って行く上で」

「世の中が変わってきて社会的に見解を広めよい意味において独立心を持ちたいと思ひます。何でも出来るやれば出来るという信念の確立と云いませうか 私達若いこれは即将来を持ってゐる柔軟性がある麻痺していない等がよい点です。お手紙のように書いてある”よい点”を生かしてしっかり生きて行きたいと思ひます。実験台を前に目を輝かしてゐる学究の徒の一シ−ンを思い出して東京の新しい生活がはじめられん事を祈ってゐます」

「篠山の二日間 ご両親様の心からのおもてなしと美しい家庭的雰囲気に心から楽しく過ごさせていただきました。”墓参り”と盆も郷里へのなつかしみで田舎情緒がよく感じられ嬉しう御座いました。祖父の愛 親の愛 事に直面せずに考えられ尊いと感謝できるもは本当の幸福です。夏休みも後一ケ月になりました。大分涼しくなりましたら仕事の上で忙しくなります。ご機嫌宜敷く。  さよなら」

直亮様     英子」

英子さんより(昭和21年10月21日東京発 24日東京三田宛)

 

「秋とはいへはっきりしないお天気が続いております。その後如何お過ごしでいらっしゃりますか。 先日は偶然にお会いでき思いがけませんでした。東京の生活は少しは落ち着かれましたか。上京してからまだ一ケ月にもなっていないのに随分過ごした様に思ひます。内容が豊富なのか?何かしら忙しい生活をしてまゐりました。先週の土曜日にも病院の方に行ってきました。これから毎土曜日午後に行く様になるかもしれません。学校では校長問題等から民主主義の問題を巡って色々話され様としてゐます。女の学校は何か抑圧的な若い情熱をもみ消してしまう様な空気が強くて伸びようとする芽がつみとられる様な気がします。過去の人と根本的に考え方が違ってゐます。なるほどとうなずける事でもあまりにも老婆心に過ぎてかえってチャンスを与えて下さらない社会への見解が狭すぎるので広い社会に生きたいとみな願っております。卒業までの残る期間を活動的に理解しあって行きたいと努めております。毎日何もない事で楽しくなったり淋しくなったり感情が変化に寮生活でしか味へぬ心のあり方に友を求め心の融和を求めてゐます。友達と話してゐても通じあう人なら考え方が同じなので共鳴して嬉しくなってしまいます」

「お兄上様はその後ご機嫌よくおつとめでいらっしゃりますか。お話したい事もあるのでいづれ一度お目にかかり度いと思ひます。あなたとです」

「この頃また手紙の検閲がやかましくなった相です。(この方はおいくつですか。何をしていらっしゃいますか。奥様やお子さんは?・・)(女学生のときの先生で六十二歳です)これは他の寮の話なのですけれどわるく行くと(ここでよんでご覧なさい)とくる相です。男女共学の立場から女性の自覚から男を求める心が強くなってきました。従来の社会状況から男女を変に偏ったものに育ててしまいました。若い人と本当に話したいと思います。理想と情熱は現実とは少し遠いといふ考え方があったとしても失いたくないと思います」

「連絡場所はお手紙以外でしたら 1)石神井20番(板橋区東大泉町893壷井玄剛(叔父) 2)渋谷1300番(渋谷区長谷戸町52官舎一松定吉(祖父)」

「土曜午後一時過ぎから大抵中島博士の所にまいりますけど グル−プですから電話で叔父の所に連絡して下さったら日曜だったら行ってゐるかもしれません」

「お元気でお仕事にお励み下さいませ。お話できるのを楽しみにしています」

十月二十一日           さよなら

直亮様   英子」

英子さんより(昭和21年10月25日東京発 26日三田宛)

 

「お手紙有り難う御座いました。嬉しく拝見しました。昨日の朝第一信を投函したばかりですけれど又書きたくなったので第二信を送ります。先ず東京の生活を生きる燃える情熱を持って日々を送っていらっしゃる事に心からお喜び申し上げます。自己を見出し自らの力で開拓して行く人生に理想を持って邁進していらっしゃる気迫が感じられ共に血の湧く様な気がします。運命は与えられるものでなく人自身がつくって行くものである光明の世界を導き出す人の想念によるものである・・・ 私達は明るい希望と元気を志してゐる事は本当に幸福です。人生を楽しくするのは愛することによってのみ得られそうです。心から愛する事の出来る人は常に幸福で心は燃えてゐるでせう。本当にこんな人になりたいと思ひます。お手紙の内容同感の所があります。街に出ては行き会う人の中にあなたがいらしゃらないかといふ気をとめてしまひます」

「そちらはどの辺にいらしゃるかしらとまだ時間があったのでブラブラしてゐましたら全く偶然にお会い出来て偶然といえば偶然かもしらないけれど相通じるものがある気がしかしたの。 私が過去において理想としてゐた家庭生活が到達されそうでそれもあまり一致してゐるので偶然といふか不思議な気がします」

「・・・化学者(科学者)に憧れていたことがあって研究的に真摯な協同生活ができたら・・・と思った事でした。夢が実現したらといって結婚生活に夢をのみ持ってゐるわけではありません。お互いに切磋琢磨して建設して行きたいと思ひます。私は負けず嫌いですからかもしれませんけれど 所謂大人になってしまって完成された人は嫌いです。この点は若い程楽しみも大きいわけですね。経済的の問題もあなた一人にまかせる気も致しません。私も何らかの方法で共に生きたいと思います。母もこの点は認めてゐてくれてくれます。喜びも悲しみも共々分かち合いませう。若い人で気持ちが最近はこの様に変わって来る女の人も独立心が燃えて来ました。グル−プでKOの医学部の学生と結婚する方がゐます。勿論ある機会から自分が選んだ道で私と同じ事を考えてゐる様です。私の事はどれだけ実行できますか不明ですが心持ちだけでも張り切ってゐます。研究室の事よい先生におつきになられてよかったと思ひます。やりたい事に邁進して下さい。意思(この頃は衝動をそのまま行動にうつせたらと思わぬ成功を導き出し たとへ失敗がおきても満足だと思います)を生かして下さい。栄養の方面なら母も大いに賛成して喜んでくれると思います。母はあなたに大いに期待をかけてゐます。B1の方でしたら大阪市立生活研究所の村田女史(女子大で大泉の叔母と同学年で理学博士)が定量法ジアゾ法?を発見されたのだと思います。もう少し化学をやっておけばよかったと思います。戦争が恨めしくなります さて」

「お話したいといふ事はお兄様の事なのですが・・・母から手紙の度 お二方のことを聞いてまゐります。先日祖母からもお兄様の奥様の事について話がでました。きまった事については祖母もよく了解しておりましたあの時はお兄様から何もおっしゃらなくて(気持ち)よく理解出来なくて感情に流れただけですけれどその時の事はすっかり斉藤様にもお話してよくわかって頂けたのでもしお気持があるならもう一度出発点からやり直したいとおもうので御座います。なるべく早い方がよいので私が一度直亮さんにでもよく話して伺う様にとの重大な責任をおわされました。結局はご両人の気持ちがぴったりとすればよいのでせう。お見合いは未経験なのでよくわかりませんけどお兄様が本当に幸福に生きていらっしゃる事を願っております。私でお役に立つ事がであれば致しますが 斉藤様のお嬢様は感じはとても明るく謙遜でよい方の様ですの。本当は斉藤家は経済的にはあまり恵まれていらしゃる方ではないし佐々木家にお入りになっても家の中にはまり込んでやって行ける方だろうとの事ですけど 勿論大臣などという事にはとらはれていらっしゃらないと思ひます。身分地位が何だろう自分の望む人がゐないとは限りません。地上の限られた区域で唯一人の人を発見することは偶然ですまされないものを感じます。お兄様の方にもいろいろお都合がおありだと思ひますから一度ご意見をお聞かせ下さいませ。お目にかかってお話ししようと思っておりましたけれど何時になるかわかりませんので一筆書きました」

「来る十一月一日は体育会です。委員で毎日会があり忙しい日をお過ごしております。二日には慶應の方に行くと思います。三日は日曜祭日記念日の三重の休日です。学校で早慶戦に行きたいといってゐる友も多く私もみたいとはおもいますけれどとても駄目でしょう。この所叔母の所にいってもよろしいけれど十一月十日(第二日曜)になっても結構です。ご都合の良い日をお知らせ下さいましたら(帰寮時は五時で何時もてんてこ舞いなので)外泊してもよいと思います」

「私達の寮生活も大阪で心配してゐる程食糧事情も悪くなく毎日内職に忙しく補給をつづけてゐます。形は変わっても殆ど炭水化物なので痩せる心配はありませんけど脂肪やビタミン要求が重くなって来ました。食糧をつんでおいてトランプなどをしてゐる時は寮生活も楽しい所ですが つまる所愛のない世界です 人間は家庭に帰っているのが本当なのだと折りにふれて痛感しました。美知子も元気で遊んでゐる様です。同じ学校にゐながら時間がなくて話すのは日曜外出勧誘位ですのよ」

「お返事おまちしております。ご機嫌よう。 さよなら」

直亮様    えい子」

英子さんより(昭和21年11月2日東京発)

 

「電報で留守がないので母の上京は中止になってしまいました。私は今夜一松に外泊します。育児のレポ−トの宿題がありますのでヒントを与えて下さるか資料が御座いましたらお借りしたいと思ひます。もし今夜よろしければ官舎にいらして下さい。御夕食は御用意しておきます。明日早慶戦を見に行きたいのですけど朝六時過ぎだったら切符は買えますかしら。おいで頂けないようでしたら五時過ぎから六時の間に渋谷の1300番にお電話くださいませ。明日は一日あいております。目下早慶戦の外予定はありませんけどこれも大変だと思いますから模様を教へ下さい。今朝大阪の友人が所用で上京しました。今日明日は行動を共にしなければならないかもしれませんけどご遠慮なく」

「一松の官舎 恵比寿下車(品川に向かって右)都電に沿ひ下通五丁目電停右側の坂を上る左側一軒目

おまちしています」

佐々木様 午前十時 山本」

英子さんより(昭和21年11月13日東京発 14日三田宛)

 

「この間は色々とお教へて頂いて有り難う御座いました。お蔭様でやっとまとめて提出致しました。学生はやはり勉強で熱中して本分を全うしてゐる姿が一番美しいと思ひました。こんな事にでも邁進したいと思ひます。土曜日学校で映画の会があるのでまゐりませんから日曜の事叔母に連絡しておきましたから十時半頃大泉でお待ち致します。もし都合がわるくありましたら土曜に連絡に行くかもしれません 楽しみにしております」

「目下下級生は試験で寮も活気づいてゐます。私達は調査を多く依頼され心だけ忙しくおります。お元気である様に祈っております。ご機嫌宜敷く 早々」

英子さんより(昭和21年11月21日東京発 三田宛)

 

「早十一月も末近くなりました。二日続きの休みに母が上京するのを楽しみにしておりましたが今度は中止したそうで御座います。御室にハイキングに行かうかと思ってゐます。二十四日は一松に外泊するつもりです。およろしければ夕方からいらっしゃいませんか。学生大会やアパ−ト調査に時間をとられますので信濃町にも足が遠くなりました。ちょっとお知らせまで。 さよなら。 えい子」

英子さんより(昭和21年12月12日東京発 三田宛)

 

「本格的に寒さになってまゐりました。その後ご機嫌よくいらしゃりますか。本年も漸く押し迫り心忙しくなってまゐりました。お休みもやっと決まり二十一日から明年十二日迄になりました。(十三日始業式)十八日はまだお授業が御座いますが午後あいておりますから会場でお目にかかりませう。二十三頃から一松に外泊し二十五日早朝帰阪しようと思ゐます。十二月の声をきくと昨年の様子を思いだしいろんな表現をもって浮かんで来ます。月日は矢の如くうつりかはりは一回転して。日響が素晴らしい事を願ってゐます」

 さよなら   えい子」

直亮より(昭和21年12月18日三田綱町千浦様方発  小石川区目白台日本女子大学春秋寮宛(大阪へ転送)

 

「今日音楽会有り難う 若い人達が多かったのが嬉しかった そして我々も又その中に場をとめているのが嬉しかった。日本の中で少なくとも最高レベルであろう雰囲気に接してゐることは良いことだし大切なことでしょう。あらゆる事も一番良いと思はれる内にいたいものだ」

「お願いしようと思って忘れてしまったこと・・・

郵便切手で逓信七十五年記念切手(15,30,50,100)のシ−ト(一枚ズリになっているもの一枚3円)を入手したいのですが一松さんの方にお願いしてみてくれませんか なかなか入手困難なのでお願いする次第です・・・」                                      

Part3 へ    もとへもどる