初めての放送原稿

 

 ”雪やこんこん あられやこんこん ふってはふってはずんずんつもる

  山も野原も綿ぼうしかぶり 枯れ木のこらず花がさく”

 ”雪やこんこん あられやこんこん ふってもふってもまだふりやまぬ

  犬はよろこび庭かけまわり 猫はこたつで丸くなる”

 

 この歌を聞くと、小さい時育った東京のことを思いだします。

 東京の雪はどちらかというと暖かい雪で、大きな綿のような雪が、音もなく静かにつもって、朝窓を開けた時、この歌にあるように、一面銀世界に変わった景色に、小さい胸をとどろかせたものです。又この歌から受けた印象として、外で飛び回る犬のように、子供は外で元気よく遊ばなければいけないのだと言われた記憶があります。

 さて医学を学ぶようになったこの頃では、「猫はこたつで丸くなる」という言葉が気になるようになりました。

 というのは、次ぎの様な話を外国雑誌で読んだことがあるからなのです。それはイギリスでの事だったと思いますが・・

 「家で飼っている猫が、冬部屋のどこにいるかということで、その部屋の温度の条件が分かる」というのです。

 外国のことですから、家にはピアノがあるらしく、その上に猫がいる時には、その部屋は寒く、ソファ−の上にいる時には、その部屋は丁度よく、絨毯の上にいる時はには、その部屋は少し暑すぎることが分かるというのです。

 猫は温度に敏感な動物なので、丁度自分が気持が良いと感ずる所に身を置く習性があるのだと、その記事の説明がありました。

 冬暖房をした時の部屋の温度は天井の方へゆく程高く、床に近いほど温度が低いから、猫が寒いときは高いところに上がり、暑い時は下にいるのは理屈に合っているようです。

 私は猫を飼ったことはありませんが、皆さんの家の猫はどこにいるでしょうか。

 こたつの上にいますか? 皆さんのひざの上でうずくまっていますか? それとも陽当たりの良い縁側でねそべっているのでしょうか。あるいはこたつの中にもぐり込んでいるのでしょうか。

 猫のいる場所によって部屋の温度が分かるような気がします。

 私たち人間も本当は良い気候の中に住みたいという気持があるようです。唯人間は色々な知識を応用して、家の構造を考えたり、暖房や所によっては冷房や、又着物を色々考えて、しらずしらず自分の気持が良いようにしているのです。だからこそ、南洋のような暑いところにいる人も、南極や北極に近い寒い地方にいる人も皆同じ体温をもって生きているのです。

 物理学に「エネルギ−不滅の法則」というのがあります。私達の体もその例外ではありません。毎日摂る食物から熱量が与えられるのですが、それが毎日使われて熱が外へ出されて、その調子がうまくいっているから、私達の体温はいつも一定なのです。熱量は一時間当たり大体百ワット一つ位の電球の熱が出されているのです。夏でも熱が出されているわけですが、この頃のように寒い日はどんどん熱が奪われているので、裸でいることは勿論できませんし、着物を着ているわけです。

 この辺では毛皮を背負っている人もいるでしょう。そして着物を十分つけたり毛皮を着ていれば、寒暖計が0度以下でも、私達はそんなに寒くないでしょう。それは体の中の熱が、その位の着物で丁度うまく外に放散されている証拠なのです。着物を着すぎで熱が出にくかったり、或いは運動をして熱が沢山体の中に出た時など、いくら冬でも暑くなると、汗をかく事は私達がいつも経験することです。

 赤ちゃんが、空気や熱の通らないオシメカバ−をつけ、随分厚着をさせられて、熱の出どころがなく、赤ちゃんは苦しくて泣けば益々熱が出て、体温を計れば40度をこえ、大急ぎでお医者さんにかけつけて、着物をぬがせて診察をはじめると、今までたまっていた熱が外に出て体温が平熱になり、赤ちゃんがにこにこと笑いだす、ということなどよくあるようです。これなどは熱の放散がうまくゆかなかった良い例でしょう。

 先日の八甲田山でお気の毒にも遭難をされた方々の例などは、食べる食物もなく、体の中につくられた熱が、あの吹雪によってまわりからどんどん冷やされて、遂には凍死されたという不幸な例です。

 さて、前の話にもどって。私達人間はどの位の温度のところで一番気持良く感ずるのでしょうか。大体普通の着物を着ている時には18度位と考えてよいわけですが、、東北地方の家の部屋の温度はどんなものでしょうか。

 私達の家の構造を考えると、夏はすずしいが冬は寒い南方向けに出来ていると思います。本当にこの寒い国に根を下ろして生活するのは、あまりにも寒いのではないでしょうか。昼間のあたたかい太陽も利用せず、風通しも良く、昼間でも部屋の温度が0度という家があるように思われます。勿論そのような家でも、毛皮を背負って、たき火にあたっていれば、暖かく気持ちが良く、そして今まで何百年も生活をしてきたのだから暮らせないことはないのです。しかしひとたび火から離れた台所で炊事の支度をし、洗濯をしなければならないのですから、やはり寒さの体に対する影響は考えなければならないでしょう。

 先程のエネルギ−の不滅の法則から考えると、寒いところでは沢山着物を着るか、沢山食べるか、沢山運動しなければならない事が考えられます。実際アメリカの軍隊でも暑い地方と寒い地方で兵隊が同じ仕事をして自由に食事を摂らせた場合、寒い地方の人達がよけいに物を食べていたという結果が報告されていますが、この辺でも日本の暖かい地方の人達に較べると余計に物を食べているように思われます。冬分のあまり仕事をしないような季節に、余計にごはんを食べているのではないかと思われる結果を得ております。

 冬暖かいように家を建て、スト−ブで部屋を暖める事はお金のかかる事かもしれません。しかし暖かい部屋であまり厚着もせず、自由に活動して、あまり沢山ごはんを食べなくてすむというのと、部屋を寒いままにして、着物を沢山着て、寒いが故に仕事があまりできず、その上ごはんを沢山食べなければならないのと、どちらが経済かと考えるのですが。

 この東北地方に多い病気として、高血圧とか”あたる”病気として知られている脳卒中が日本の他の地方よりこの東北地方がずばぬけて多いのは、何かこの寒さに関係があるのではないかと考えられる研究がありますが、そんな事を考えても、冬に部屋を暖かくして生活したいものだと思います。

 

(”人々と生活と”とより)

 昭和29年に弘前へきて翌30年の正月だったか、NHKの弘前放送局、たしか建物は馬喰町(ばくろうちょう)にあったか、で放送をたのまれたことがあった。

 弘前へきて初めての放送であった。その時の「放送原稿」である。

 今でいう”疫学的”研究をはじめ、高血圧また”あたり”の予防にとりかかった時である。初めは住環境、特に温環境に目をむけ始めた時であった。

 研究論文は高橋英次先生・佐々木直亮・武田壌寿・伊藤弘の名前で、日本医事新報、(1929,27-31,昭30)「高血圧殊に脳卒中の原因に於ける住生活の役割」で報告された。予防についての研究のはしりであった。その時の私の気持ちがわかってなつかしい。

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