女性のためのモバイルサイトとして有名な(株)エムティーアイが運営する「ルナルナ」は、私(佐々木 修)が創ったサイトで、当初は「ル〜ナ」として運用していました。もっともMTIはこのことを公表していません。しかしルナルナが世界初の女性の健康を管理する携帯電話IP接続サービスとして大きく成長して、かつ20年以上の時間が経過した今、このサイトがどのようにスタートしたかを記録することは社会的意義あると考え、またそこで得た教訓も加えてここに記録します。
家庭環境〜疫学者の父からの影響
音楽家である私が「なぜ女性の生理計算をするコンテンツを考えたのか?」という問いをよく受けます。私の家庭環境としては、父の佐々木直亮(1921~2007)が弘前大学医学部の衛生学の教授で、高血圧とリンゴの研究をしていました。日頃から、いろいろなアイデアを出し合い、討論する環境だったと言えます。ル〜ナのアイデアも父に相談しましたが、面白いと言ってくれました。
《教訓1》「家庭の話し合いは大切」
ものの見方、考え方、生き方・・子供は親を見て育つと思います。

パソコン(マッキントッシュSE30)との出会い
私は1990年〜1994年、テレビ東京「タモリの音楽は世界!」の製作者の一員でした。そこで使っていたマックSE30との出会いが、私の人生を大きく変えました。当時100万円くらいはした高価なおもちゃでしたが、そこでプログラミングの初歩を学び、Photoshop, Illustrator, Finale は今なお私の手足です。また手書きが苦手だった私にとって、手軽に恥ずかしくない文字を書けることで道が開けました。
《教訓2》「Think different.」
アップルのセールスコピーには、大きく勇気付けられました。日本人はとかく横並びを重んじ、独創的なことをする人を嫌います。大人が理解できない、先生が理解できない、でも若者が夢中になっていることにビジネスチャンスがあります。

インターネットの世界へ
当初楽しんでいたパソコン通信から、1996年にインターネットに移行しました。HTMLでホームページを製作して、それが世界の人に見てもらえる喜びは忘れられません。当時製作したホームページは現在もそのまま運用しています。私の先祖「伊藤八兵衛」やその娘で、後に渋沢栄一の後妻となった「兼子」の佐々木家に伝わる、明治初期の写真をホームページに掲載しましたが、昨年NHKの大河ドラマ「晴天を衝け」で、その伊藤八兵衛が紹介されましたから、足掛け24年の成果です。
《教訓3》「変わる価値と変わらない価値を見出す」
私がクラシック音楽をやっていることもあり、どんな世界になってもモーツァルトやバッハ、ベートーヴェンは残るという確信があります。私がル〜ナの企画を思いついた時、ただ「売れる」ということではなく、「女性がこの企画で自由になる」という確信があり、また女性の幸せを願って企画書を書きました。
《教訓4》「先祖を敬う」
私は父方、母方の家系図を作りました。そこで気がついたことは、人間は生まれて死ぬという、平等でシンプルな摂理です。私たちは100年前、3代前の先祖の夢を追って生きていると思っています。先祖を研究するようになってから、不思議と困った時に先祖が助けてくれているような気持ちになります。

i-mode〜栄枯盛衰
1999年i-modeが世界初の携帯電話IP接続サービスとしてスタートしました。インターネットが携帯電話で身につけられることから、ブームに火が付きました。私がi-modeを手にしたのは1999年の春にN501iを手にした時です。机の上にあるi-modeを見て、1分間に3つのビジネスモデルを思いつきました。その一つがル〜ナでした。ちなみにあとの2つは音楽のデータベースと社会貢献のツーツで、ル〜ナにも健康情報を長期保存する機能、加えて社会貢献のツールとしてのアイデアが書き込まれています。早速書き上げたのが今回初めて公開するビジネス企画です。
《教訓5》「勝つと思うな!」
は、私の座右の名です。i-modeが歴史的成功を納めたことは事実ですが、そのi-modeが現在ないこともまた歴史的事実です。i-modeがあまりにも成功したことが、おそらく「うぬぼれ」となり、i-modeが人類の幸せのツールではなく、稼ぎのツールとなったことにより、衰退の道が速まったと思います。
《教訓6》「人生はサーフィン〜運をつかめ!」
10年か20年に一回、世の中が大きく変動することがあります。上記ではインターネットとモバイルの大波です。その変革期は、それまでの常識や学歴を覆せる大きなチャンスです。最近では科学の進歩だけでなく、コロナ禍や戦争など不確実が増していますが、これも時代の波であり、その中でいい波を見つけて乗ることにより、人生がより楽しくなります。

広告代理店でのプレゼン
企画書を書いたところで、見てくれる人がいなければ話は進みません。当時私はよくビジネスフォーラムに出かけ、また日経新聞を取って世の中の動向を探っていました。ル〜ナの企画を、音楽で知り合った広告代理店ビデオプロモーションの藤田潔社長を始めとする4〜5人のトップの方々の前でプレゼンをしました。結果は残念ながら不採用でした。その際の意見では、女性の生理計算のサイトというと、生理用品のメーカーくらいしかスポンサーが見つからない・・といったものでした。私としては勿論がっかりはしましたが、当時の社会的な判断と立ち位置を理解しました。
《教訓7》「人間関係こそ財産」
このプレゼンこそ不採用でしたが、社長自ら時間を作って頂きプレゼンできたことは、ラッキーなことでした。私が音楽をやっていて知り合った音楽関係以外の方には、ソニーの大賀典雄社長、アサヒビールの樋口廣太郎社長、トヨタ自動車の張富士夫社長、あるいはジョージアのシェワルナゼ大統領、小泉純一郎総理などがいます。大人物と同じ空間にいた経験は得がたいものです。

ビジネスプランコンテスト「第1回ビジネスジャパンオープン」
2000年3月に開催された、大前研一さんが主宰する「第1回ビジネスジャパンオープン」にル〜ナの企画を応募しました。380余りの応募から50の企画が第一次を通過、ル〜ナの企画も選考されました。第二次審査の10の企画には選ばれませんでしたが、本選を見学に行き審査員とお話しすることができました。審査員のお一人、当時ディー・ブレイン証券社長であった出縄良人さんがル〜ナの企画を面白いと評価してくれました。このビジネスコンクールの入賞者は、それぞれの分野で活躍していますが、20年の時を経た結果論から言いますと、ル〜ナから成長したルナルナの成功にはどれも程遠い結果です。つまりビジネスプランコンテストとは、その時点では応募者が審査されますが、それから10年後、20年後には審査員がいかに先見の明があったかが評価されるのです。出縄さん以外の審査員は、大前さんを含め、残念ながらル〜ナの潜在価値を見落としていました。
《教訓8》「だれか一人が目を輝かせたらチャンス!」
ル〜ナの企画は、前述の広告代理店でのプレゼンをはじめ、ビジネスコンテストでも落選しましたが、結果的には大きなビジネスになっています。ごく少数の人の「面白い!」という意見こそ、ビジネスチャンスです。逆の言い方をすると、審査員がこぞって評価をする時点で、すでに時代遅れとも言えます。

(株)MTIとの出会い
上記のビジネスプランコンテストの後、起業家向けの月刊誌「アントレ」を眺めていたところ、(株)MTIの社長の前多俊宏さんの写真と共に、i-modeをはじめとするモバイルインターネットがブームになり、コンテンツを募集しているという記事が目に入りました。これだ!とすぐにル〜ナの企画を持ち込んだところ、すぐに面会が決まりました。西新宿の(株)MTIの一室で、まだ20代の若い男女の社員さんでしたが、特に女性の担当者が目を輝かせて「こんなコンテンツがあったら嬉しい!」と反応して頂けました。話は早いもので、翌週にはau(EZWeb)の公式メニューとしての参入が決まりました。そこで内情ですが、もちろんi-modeがトップランナーで、ドコモにも提案したのですが、ドコモからは「もしもこのサイトが原因で、望まない妊娠が発生したら誰が責任を取るのか?」と参入を拒否されました。一方のauは後発で、とにかくコンテンツの数を増やす必要があり、ざっくり言えばどさくさに紛れて参入したという訳です。このような幸運も重なり、2000年12月、au(EZweb)の公式メニューとして、私と(株)MTIとの共同著作物として、世界初の女性の健康を管理する携帯電話IP接続サービスがスタートしました。ル〜ナは特別な広報活動もしないのに順調にユーザーを増やし、その実績で2006年からはドコモとソフトバンクに参入、名前も「ルナルナ⭐︎女性の医学」と変更されました。私は2011年まで開発に携わりました。
《教訓9》「企業との交渉は視点を変えて」
ル〜ナがau(EZweb)の公式メニューで成功して、ドコモなどの参入も決まった段階で、私は著作権を手放しました。この判断には様々な要素がありましたが、結果的にはそれが最善の方法であったと思っています。つまりル〜ナが2005年で終了していたら、現在のルナルナという形での成功はなく、ル〜ナの企画が社会的に評価されることもなく、またルナルナの原点としてのル〜ナの著作者としてこうして記憶されることもなかったからです。また金銭的にも、少なくとも普通のサラリーマンの一生分の稼ぎを得たのですから納得しています。ルナルナベービーという言葉がありますが、ルナルナを通じて生まれた子供が、そのルナルナを創った人が、お金の勘定ばかりしている人よりも、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「神々の黄昏」を指揮した人間の方が夢があっていいじゃないですか!私の予想通り、ルナルナの成長と共に、その原点であるル〜ナの価値が高まります。


私が1999年夏から2000年1月にかけてまとめたル〜ナの企画書です。