ル〜ナ|世界初の女性健康管理モバイルサイト誕生秘話|

はじめに:
現在、女性向け携帯電話IP接続サービスとして広く知られる『ルナルナ』は、私、佐々木 修が1999年に構想・開発を主導した『ル〜ナ』が原点です。ここでは、当時の構想、立ち上げの経緯、そしてその後の歩みについて記録し、同時に時代の変遷とともに得られた教訓を未来に伝えることを目的としています。

ル〜ナは世界初!?
ル〜ナは女性の健康管理機能を提供する携帯電話IP接続サービスとして2000年11月にEZWebでサービスを開始しました。i-modeが世界初の携帯電話IP接続サービスと謳っており、当時i-modeでは健康管理機能を提供するサービスはありませんでした。ル〜ナは世界初の『モバイル健康管理サービス』であるとチャットGPTでは紹介されています。ちなみに、世界初の根拠として『米国・欧州では当時、モバイルインターネット普及が日本より遅れていた』『初期の欧米の試みは医師と患者の遠隔コミュニケーションが中心で、自己管理型ではなかった』ということで、ル~ナがモバイル端末で個人の健康を管理することを目的としたサービスとしては世界初ということです。これってすごいことです!

なぜ音楽家の私がル〜ナを創ったか?:
音楽家である私が、なぜ女性の生理計算をするコンテンツを考えたのか?という問いをよく受けます。確かに私はこの分野で門外漢かもしれませんが、もしみなさんがあるアイデア(ビジネスモデル)をお持ちで、それにより、人類が幸せになる、平和になることが確信を持てて、かつその仕事を成功させることにより、大きな収入が得られる可能性があるならば、それにトライすることはごく自然なことだと思います。

家庭環境と友人:
私の家庭環境としては、父の佐々木直亮(1924~2006)が弘前大学医学部の衛生学の教授で、高血圧とリンゴの研究をしていました。日頃から、いろいろなアイデアを出し合い、討論する環境だったと言えます。ル〜ナのアイデアも父に相談しましたが、面白いと言ってくれました。また、ル〜ナの企画は女性の生理周期に関することですから、当然医師の監修が必要です。ここで私の東京時代の下宿の同居人であった、慶応医学部出身の西野和良先生に大変にお世話になりました。もっとも、西野先生は僕のことを純粋に応援してくれましたが、当初はこの企画がヒットするとは思っていなかったそうです。

教訓1:家庭の話し合いは大切
ものの見方、考え方、生き方・・親を見て育つと思います。

パソコン(マッキントッシュSE30)との出会い:


私は1990年〜1994年テレビ東京『タモリの音楽は世界!』の製作者の一員でした。番組で使っていたマックSE30との出会いが、私の人生を大きく変えました。当時100万円くらいはした高価なおもちゃでしたが、そこでプログラミングの初歩を学び、Photoshop, Illustrator, Finale は今なお私の手足です。マックがあったからこそル〜ナの企画書も書けたのです。

教訓2:Think different.
アップルのセールスコピーには、大きく勇気付けられました。日本人はとかく横並びを重んじ、独創的なことをする人を嫌います。大人が理解できない、先生が理解できない、でも若者が夢中になっていることにビジネスチャンスがあります。

インターネットの世界へ:
当初楽しんでいたパソコン通信から、1996年にインターネットに移行しました。HTMLでホームページを製作して、それが世界の人に見てもらえる喜びは忘れられません。そこで製作したホームページは現在もそのまま運用しています。私の先祖伊藤八兵衛やその娘で、後に渋沢栄一の後妻となった『兼子』の佐々木家に伝わる明治初期の写真をホームページに掲載しましたが、2021年NHKの大河ドラマ『晴天を衝け』で、その伊藤八兵衛が紹介されましたから、足掛け25年の成果です。

教訓3:変わる価値と変わらない価値を見出す
私がクラシック音楽をやっていることもあり、どんな世界になっても、モーツァルトやバッハ、ベートーヴェンは残るという確信があります。私がル〜ナの企画を思いついた時、ただ『売れる』ということではなく、『女性がこの企画で自由になる』という確信がありました。

教訓4:先祖を敬う
私は父方、母方の家系図を作りました。それぞれの先祖は生まれて死ぬという、平等でシンプルな摂理です。先祖を研究するようになってから不思議と、困った時に先祖が助けてくれているような気持ちになります。

i-mode〜栄枯盛衰:

1999年i-modeが世界初の携帯電話IP接続サービスとしてスタートしました。インターネットが携帯電話で身につけられることから、ブームに火が付きました。私自身がi-modeを手にしたのは、1999年の春にN501iを手にした時です。机の上にあるi-modeを見て、1分間に3つのビジネスモデルを思いつきました。その一つがル〜ナでした。ちなみにあとの2つは音楽のデータベースと社会貢献のツーツで、ル〜ナにも健康情報を長期保存する機能、加えて社会貢献のツールとしてのアイデアが書き込まれています。早速書き上げたのが今回公開したル〜ナのビジネス企画です。

教訓5:勝つと思うな!
私の座右の名です。i-modeが歴史的成功を納めたことは事実ですが、そのi-modeが現在、実在しないこともまた歴史的事実です。i-modeがあまりにも成功したことが、おそらく『うぬぼれ』となり、i-modeが人類の幸せのツールではなく、稼ぎのツールとなったことにより、衰退の道が速まったと思います。

教訓6:人生はサーフィン〜運をつかめ!
10年か20年に一回、世の中が大きく変動することがあります。20世紀末はインターネットとモバイルの大波でした。その変革期は、それまでの常識や学歴を覆せる大きなチャンスです。最近では科学の進歩だけでなく、コロナ禍や戦争などの要素も加わっていますが、その中でいい波を見つけて乗ることにより、人生がより楽しくなります。

広告代理店でのプレゼン:
企画書を書いたところで、見てくれる人がいなければ話は進みません。当時私はよくビジネスフォーラムに出かけ、また日経新聞を取って世の中の動向を探っていました。ル〜ナの企画書を、音楽で知り合った広告代理店ビデオプロモーションの藤田潔社長を始めとする4〜5人のトップの方々の前でプレゼンをしました。結果は残念ながらNGでした。その際の意見では、女性の生理計算のサイトというと、生理用品のメーカーくらいしかスポンサーが見つからない・・といったものでした。私としては勿論がっかりはしましたが、当時の社会的な判断と立ち位置を理解しました。

教訓7:人間関係こそ財産
このプレゼンこそNGでしたが、社長自ら時間を作って頂きプレゼンできたことは、ラッキーなことでした。私が音楽をやっていて知り合った音楽関係以外の方には、ソニーの大賀典雄社長、アサヒビールの樋口廣太郎社長、トヨタ自動車の張富士夫社長、あるいはジョージアのシェワルナゼ大統領などがいます。大人物と同じ空間にいた経験は得がたいものです。

ビジネスプランコンテスト『第1回ビジネスジャパンオープン』:
2000年3月に開催された、大前研一さんが主宰する『第1回ビジネスジャパンオープン』にル〜ナの企画を応募しました。380余りの応募から50の企画が第一次を通過して、ル〜ナの企画も選考されました。第二次の10の企画には選ばれませんでしたが、折角なので本選を見学に行き審査員とお話しすることができました。その中のお一人、当時ディー・ブレイン証券社長であった出縄良人さんがル〜ナの企画を面白いと評価してくれました。このビジネスコンクールの入賞者は、それぞれの分野で活躍していますが、20年の時を経た結果論から言いますと、ル〜ナから成長したルナルナの成功には程遠い実績です。つまりビジネスプランコンテストとは、その時点では応募者が審査されますが、それから10年後、20年後には審査員がいかに先見の明があったかを評価されるのです。出縄さん以外の審査員は、大前さんを含め、残念ながらル〜ナの潜在価値を見落としていました。

教訓8:だれか一人が目を輝かせたらチャンス!
ル〜ナの企画は、前述の広告代理店でのプレゼンをはじめ、ビジネスコンテストでも落選しましたが、結果的には大きなビジネスになっています。ごく少数の人の『面白い!』という意見こそ、ビジネスチャンスです。逆の言い方をすると、審査員がこぞって評価をする時点で、すでに時代遅れとも言えます。

(株)MTIとの共同制作:
上記のビジネスプランコンテストの後、起業家向けの月刊誌『アントレ』を眺めていたところ、(株)MTIがモバイルコンテンツを募集しているという記事が掲載されました。これだ!とすぐにル〜ナの企画を持ち込んだところ、すぐに面会が決まりました。西新宿の(株)MTIの一室で、まだ20代の若い男女の社員さんでしたが、特に女性の担当者が目を輝かせて『こんなコンテンツがあったら嬉しい!』と反応して頂けました。話は早いもので、翌週にはau(EZWeb)の公式メニューとしての参入が決まりました。そこで内情ですが、もちろんi-modeがトップランナーで、ドコモにも同様の提案したのですが、ドコモからは『もしもこのサイトが原因で、望まない妊娠が発生したら誰が責任を取るのか?』と参入を拒否されました。一方のauは、後発でとにかくコンテンツの数を増やす必要があり、ざっくり言えばどさくさに紛れて参入したという訳です。このような幸運も重なり、2000年11月、au(EZweb)の公式メニューとして、私と(株)MTIとの共同著作物として世界初の女性の健康を管理する携帯電話IP接続サービスがスタートしました。ル〜ナは特別のCMもしないのに順調にユーザーを増やし、その実績で2006年からはソフトバンク、ついでドコモも参入、名前も『ルナルナ⭐︎女性の医学』と変更されました。私は2011年まで開発に携わりました。

教訓9:企業との交渉は視点を変えて:
ル〜ナがau(EZweb)の公式メニューで成功して、ドコモなどの参入も決まった段階で、私は著作権を手放しました。これは様々な要素がありましたが、結果的にはそれが最善の方法であったと思っています。つまりル〜ナが2005年で終了していたら、現在のルナルナという形での成功はありませんでしたし、ルナルナの原点としてのル〜ナの著作者としてこうして記憶されることもなかったからです。また金銭的にも、少なくとも普通のサラリーマンの一生分の稼ぎを得たのですから・・・。

ルナルナベービーという言葉がありますが、ルナルナを通じて生まれた子供が、そのルナルナを創った人が、お金の勘定ばかりしている人よりも、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』や『神々の黄昏』を指揮した人間の方が夢があっていいじゃないですか!私の予想通り、ルナルナの成長と共に、その原点であるル〜ナの価値も高まりました。

ル〜ナの企画を20年後に評価する:
私が1999年に書いたル〜ナのビジネスプランをそのまま掲載します。これは2000年1月に完成して上記のビジネスプランコンテストに出願したものです。P.3で音声入力を記していますが、音声認識が実用レベルに達したのは、つい数年前のことですから、それを20年前に予言していました。生理計算もこの20年でデーターの分析が進んでいますが、基本的には生理周期から予測するというスタイルに変更はありません。そしてどんなに進歩しても、人間の体は不確実であり、絶対に・・・ということはありません。またル〜ナの企画では、女性ポータルサイトやデータ保存なども触れられており、現在のルナルナに至る道筋が記されています。

最後に:
私が留学当時師事したモーツァルテウム音大のヴィンベルガー教授から『作曲家が終止線を書いた瞬間、その作品は作曲家の手を離れる』という教えを受けたことがあります。同様に20世紀末に私が創ったルナルナ(旧ルーナ)は進化しています。この備忘録を公開した2025年現在、多くの方がルナルナを知るところとなり、多くのルナルナベービーが生まれていることは嬉しい限りです。現実は正に、私が1999年にそのビジネスモデルを創ったときの興奮。『これで人類は幸福になる!』という確信が現実になりました。この過程ではもちろん(株)MTIで働く、働いてきた多くの人の努力あってのことと思いますが、その原点は私にあることは歴史に記録されるべきと思います。芸術に携わる人間として、ルナルナの未来を予言すると、ルナルナは一企業の手を離れて、電気や水道といった社会インフラになると想像します。もちろん私がそれを見届ける保証はありませんが、それほど遠くない将来にその時は訪れると思います。最後になりますが、お母様がルナルナを利用していて、この世に生を受けた皆さんが、いつの日かみなさんの発生の起源となったルナルナの歴史に興味を持っていただき、その原点に、私の思い『人類の幸福と平和』があったことを知っていただけたら、そしてその人間が指揮者だったことに驚き、それに勇気付けられて、新たな『人類の幸福』のアイデアを創りだしていただけたら、それ以上の幸福はありません。

2025年6月 佐々木 修


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