詩人の心

                           

 「赤い夕陽が校舎を染めて・・・」と「高校三年生」を舟木一夫が歌っていたことは承知していたが、作曲は遠藤実・作詞”おかとしお”と昭和38年以来何回も聞いていたのだろうけれど、この作詞者が誰であったかの認識は今までなかった。

 たまたま深夜放送で、ご本人の2時間たっぷりのインタ−ビュ−”90歳の青春!”を聞いて、始めて、その元気さ、数々の名曲の作詞者であることが分かったことを書いて置こうと思った。

 大正6年福島県小野町に生まれ、昭和16年24歳のときNHK郡山局に入社しているが、17年に退社、すぐ毎日新聞に入社している。

 詩人西条八十に師事したといわれているが、ご本人は”取材”に伺ったのが、”きっかけ”であったが、ご本人からは”教わったことはなかった”が、”高校三年生”を書いたときは、”一言””ほめてもらった”という話であった。

 ”詩”は”人に教えられるようなものではないのではないかと私は考えるが、”詩人”といわれる”人”はそんなことだろうと思った。

 新聞記者時代よく”詩”を書いていたが、それをゆるしてくれた上司に感謝していた。

 どこかで流行っている”詩人”を取材してくれといわれたら、”自分”の書いた詩であったという。ペンネ−ムはいろいろあったようだが、今は”丘灯至夫”である。

 昭和24年に日本コロンビヤ社専属作詞者になるが、藤山一郎さんは当時”天皇であって、作詞者にとっては近かよりがたい存在であったとかいっていた。

 主な作品をみると、昭和24年の「花咲く乙女」(並木路子)以来数々あるが、昭和32年「東京のバスガ−ル」(コロンビヤ・ロ−ズ)など、青春ものなど”明るい”歌が数々ある。

 ”90歳の青春”とは、昔聞いた歌は、その人の”青春”との”思い出”とかさなり、何時までも”若く”の考え方が基本であると聞いた。

 コンピュ−タ−上の資料には作曲者「古関裕而」との関係もあり、「新聞記者に必要なことは”顔”と”押し”でペンネ−ムの”おかとしお”を逆に読んだものだ、ハッハッハッ”」とか、「高校三年生」の出る前、昭和37年「毎日グラフ」の記者であったとき、世田谷の松陰学園高校の文化祭への取材のとき、校庭で男女がフォ−クダンスを踊る光景をみて、男女が手をとりあっているのに衝撃をうけ・・・・「フオ−クダンスの手をとれば、甘く匂うよ黒髪が」という詩が最初にできたんです。一番最初の「赤い夕陽が校舎を染めて」などあとからつけたものですとあった。

  小野町の名誉町民第1号で、町には記念館があるとか。

 

 ”詩人”というと、”出船の港””鉾ををさめて”を書いた”時雨音羽”が大蔵省勤務時代に書いた”塩と民族”を思い出す。(衛生の旅、Part 5)

 また”シャボン玉 飛ばそ”を書いた”野口雨情”を思い出す。私はこの詩から当時の”乳児死亡”を考えて書いたことを。(衛生の旅、Part 6)

 

 ところでこのところ繰り返し放映される”歌””私のお墓の前で泣かないでください・・・”があることを書いておかなくてならない。

 この詩の起源に関してはいくつかの説があるようだが・・・・

 出だしは”Do not stand at my grave and weep""I am not there, I do not sleep"であり、つづいいて’I am in a thousand winds that blow"・・・である。

 小説家の新井満さんが日本語での訳詩を付け、自ら作曲をしたことによって生まれた楽曲といわれ、NHKの紅白で秋川雅史さんがテノ−ルでうたって俄然注目された。

 私もその一人だが、良い歌、詩だと思った。

 前にとっていた朝日新聞の「天声人語」内に掲載されていたことは認識していなかった。

 それにても”千の風になって”と書かれたのは”詩人”の”センス”であろうか。”千の風にのって”と国会でいっている方の声が耳に入ってきたが。(20070225) 

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