記憶にのこる言葉・文章など(その5)

 

その9

 

 福澤諭吉先生は酒好きだったようで、大阪の適塾で学んでいた時代にも色々エピソ−ドがあったらしい。そのせいかは分からないが「学者が学を好むのは、酒飲みが酒を好むがごとし」とか「人生の楽事」といっていた記憶があり、私が仕事で「表彰」さたときの挨拶のときに引用したことがあった。

 先生が「自然科学」にどんな思いがあったかを伺われる文章があった。

 豊田利幸(福澤選書:慶應義塾大学:平成6年)の7頁である。

 「明治15年、諭吉49歳のときの演説がある」

 「物理学とは、天然の原理に基き、物の性質を明にし、其働を察し、之を採って以て人事の用に供するの学問にして、自から他の学問に異なる所のものあり。例へば、今経済学と云ひ、商売学と云ひ、等しく学のあれども、今日の有様にては、経済商売の如き、未だ全く天然の原則に依るものに非ず。如何となれば経済商売に、自由の主義あり、保護の主義あり、其基く所同じからずして、英国の学者が自由を以て理なりと云えば、亜国の人は以て道なりと云ひ、之を聞けば雙方共に道理あるが如し。左すれば、経済商売の道理は英亜両国に於いて其趣を異にするものと云はざるを得ず。物理は則ち然らず」と。

 「物理」が一般的に用いられるようになったが、初め先生は「窮理」と言われていたと思う。

 現代の「WTO」(World Trade Organization)の問題をいっているようで、「WHO」(World Health Organiztion)とは基本的に異なり、私がWHOに望みをもつのはそんなわけである。

 また「学問のすすめ」(明治5)に

「信の世界に偽詐多く 疑の世界に真理多し」

「文明の進歩は天地の間にある有形の物にても無形の人事にても其働の趣を詮索して真実を発明するに在り西洋諸国の人民が今日の文明に達したるは其源を尋れば疑の一点より出でざるものなし」と書いている気持ちがあったのであろう。

 これらは私のノ−トに書き写した文章であった。

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