「お墓ができました!?お食事会」のこと(オタク老人のひとりごと41)

 

「お墓ができました」の標題をみれば、”いよいよナオスケ先生も・・・お墓を準備したのか!”と思われる方が多いのではないかと思うのだけれど、事実は全くことなることをここに書いておこうと思う。

 「衛生の旅のはじめに」に書いたことなのだけれど・・・「ぼくの墓場は祖父が東京の青山墓地に造ったところの一角をもらうことに兄との口約束になっているけど、私に会いたくなったら・・・」のことを覚えていてくれた兄が、近くの梅窓院にある佐々木家累代之墓とのからみあいでいろいろ考えたようで・・・ここは身内のことで・・・私とはかかわりのないことで・・・・「私たちの眠れる処」の墓を完成しましたことはメ−ルで承知していた。

 「章さんへ 青山にお墓ができたとか・・・健康がゆるせば日帰りでも参加したいと考えております」とメ−ルを送ったのが8月6日。

 「Re写真 有り難う 今度の写真でよくわかりました もう上京しなくてもよい気持ちです」8月16日。

 「車椅子(アルミ11キロ)購入しました 修」「準備がよいこと こちらでも買おうかと思っていました」9月13日。

 「ご案内 以前にスケジュ−ルを戴きましたが 10月29日に・・・」9月16日。

 「Reご案内 ご苦労さんです 一応2名参加の予定です」9月16日

 「ママが切符を購入してきました いろいろお世話になるようで よろしく 10月27日JAL1202便0925青森発 帰り30日JAL1207便1505羽田発 すべてOKです 27日は繁の 28日は章の 29日は修の家に泊めていただくとのこと 一応ご連絡のみ 直亮」9月19日。

 「Re佐々木修 ありがとう 章からの連絡の具体的な集合場所が判然としないので・・・すべては皆さんにおまかせしますという心境です 直亮」9月20日。

 「Re10月29日の御連絡 ご連絡ありがとう 楽しい会になりそうで楽しみにしています 直亮と悦は27日上京 羽田へは修が出迎え繁の家まで送ってくれるそうです 直亮」9月23日。

 ・・・・・とここまでが今回のひとりごとのプロロ−グで・・・・・

 

 久しぶりの上京で、修が車椅子で出迎えてくれるとのことで、「八十五歳の足の痛みがあるものの杖を使って歩ける身」ではあるが、折角の機会だから「車椅子体験旅行」の経験をしてみたいと・・・またJALの「スマイルサ−ビス」の評価の機会と考えた。

 また3人の子ども達の家のそれぞれへの始めての訪問と捉えていた。

 10月27日から30日までの私なりの行動の記録と所感を書けば色々あるが、ほんのさわりだけを・・・・

 

 2006.10.27. 朝0725 迎えの予約乗合ハイヤ−到着:(体内時計がどうなることか:数日前から早起きに心がけてはいたが:排便・排尿のその他のことがどうなるものか・・・):空港でのチェックインは家内が・・・(私の体具合・病名はと聞かれたとか)

 羽田へ到着後からJAL用意の車椅子で男子職員が押してくれた・・・下りがあるためか、普通なら逆の姿勢で降りるとか・・・北ウイングの出口へ予定より一寸おくれて。

 車椅子準備の修の出迎えの風景は修のビデオに・・・車椅子専用のトイレへ案内しましょうか・・・まずは昼飯を・・・私は(とろろそば)を・・・駐車場へ・・・それから高速で・・・まず青山へ梅窓院へいって見ましょうか・・・いつものモノレ−ルからの風景とは全く違った高層ビルの谷間を走り・・・平日金曜の交通ラッシュの車にはさまれて・・・空気の汚いこと汚いこと・・・ETCの便利さ・・・外苑西通りを上がって青山霊園へ・・・「一種口7号5側」の墓所へは車椅子で・・・祖父の和亮・清子の墓(昔小さいころ父親9月1日にはよくつれてこられたっけ・・・)のとなりに新しい「私たちの眠れる処」の墓が出来ていた墓誌は空・・・そこから梅窓院へは修が車椅子をおしてくれた・・・(母の納骨のとき以来・・・)まったくの様変わりしたビルにかこまれた梅窓院・・・受付で移転した墓に印をつけてもらった図面をもとに・・・よい場所に記憶のある墓石があった ・・・新しく出来ていた墓誌には両親の戒名が刻まれていた。

 ・・・・いろいろ思い出のある明治記念館のそばを・・・40年前始めての外国行きの前泊まったホテルニュ−オ−タニの建物など昔の記憶にある建物は数少なく・・・ビルの谷間・トンネル内を走り・・・加賀のマンションへ予定通り到着。

 階段をあがらず平面で行ける方へ車をまわして・・繁まだ会社・・・伸チャン今日は保育園を休んだとか(すぐよくなって一安心)・・・まなチャンママべったり・・・TV・コンピュ−タ・ラジオは一緒の機種・・・コ−ドのないマウスはゲ−ムをやるのに善し悪しだとは誰かの印象・・・一眠りしている間に・・・近くに住むむこうの両親が見えたとか(明日用の車を持ってこられたのではないか・・・お元気とか)・・・あなたはおこさなかったわ・・・簡単なカレ−の夕食を済ませたところへ繁帰宅・・・・・・明日の予定を聞いて早めに就寝。

 

2006.10.28.(土)午前保育園での作品展。まなチャンはじじバ−チャンが預かりましょうといってもママを離れず・・・結局4人で出かけて行った・・・作品展での様子は帰宅後ビデオで拝見。

・・・昼のご飯は予約注文の「料亭弁当」・・・なかなか美味しかった・・・夕刻4時ごろまでに章のところへ着けばよいでしょう・・・

 ・・・・両親からの借り物の車で出発(自分の車は手放したことは9月11日のメ−ルで承知していた・・・そのほうが良いでしょうと返事した)・・・すぐ着くかと思っていたのに・・・レ−ンを間違えたばかりに・・・杉並区の昔悦が住んでいたところ迄行って、Uタ−ン。章の家の近くまで行って、家が見えるのに車では行けず・・・ケイタイで呼び出して、協子さんをのせて回り道をしてようやく玄関先へ到着。ご苦労様でした。繁夜の予定があるとかですぐ加賀へ帰る。

・・・・・今日は土曜日、忙しい中家にいた章と昔からいたワンチャンに迎えられ

・・・・・TVは今はやりの・・・幾ら大型になってハイになっても・・・見る方の人の機能が落ちては・・・話題は「建築上の考案」(その方面の雑誌にその考案が載ったとか)(昭和43年にわが家を新築した時のことを思い出した)とゴルフについての章理論と各種道具を持って来て・・・プロの人が教えない秘密の理論を・・・夕飯は何がでるかと思っていたら・・・主として魚の手まき海苔まき・・・かにもどきあり・・・それなりに美味であった・・・おわってすぐに章は各種「運動」を始める。自分なりに勉強し、足ふみからストレッチ・・・バランスとりの道具などなど・・・最近太ってきた繁に教えてあげたら良いわ・・・タバコはまだやめられず・・・いろいろ家内ではル−ルをつくっているとか・・・・いくつになったっけ・・・定年はいつ・・・・・公共放送とは・・・著作権50年70年の問題は・・・アメリカでのカ−ネギ−とフォ−ド・ロックフェラ−の違いとは・・・それは個人の意思の問題でしょう・・・との答えに(いつか私のHPの中で章たちにリンクしたとき・・・一寸”ポリシイ”が違うんだけれど・・・との章の声を思いだした)・・・明日の進行はどうなっているの・・・なんにも決めていない・・・なるようになるさ・・・明日の会食は私に持たせて下さいと云った人がいたとか・・・今はもうそんな時代ではありませんよとの答えだったとか・・・風呂の中にもTVあり。

・・・1階の部屋には義父の山下さんの思い出の写真・本・象のコレクションが飾られていた。私の本も・・・その部屋で就寝。静かであった。

 

2006.10.29.(日) 玄関先になかった自転車2台。夜中に帰ってきたのかしら・・・犬をつれての協子さん朝の散歩はもうすませたとか。・・・朝食は各種果物を揃えたお皿・インスタントコ−ヒ−・牛乳を用意してくれた。今日は中華料理の会食なのでこれで沢山。

カ−ナビの車に行先を入力出発。カ−ナビのソフトは変更度に換えなければならない・・・時間がまだあるからお墓まで行ってみましょうか

 お墓の前には兄夫婦以下そちら側の人々が集まっている姿が見えた。久しぶりの顔・顔・顔。先に着いていた繁たち・・・章は私達を下ろしたあと石材屋さんへよってお墓をつくった人を呼んできた・・・まだ揃いませんが・・・と正一さんが皆の紹介を始める。・・・修達も見えた・・・皆で写真を撮りましょう・・・兄夫婦われわれ夫婦が手始め・・・次ぎの世代はそのあとについて・・・ 孫たちもいれて

・・・ビデオ・デジカメにかこまれて・・・梅窓院の方にも行ってもらいたいんだけどと兄発言・・・ではと歩く人は 車の人は とぞろぞろと・・・梅窓院の駐車場に次々と乗る人の組み合わせいろいろ・・・車の品評会みたいだな・・・修車椅子をトランクから出して用意する・・・一寸前死にそうで入院していたとか歩くと足がいたいという義姉へ乗って見ませんかと・・・すでに火をつけ煙のでている線香を持つ兄先頭に・・・墓前でそれぞれの組み合わせで手をあわせ・・・天気は快晴・・・ではお食事会へどうぞ・・・駐車場は有料のが近くにありますから・・・入り口の側に章が手をふっている姿が見えた・・・B3へ降りる・・・ここでも修が用意した車椅子にのる・・・バリヤフリ−ではないが・・・B2の会場へぞろぞろ・・・入り口に「佐々木様」とあった・・・

 昔父が物産に勤務していたとき聞いていた三井同族会また渋沢同族会また福沢の同族会のことが頭をかすめた・・・今皆どうしているかしら・・・

・・・ここは正亮さんお父さんはここと章から指定を受ける。あとはご自由に・・・いち早くメインに座る4歳児・子ども用の椅子にしましょうか、僕はこれでいい・・・これは保育園の席取りゲ−ムで学んだことなのか、DNAのしからしめることなのか。ひとつあいたところへ、ここへいらしゃいとよびよせる人。”この子高1!?”ですとは中1になったばかりの子・おとなしくかしこまって。・・・生ビ−ルを飲む人は!の声に真っ先に手を挙げる人。朝岡崎をたって清里へより両親をのせ、帰りはまかせる予定なのか。昔この二人が清里で結婚式を上げたとき、アメリカからTVの取材がきたっけ。披露宴のとき東大の同級生達が”鉄門クラブ!!”とかエ−ルを送られたことがあったっけ。

章司会の役を始める。まずは正チャンから順に4名それぞれの挨拶。では正亮さんどうぞ座ったままで・・・兄これまでのいきさつを話しはじめる・・・明治維新の時代の話から和亮じいさんの話まで・・・今度の四人の名前でお墓をつくってよかったのではないか・・・そえ広くすえ永くとの思いのたけを述べる・・・では直亮さん乾杯の音頭を!・・・立って・・・まったくの突然のご指名で・・・私は次男のナオスケです・・・今兄の話にでたお墓の和亮じいさんは写真しか記憶にありません・・・(前もって私の思いをどうしゃべたらよいか一応は考えてはきたものの一切はぶくことにする)・・・生きて皆さんにお会いできて大変嬉しく思います。皆さんの健康と今後のご活躍を祈って乾杯!(私はウ−ロン茶で)(短くてよかた!とは影の声)・・・ 

 お姉さんの話では92歳になったとか・・・いや91歳だ、大正3年10月1日だから・・・・・・お姉さんは日赤でしたよね・・・ええ赤紙で招集をうけて・・・同じ頃の人の話が深夜放送にありましたが・・・ラジオを聞いていないらしい(それからのことは聞かないことにした)・・・昔私が小さいころ三田の家で中華の料理人たちを呼んで大きななべと白い服が記憶にあるんだけれど、法事はにぎやかなほうがいいといっていたオヤジの記憶があるんだけれど・・・あったね いろいろあったんだろうな・・・

 君たちの”なれそめ”はどうなんだ!なにがビビツときたんだ!と若い人たちに聞きただすひと。ヒ−ルを飲んでお酒をのんで、みろこの通り!・

 三つに別れた席それぞれぞれに話題が進んだことだろう。・・・

・・・あのママべったりのまなチャン恵美子さんにだかれている・・・波長があうのかしら・・・トイレはどこ・・・そとで近くにありましたよ・・・では一人でいってくるから・・・さ−とあとをついてきて、出るまでまっていた人がいた・・・どうもありがとう・・・廊下で子どもたちがあつまって・・・

・・・がやがやの声のなかに・・・このじいさんブログだけでなくHPもつくっているんだからと聞こえた・・・

・・ 中じめはKさんのご主人Sさん(スポ−ツ・プレックス・ジャパンKK代表取締役社長と名刺にあった・・・都内に12カ所、近くまた一つ)・・・何百人をかかえているので・・・もうあまり贅沢はできません・・・と云っていたとか。

別れの握手を交わし・・・B2の駐車場へ。

・・・時計をみたら4時だった。さあこれから横浜へ・・・未来都市横浜に灯はともり・・・中区鷺山の頂上へ・・・車の入るこの辺ではオクションとか(近くに駐車場をかりたことはメ−ルで承知していた)・・・ここから車椅子で下る初体験・・・何カ所かまだバリヤ−あり、車が入れない場所であったので、ほりだしものの新建築とか・・・出来たばかりまだかたずけのすんでいない新居へ・・・ここも修のアイデアをオプションにしてつくったとか・・・TV・コンピュ−タ・電気系統。お風呂など・近代的 ”王様の椅子?があった・・・子宮の中にいるような宇宙の中にいるような・・・こちらは腹いっぱいなのでお茶のみ・・・お菓子をたべる人あり・・・なぜまたおにぎりなどつくるんだ!・・・ むずかしいな・・・建築が出来上がってゆく様子や羽田から今まで撮ったハイのビデオをみせてもらう・・・今回記録係りをかってでて、すんだらハイのDVDを作るつもりか・・・CDをバックになずなチャンのコントラバスの演奏は圧巻・今回最大の感激・・・いつのまにかこんなにうまくなったのかしら・・・一階の8畳の部屋にいつでもどうぞ。

 10.30(月)朝・・・まだそとまわりなど職人が入って仕事中・・・会社マエストロの部屋は修の部屋まだ荷物がつまれたまま・・・2時頃まで空港へつけば良いでしょう・・・色々気をつかう恵美子さん・・・昼は手製の豆乳鍋でぶたしゃぶ・・・そとでたべるより美味であった・・・

・・・宅送の荷物を出してもらう(下の階だった)・・・北ウイングのJALのスマイルサ−ビスの受付でチェクイン、ここでJALの車椅子をかりて、月曜なのにここまで送りに来た自由業修夫婦にお礼をいってわかれる。

・・・車椅子優先のゲ−トあり。車椅子の人はボデイチェック。出発のフロワ−は平面で椅子をおすには力もいらず安全。出発便に先にのり、青森についてからも別のエレベ−タ(両面開く)で出口へ。予約していたハイヤ−は来ていた。

・・・茜色の夕陽の沈む岩木山・・・外気温は13度のサイン・・・自宅へ無事到着。6時になっていた。4日間るすしていた部屋の温度15度だった。今日は天気がよかったからか、・・・暖房のスイッチを入れる・・・空気は・・・冷たい水は東京とちがって美味しく感じた。(20061101)

一度出した文章を一部除いた。説明不充分ですがおゆるし下さい。

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