ねぷたが終わって秋がきて(オタク老人のひとりごと31)

 

 東北各地での夏まつりが終わりちかく、甲子園では熱戦がつづいている。

 国際的にはイスラエルとレバノン、14日停戦で合意したとつたえられた。

 国内では次ぎの自民党総裁がだれになるのかの問題が盛んになってきた。

 政治とか政党とかは自分としては全く知識は無いし、経験もないが、世の中の話題がやれ「靖国神社」とか「A級戦犯」とか「戦争責任」とか云われると、自分ではどう考えているのかなと思うことが最近の(オタク老人のひとりごと)である。そのいくつかはすでにHPの中に書いてきたので、今更と思うこともあるが、その流れとして、今何を考えているかを書いて置こうと思う。

 「責任」についてはすでに書いた。また「過去は過去」と書いたこともあった。「体験」の無い方の意見は「精神的な拉致」をされていると考えるので戴けないとも書いた。「コホ−ト分析的思考」によるから、その人の生まれ育った時代時代によって考え方は異なり「人生いろいろ」とも書いた。「国」の憲法、「国のかたち」もいろいろだから 、「意見の相違」「判断の相違」があっても当然と考えるのだが。

 「自民党の総裁」は今の情勢だと即日本国の首相になるのだから、「党則」が問題になるはずだと思うのだが、国民に向かって「アンケ−ト」がとられている。「国民投票」の規則にはなっていないから、その結果を「党員」に影響を及ぼそうという考え方によるのであろうか。

 「党員」は以前は、今も「党派」に縛られているのであろうか。

 その個人個人はどう判断し一票を投じるのであろうか。「翼賛選挙」は「違反である」と判断した方の原本が見つかったという放映があった。なぜ「満州事変」「シナ事変」がおこったのかの放映もあった。「蒋介石」「スタ−リン」「ル−ズベルト」「近衛首相」が登場する「シナ事変」と記憶のある「日中戦争」と標題にある放映もやっていた。自分としては「小さい子供のとき」の話でこれを批判することは出来ない。「東条首相」がどんな方であったかも知らない。遺族の方が「侵略」ではなく「自衛」と考えなくてはやりきれないとか云っていた放映もあった。何故逮捕直前「自殺」をはかったかは分からない。近衛首相は自ら命をたったのがその気持ちは推測するほかない。色々の情報は分からないことだらけでである。

 「党首」の考え方・判断は「誰のものなのか」「個人のものなのか」分からない。

 「自民党をぶっこわす」といった小泉首相が長期政権をもったのも、「独裁」とは本人も云わないし私もそう思わないが、それは「個人」の考えであるのか、組織の考えであるのか、わからない。「丸投げ」とも云われることもあるが、すべて「アメリカ」次第とも「アメリカ」の星の一つになったとは思われない。

 色々な方が色々の意見を述べているが、それぞれである。その中でどの個人が政権を担うことになるのであろうか。(20060815)

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