分からないことが多すぎる(オタク老人のひとりごと24)

 

 昭和から平成へと時代が移っていった時、それは衛生の旅(Part5)に「一日一考」を書いていたときだったか、「あまりにも次ぎから次ぎへと記事が出て色々と考えさせることが多かった」「一番必要なのは正確な情報である」「それをもっている人が誰であったのか。それによってどのように判断したのか。その判断の根拠は何であたのか。その人は何を考えていたのか」と。

 「オタク老人のひとりごと」を書き始めて、はや半年たってしまった。

 それにしても、毎日「話題」はつきないが、その情報は国際的にみても、国内でも、すくなくともわが国では、刻々伝えられているように思われる。

 昔のように、それも一寸前のように、「知らしめず」というようでは無くなった様に思われる。事件が、火事であっても、殺人であっても、交通事故であっても、伝えられていると思われるが、しかし「それが何故か?」はわからない。

 「人は知ることを欲する」といわれるが、「原因調査委員会」はつくられ、「ワイドショウ」に話題はつきず、毎日が過ぎ去ってゆく感じである。

 「回転ドア−」の次ぎは「エレベ−タ−」「防火扉」である。

 水死事故?で子供を亡くした母親が死体遺棄で疑われ、殺人を自白しはじめたとか。仲良く一緒に遊んでいたすぐそばの子を何故殺したのかは分からない。        

 高層マンションの墜落事故。「高い所に住んでいる人達を***してやりたかった」とか。人の心はわからない。

 「勝ち組み」の代表とも云われる六本木ビルの窓から大東京の夜景を眺めたい人達もいるのではないか。

 「ホリエモン」は無罪を主張し、裁判の準備をしていると伝えられている。

 その本人が「だまされた!」とか云ったと伝えられた。

  「村上フアンド」の「プロ中のプロ」と自認する世彰代表者は、「聞いてしまってミスをおかした」とかいっていた。「がんがんやり合った!検察には検察のロジックがある」とは「何で」あったのであろうか。

 「汗をかかないで、金儲けするのは、けしからん」とでも考えるのであろうか。

 「汗」などというと、すぐ昔の「久野寧先生」の業績が頭に浮かぶ。

 「盗作とみられてもやむを得ない!?」とはどういう意味であるのであろうか。

 「盗作と断定!」という記事もあったが、構図は借りたのだという発言もあった。

 「ゴッホでなくて残念!」とは私の感想であるが、「芸術」の本質にかかわる問題であるという認識であるが、日本的な解決方法ではなかったか。

 毎日分からないことだらけである。(20060610)

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