百聞(ひゃくぶん)は一見(いっけん)に如(し)かず(オタク老人のひとりごと20)

 

 今日は5月1日である。ゴ−ルデンウイ−クに入ったのだけれど、ここ弘前のさくらはほころびたばかりである。

 歴史は繰り返すというけれど、1965年の春5月の中旬に、弘前公園の中にできたばかりの市民会館を会場に日本衛生学会総会を開催したときは、さくらが遅く、りんごの花と一緒にさいた時のことを思い出す。

 標題の意味は、五感のうち視覚による情報は、他を追い越すものだと、前に「人々と生活と」という写真集を出したときの私の印象であるが、前の19に耳・聴覚のことを書いたので、今日は「目」のことを書いておこうと思う。

 

 私は目は比較的良い方であったと思う。いつも両眼とも「1.2」であった。

 海軍にいたとき、星を、遠くを見つめて訓練したこともあった。

 海外旅行のあと帰国したころ、四十四・五才のころからであったが、「辞書」の活字が読みずらくなった自覚をもった。検査して分かったことだが、「乱視」があり、「眼鏡」を使用した方が良いだろうとなった。それ以来眼鏡は必需品になった。

 歳をとると次第に近業用の眼鏡を用いるようになった。

 以前一つのレンズで遠近両用のを友人に処方してもらったこともあったが、階段を下るときにはあぶなく、不便であったので使用はやめた。

 近ごろは新聞を読むときには別に「拡大鏡」があったほうが良い。コンピュ−タの画面の字は最大限にしているのでどうにかやれる。

 「色メガネ」を使用したこともあった。かっこうをつけるためか、外出時に、運転の時に使った。レンズの特性など知識もなかったし、知らなかった。

 その後アメリカのクリ−ブランドへ行ったとき安達珠子さんに市内案内して戴いた時だったか、チタンが発売されるようになったときだったか、「フレ−ム」だけでもと思って店によった時、「スタイリスト」とかいう専門家と称する女子店員に私にあわして選んでもららったことを思い出す。

 ゴルフのシャフトも「チタン」になって、弘大の何回生かの同窓会に呼ばれたとき、入れ歯も「チタン」にしてもらったあとだったか、「チタン・チタン・タタン」と喋ったことを思い出す。「タタン」のことは説明はいらないだろう。

 救急車に運ばれて入院したのは、2002年の11月だから、早3年たったが、その時各科を回って色々調べてもらた時、眼科では「白内障」が少しありますねといわれた。

 たしかに朝おきるとすこし”寝ぼけまなこ”の感じがするようになった。また光がすこしまぶしく感じるようになった。

 自己診断してみると、右目がすこしかすんできた感じがして、それがここ3年の間に日一日とゆくりではあるが進行しているように感じる。日常生活には何ら(すこしは?)不便を感じない程度ではあるが。

 運転免許の3年ごとの更新時に引っかかるかと思っていたが、両眼視力であったので無事更新できはした。

 身近の方々に「白内障」の手術をやられた話をよく聞くようになった。

 自分がその身なので特に気になるのかとは思いながら、最近の手術方式の進歩を知ると、いつかはやって戴いたらと思うこともあると考えているのが現在の心境である。

 こんなことをくだくだ書くのも老人になった証拠だと思いながら。(20060501)

もとへもどる