金・金・金

 

 「キン・キン・キン」と言えばオリンピックを、「かね・かね・かね」と読めば「政治とかね」を連想するのが今日の話題であるが、ここではオリンピックについての記憶を書いておこうと思う。

 小学生の時だから75年も前の話であるが、、三田綱町の自宅から三田通りへ出て、芝公園を通って、日比谷公園へ歩いていって、あの広場でアメリカのロスから空輸されたフイルムの映画を見た記憶がある。よくあの距離を歩いていったものだと思う。

 北村選手という大学生がたしか1500Mで優勝した。卒業したらどうするかが話題にな ったが会社に就職した。水泳は若い時に記録が急に伸びるものだとの印象がある。いつかの岩崎さん、今度の柴田さんのように。

 三田綱町に出来たプ−ルでよく見かけた選手が出ていて、平泳ぎの小池選手という名前が記憶にある。初めての海外への在外研究の帰途香港へ立ち寄ったとき、あの海峡を戦争のときに小池選手が泳いでわたったという話を思い出した。

 中学生のとき、弓の道場で佐々木正五さんと久保義信さんとの「ミュンヘン」とかの会話を小耳に挟んだとき、丁度銀座にできたばかりの「ビヤホ−ル」の名前を言っているのかとばかり思っていたら、ドイツのベルリンで開かれたオリンピックへ二人して行ってきた話で、「お金持ちは違うな!」といった感じをもったことが思い出される。

 日独伊同盟のころで、ヒットラ−が国威を示すために映画をつくったといわれ、前畑さんが平泳ぎで優勝した時ではなかったか。

 東京オリンピックが開かれたときは、丁度私が在外研究に出発する前のときで、仙台で今学長をやっている遠藤君と一緒にどこかの食堂のカラ−テレビで日本が入場するところを見た記憶がある。新幹線ができたこともあって、海外での行く先ざきで話題になった。

 帰国後市川さんが監督をやって出来た記録映画を見たとき、「はだしのアベベ」が走っている姿が印象的であった。そのときの場面をみていつもコカコ−ラの広告の名前が目に入ってくるのに気がついた。世界戦略の一環ではないかとの印象をもったこともあった。その点今回のアテネでは、白と青のバックに五輪のマ−クも白でATHENS2004とあっただけで、運動具メ−カ−の名前は最小限小さく制限されていたと見た。

 オリンピックには金(かね)がかかり、開催国のお荷物になってきたと言われていたのに、アメリカでのビジネスが成功して、もうかる事業になってきて、その後誘致合戦が盛んになった。TVの放映権料が高額になったことと関係があるような気がする。インタ−ネットでオリンピックで検索したら、私の書いた「精神的拉致」が出てきた。北京にきまったときの感想を書いた文章である。

 もう4年もたってしまったという印象が強いが、シドニ−の時にも色々な話題があって、いくつか書いて入れた。「はた」「クリップ」「アボリジニ」のことなど。

 今度のギリシャのアテネではさすが歴史のある国で、開会式でのショウはその歴史を示して簡潔でわかりやすかった。パルテノン、エ−ゲ海、そしてマラソンの道は画面に登場したが、私にとって思い出のあるコス島の話はどこにも登場しなかった。

 会長が医師出身であったせいか、選手宣誓にも「薬物服用」の言葉が入っており、「ド−ピングの問題」が記憶に残った。医学的にまた科学的に今後どうなるのかと思う。

 筋力が問題になる競技では勝つための一つの方法であると考えるのはごく普通であろう。アメリカの大リ−グのホ−ムランが話題になったとき「ド−ピング」のことが報道された記憶がある。そのリ−グがオリンピックとは別にサッカ−のFIFAのように世界リ−グを3年後かに考えているとラジオでいっていた。日本ではストをするとかいっているのに。

 色々の競技があることを改めて認識したが、大きく分けて個人競技と相手がある競技との別れると見た。

 個人競技のア−チェリ−で「20年かかって銅から銀、次ぎの20年で金を」というのは立派だ。私は「弓」をやってきたが、自分の経験から「うまく当たるときときには、的が近くに見え、離せば必ず当たるという感覚」をもったことがあったことを思い出す。「はやけ」のことを書いたとき「その前にまきわら千本でしょう」と言われたことがあったが、今度本が出たという小泉信三先生がテニス部へ与えたといわれる「練習は不可能を可能にす」という言葉を思い出す。「匠」の世界であると思う。

 青森からの最年少で可愛い笑顔で話題の愛チャンも3才から卓球を始めたと言われるから、キャリヤ−は永い。バイオリンやピアノでの天才といわれる人と同じではないか。

 スポ−ツの語源はポ−タ−(荷物を運ぶ:普段の仕事:労働)から離れて、一定の規則をつくって争うもの、との記憶がある。 が「たかがスポ−ツ、されどスポ−ツ」の世の中になってしまった。表彰状とか報奨金が話題であるが、「生活がかかっている」とかいう話を聞くと、「されどスポ−ツ」であるのだろう。

 競技にはそれぞれ規則があるようである。柔道も規則がかわったらしいが、「一本勝ち」はすっきりとする。規則は人間が決めたものだし、時代とともにかわるものだから、勝つためにはその研究が必要であろう。

 今度の北京ではどんなオリンピックになることか。サ−ズが出たとき北京はどうかと心配したが、中国のお国柄はどうさばくかと思う。閉会式の中国のセレモニ−は若い人の演出と聞いた。

 学問の世界は競争はあっても、誰が金メタルかはきめられない。1970年ロンドンでの第6回世界心臓学会の「高血圧の成因」のラウンドテ−ブルに選ばれて出て発表したときは、いってみれば百メ−トルのファイナルに出た気持ちだったことが思い出される。(20040910)

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