痒みいろいろ痛みいろいろ

 

 「人生いろいろ」の続きである。また「外胚葉芸術論」「患者の玄人」の続きでもある。

 「痒み」は「かゆいかゆい」との自覚で、「痛み」も自分のことで、他人には分からない。「臭い仲」の「臭み」、また「美味」と、「み」がつく言葉は分からない。

 アメリカのミネソタ大学での在外研究で滞在していた時だったが、皮膚が「かゆくてかゆくて」こまったことがあった。湿度が低いことと関係があるのではないかと今なら考えるのだが、当時売り出された「オロナイン軟膏」を送ってもらって対処したことを思い出す。

 次ぎの体験はりんご農薬に「ダイホルタン」が登場してきて、「皮膚症状」が問題になったとき、皮膚科の帷子教授や橋本君らと共同調査をやった時の経験である。

 研究会をもち報告書を書いたことがあったが、結局「薬害」があることが判明し一般には使用されないことになった。そのとき、約30%の人々に反応があることを確かめ、自分でも「パッチテスト」をやって「痒み」がおこることを経験した記憶がある。

 何故「皮膚症状」がおこるのか、自分は「何故」ということは分からずじまいに経過した。

 まだ現役の20年も前からのことであるが、「接触性皮膚炎」ということで「皮膚科」の外来に通ったことがあった。

 「かゆいかゆい」は自分が思うことだが、「かゆい」ところを「かく」と気持ちがよく「あとをひく」のである。そのうち別の皮膚症状がおこってくるのである。ちょうど「ラスベガス」のスロットマシンで経験したように、一度あたるとやめられない。「家訓」としての「かけごとはしないこと」に自分は救われてきた思いがある。身近な人は皮膚が汚く醜くなるから「かゆくてもじっと我慢するのだ」という。

 昔「クロ−ムメッキ」の腕時計を使っていたところが「薄黒く」反応したことを話したら、今度教授になった花田君に何が「アレルゲン」かいろいろテストしてもらったことがあった。当時「アトピ−皮膚炎」とか「入れ歯」のアマルガムが話題になった頃だったが「 アレルゲン」を特定するにはいたらなかった。入院時に「かゆみ」を感じたことは前に書いた。帷子先生がいつか謝恩会で、「レッテルははがれるが、入れ墨は・・・」といった言葉と、「皮膚は一つの臓器だ」という記憶にある言葉をもとに、近くのI先生に通いながら、どのように日頃スキンケヤ−をしたらよいか考えながら、現在におよんでいる。

 今は「痛み」である。

 「痛み」が毎日症状がかわり、変化している。「神経痛」というのであろうか。その本体が何かまだ分からない。

 退院後主治医をきめて通院しながら、客観的な血液・尿の検査結果が良い方向に向かっているとのことだし、自覚的には千分の一づつ位良くなってきていると話すのだが、「痛み」は分かってもらえない。

 麻酔科の尾山教授が呼んだ博士の講演を階段講堂で聞いた記憶があるのだがその内容は思い出されない。先生が出版された「痛みについて」を読んでみたが、自分の「痛み」に答えはみつからない。「ペインクリニク」を開設されることになったがまだいってみない。

 「アスピリン」は小さいとき「解熱剤」として飲んだのだが、効能の第一に「鎮痛剤」と書いてある。退院後の主治医に相談しながらであるが、「鎮痛剤」は腎臓に悪いという。「衛生学」を専攻してきた身としては、あまり「薬」にはたよりたくない。昔リュ−マチの体験をもつ鳥取の村江教授がコ−チゾンで有名になった教授に「薬だけではないでしょう」とかいって、いやな顔をされたという話を思い出す。

 「五十肩」というのがある。自分では経験したことはないが、いってみれば私の場合は「八十足」である。「こうやって話しをしているが、私の足の痛いのは分からないでしょう」という。 そんなことを喋ってから数ヶ月たってしまった。

  毎日痛みの自覚症状がちがうのである。それを記録しておかねばと思いながら時がたってしまった。

 今先生が弘前市医師会に「センカンド・オピニオン」のHPをつくったので、この2月頃メ−ルを送ったがまだ返事がない。

「その時「痛み」にいて。以前にも いろいろあったが 今回のことについて」

1 なんと表現し 文字であらわすか

  いたい! 痛い! あいたた!

2 いつ おこるか

  とくに 朝おきたあと たって 歩きはじめたときに 多くおこる

  左に体重をかけたときに 

3 どこに 体のどこに

  左大腿から 左下肢にかけて

4 どんな いたみか

  はしるような 

5 どの程度か (痛みの程度を 0−10程度と あらわせば)

  7−8と急に痛くなる そのあと すぐよくなるが 1くらいの痛みがつづく

  終日1くらいの異常感が のこる その場所に

6 下肢の各種運動には 異常は ないし 痛みは感じない

  下肢の各関節には 異常は ないし 痛みは感じない

7 下肢の各方向へ ”ストレッチ”をすると すこしよくなるようである

8 圧痛点 あるいは おして痛みを感ずる部位は 自分では診察していないので  よくわからない

9 ”温泉”へゆくと すこし よくなるようである が 何日かよっても良くはならない

  毎日午前11時頃 桔梗野温泉へ 自分で車を運転して 約5分 

  ナトリウム単純塩化物温泉 40度(実際は加温か?)

  サウナ・うたせ湯などを利用する

  流出量は 動力100l/min(一部循環あり?)

  表示適応症の中に”神経痛”あり (秋山衛生研究所長)

  どちらかというと からすの行水 

  ボデイシャンプ−を かるく1回体にぬり ながすだけ

  入浴時間 脱衣着衣時間を入れて 約30分 

  そのあと 5分位 休んで 帰宅する

  帰宅後 水分 おやつ 

10 ”アスピリン”(500mg:1錠)のんでも 

  すこし(0.1)あとの痛みが 弱くなったと感じるが 

  次ぎの日には またおこる

11   診断名は? (いわゆる神経痛?)

  暖めたほうがよいか 冷やしたほうがよいか

  運動 あるいたほうがよいか 何もせず 安静がよいか

  食事は?

 (毎朝特製ジュ−スを飲む 1日2食 VitC アリナミンを 常用している)

  はり きゅう は  マッサ−ジ は」

 がその当時の状況であるが、その後だましだまし経過しているが、自覚症状は毎日変化している。

 毎日家庭で血圧の自己測定をやり、記録はしている。

 朝起床時の第1回目の記録値は高く出る。昼以後は少し下がる。服薬の影響も休んだり飲んだりしてその変化を観察している。悪い患者かもしれないが、自分が実験台のつもりである。論文が書けるのではという話もある。

 ゴルフをやっていた頃「腰痛」に悩んだことがあった。岡本綾子さんが「腰痛」でという記事も気になったこともあった。自動車小屋のシャタ−を開けたとき痛みが走ったこともあった。レントゲンをとり大学に入ったばかりのMRIで診断してもらったこともあった。軽度のヘルニヤとの診断もあった。麻酔科で「ブロック麻酔」をやって戴いたこともあった。自分としては背骨の周囲の筋肉の訓練が足りないことに気が付き努力した結果、自覚症状も軽快した。ストレッチをするとよくなった。

 毎日の大学への散歩も快適であった。そこへ入院への経験があったのである。今度の痛みは前と違う。

 

 過労のあと体が翌日痛いこともあったが、今度はそれと違うようである。ふくらはぎが痛くなる「こぶらかえし」は何回か経験したことはあるが、それとは違う。

  今朝の新聞をみると、「頭痛」で悩んでいる人は数千万人、「偏頭痛」の数百万人いるとあった。私の場合はそれには該当しない。

 貝原益軒は八十すぎに「神経痛」に悩んだという。

 昔弘前に滞在していた母が「いつも腰をたたいていた姿」が記憶にある。「じっと痛みをがまんしていた」のでないかと今思う。

 一番心配な「悪性新生物」との関係も、現在検査可能な血液検査では否定されるという。 亡くなった生化学の佐藤教授はご自分の研究からの指標が悪い成績だった話や車椅子で講義されたことを思い出す。

 昔アッペの手術あと「笑うと」腹筋が痛かった記憶がある。

「歯痛」も経験したが、殆ど「歯」のない自分には関係がなくなった。

 「帯状疱疹」も経験したが、あとの痛みはすぐ治った。数十年前のヘルペスビ−ルスが関係しているという。身近な人がそれで悩んでいるという話を聞くと、自分の痛みもビ−ルスとの関連も否定できないと思う。

 また「心疾患」との関係で「狭心症」」「心筋梗塞」のときの「痛み」の「自覚症状」といわれているものにも関係なそうである。

 「狭心症」の痛みの症状はいろいろあるというし、いろいろと表現されているが、自分には該当しない。送られてきたActive Life(No19)をみていたら、「心筋に虚血がおこると、その刺激が交感神経を経て脊髄につたわり、それが上行して大脳中枢に達して、痛みとして感知される」(渡辺努)「虚血という刺激が痛みとして戻ってくるのですね」(青木国雄)とあった。

 となると足に虚血がおこるのであろうか。 

 金メタルをとった谷亮子さんが足の指の具合を悪くして、「足がつけない位痛かった」といった言葉が印象にある。メタル有望と目されていた井上選手が、「ちょっよ指を気にしていた仕草」が気になった。

  最近野球の投手が投げたあと「アイシング」をする様子が見られるようになった。デットボ−ルのあとすぐスプレ−をかけている。相撲の選手はよく「テ−ピング」をするようになった。その理論は不勉強の私にはわからない。あのようにすると疲れがとれ、良い結果をうむのであろう。

痛み止めの塗り薬・膏薬は私の皮膚に合わないようである。

 「痛み」は皮膚の「痛点」といわれる細胞に関係があると教えられてきた。だからうまく「針」をさしても痛くないのだと。

 自分の痛みはそんな痛みではない。

 症状の中に「しびれ」もいわれるが自分にはないのは幸いだとの思いがある。

 昔内科の西野先生が「筆の毛」で皮膚をさすって、脳神経のどこがおかしいのだといわれた臨床講堂での講義風景を思い出す。

 昔はあまり云われなかった「整体術」の本が売られている。家庭でできる「施術法」は参考になる。神経痛の窓口の専門家はまず「整形」である。それに「マツサ−ジ」「古典的な電気」、そして食生活。「痛みが消えた、直った」の実例は魅力的である。だが自分にあうとはかかぎらない。

 食物の「機能的な成分・作用」の研究はめじろおしである。梅ぼしの効用はクエン酸だという話もある。毎日の日替わりランチのようにあとをたたない。心配して毎朝造ってくれるジュ−スのレシペも例外ではない。

 昼は甲子園、夜はオリンピックと寝不足が関係あるのか。

 疫学的な証明はされていないのにとの思いがつよい。(20040831)

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