「エネルギ−」についての記憶から

 

 「カロリ−」という言葉が先であった。1キログラムの水の温度を摂氏1度だけ上げるに要する熱量だと記憶している。キログラムカロリ−といっていた。1グラムの水の場合が基本単位で小さいカロリ−「cal」と大きい方は「Cal」と表示していた。

 そして人が朝起きて何もしない状態での代謝が基礎代謝で、それに労働が加わり一日一人2400Calだと。これが大体の基準であった。労働が強さが増せば代謝が増し、基礎代謝と比較してエネルギ−代謝率とか言っていた。労働衛生で問題になり勉強した思い出がある。

 そのうち「カロリ−」とはいわず「エネルギ−」と言われるようになった。

 「エネルギ−(energy)」の語源は「中で仕事・活動をしていること」とあったが、「畑で仕事をして収穫を得る力」という意味があると読んだ記憶がある。

 一万年も前に農耕がはじまったようだが、もとをただせば地球は太陽の回りを回っている衛星だから、太陽ら受けたエネルギ−をもらって生きていることになる。

 人間が誕生し、「火」を使って生きてきたのだが、火事以外は身の回りにあった木から火を創ることを考え実行していたのであろう。

 木から炭をつくることも一寸前まで行っていた。

 その内海岸で「燃える石」としての「石炭」が見つかり、「石炭時代」を迎える。

 炭坑の爆発事故の多発から、「ガス」(比較的あたらし言葉だが:石炭ガスの発見者であるオランダの化学者ヘルモントがドイツ語の(霊)(精気)を意味する(Geist)から名付けたといわれる)、そして何故ガス中毒になるかの「生理学的研究」から、COとヘモグロビンとの関係が認識されたのが私の生まれた頃の研究である。「燈用ガス」といっていたように初めは「光」を得るために用いられていたが、電気・電球が出てから石炭ガスは燃料となった。東京の家にガスが入ってきた。芝浦のガスタンクがあった思い出がある。

 石炭の化学的研究が進んで「カメノコ」の化学が進み、多くの人工色素もでき、化学療法も誕生した。私が一酸化炭素中毒の学位論文を書いたのも一寸前の話である。

 「さぞやお月さん煙たかろう」という歌もあった。

 また「燃える水」としての「石油」が利用されるようになった。一寸前に。

 そして「原子の火」としての核エネルギ−の利用が考えられるようになった。「原子爆弾」の方が先であった。

 そしてそれ以外の新しい「源」が考えられ実行にうつされている時代を迎えたと理解している。青森にも風力を利用して発電をしようと風車がまわるようになった。

 水力発電が考えられ「送電線」によってエネルギ−が運ばれるがその間の減少があるから、先日物理学者の話を聞いていたら、「如何に送電でエネルギ−ロスを少なくすることが今後の目標である」と講義していた。

 「イラン戦争」が何故おこったのか。

 「大義ありや否や」が話題ではあるが、フセイン前大統領が「石油をねらっている」と言っていた。ブッシュ大統領はそうは言っていないが本心はどこにあるのか。日本の奧大使の言葉を引用してはいたが、彼がホ−ムペ−ジに書いたいた「アメリカは石油が・・・」というところは言わなかったのは何故かと思う。

 「民主的」でない国、「何十万という部落間の殺し合いによる虐殺」が行われている所や国は他にもあるのにと思う。「イランの為に、イラン人の、イラン人による・・・・」とかどこかで聞いた言葉が使われている。「そこに石油がでるから」と言えば良く理解できる。

 その土地に出るものは誰のものか。

 石油以外のエネルギ−をもっていれば関係は少なくなる。石油に「エネルギ−」を頼っている国では、その供給が確保されていなければ不安である。安定が必要である。しかし価格が不当に高くなれば不安である。この際「イラン」が安定し、石油の価格が安定されることが「国益」になるのか。この際日本も一口関係をつけておこうとするのか。

 「自衛隊は戦争に行くのではない」「イラン人のために行くのだ」「民間で出来ないことをするために」「自己完結型で行くのだ」と言われる。

 ここで青森で「明日の健康を求めて」考えたことを思い出すのである。「保健活動の意義」である。

 東京から青森などへ「保健活動」と称して医学生などがくることへの「抵抗」であった。

 「どろ水」を「飲んでも安全な水にする器械」を持ち込むことだとは考えない。

 日本へきた未開発国の人が「水道のコック」をもって帰りたいといった話は笑われない。

 そこの人達が井戸をほることから始めなければならないのではないか。(20040501) 

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