8 内部環境としての体液

 

 ルネサンスのあとのイタリヤで16世紀に解剖学がおこり、17世紀になってサントリヨ(S.Santorio, 1561-1636)は「さおばかり」にのって「不感蒸泄」(insensible perspiration)を計量し、またイギリスからイタリヤに勉強にきていたハ−ヴイ−(W.Harvey, 1578-1657)が「動物における心臓と血液の運動に関する解剖学的実験」によって「血液循環の原理」を1628年に発表し、17世紀は生理学の時代といわれる。18世紀には病理解剖学が始まるが、19世紀になって病理学はフイルヒヨ−(R.Virchow, 1821-1902)により細胞病理学として展開された時代であった。

 19世紀前半において臨床医学領域においてとくに目につくものはイギリスの医学者たちの実績であった1)。

 ロンドンのガイ病院(Guy's Hospital)には後に「ガイの大物たち」とよばれた傑出した学者が現れるが、その内の一人ブライト(R.Bright, 1789-1858)は「腎臓病と浮腫(むくみ)」という問題にたいして、病理解剖を熱心に行い、また患者の尿の分析を行って「症例報告集」を1827年に出した1,2)。体の中の水分代謝がみだれ、水の分布がかわり、組織間液が異常に貯留した状態が(むくみ)であるが、この水腫状滲出(浮腫)が原因で死亡した患者についてみると、たんぱく質を含む尿の排泄があること、腎臓の構造に器質的変化があることを認めた。そしてたんぱく尿が発見された全症例において、腎臓はそれ自体他臓器よりも重要な臓器として作用し、また一般に想像されてきた以上に機能的にも器質的にも重大な障害を受けているように私には思われたと述べている。この「ブライト病」と呼ばれるようになった症例は後日血圧測定が行われて200ミリ以上あったことが1880年に記載された1,2)。

 また同僚のアデイソン(T.Addison, 1793-1860)は「副腎の病気について」という後に「アデイソン病」(maladie d'Addison, Addison's disease)と名づけられる症例を1855年に報告する。副腎という器官は、16世紀に「腎臓を上から覆うような形の」ということで記載された組織であったが、それが何やら重要な役目を持つ器官であるらしいことは多くの人々によって推測されていたにもかかわらず、その機能については19世紀の中頃になっても分かっていなかったところ、後に副腎皮質機能の慢性的低下に関連のあることが判明する一連の症状が副腎の病理解剖所見の病変と同伴する事実が明らかにされた1)。

 生理学はフランスのベルナ−ル(C.Bernard, 1813-1878)によって新しい時代を迎えた。すなわち「内分泌」(secretion interne)という概念をのべ、排出管のない「腺」の存在を考え、血液中に分泌され、体内に広くいきわたって、一定の器官あるいは身体全体の組織に作用を及ぼし、個体の種々の機能を正常に維持するように働く物質を考え、また人間と環境とのかかわり、また人間の内部環境についての新しい考えを述べた1,3)。

 1905年になって、この内分泌物質は刺激するものの意の「ホルモン」と命名されることになった。

 「生体が実際に存在しているのは、呼吸するものでは大気、水棲のものではその塩水または淡水の外部環境(millieu exterieur)の中ではなくて、すべての組織構成分をとりまき、それをひたしながら、循環している有機性の液体によってつくられている内部環境(milieu interieu)の中である。それは、リンパあるいは血漿、すなわち血液の中の液体成分であり、高等動物では、組織の間を通り、全体として細胞間液となり、すべての部位の栄養の源となり、さらにすべての基本的な代謝現象に共通する条件となるものである」

 「内部環境の恒常性ということは、生存の自由および独立に対する第一条件である。こういうことの起こる機序は、内部環境において、各要素の生存に必要なすべての条件を維持させるということである」 

 ホルモンの研究は20世紀に入って展開されることになるが、ベルナ−ルの考え方は体液の成分の測定とともに具体的に明らかにされてきた。

 ヘンダ−ソン(L.J.Henderson)は「内部環境の恒常性という理論は、少数の事実から帰納されたものにすぎないが、しかし過去50年間における諸新発見や、生理学に対する物理化学的方法の導入によって、この考えは立派に基礎づけらたものなっている」と述べ、ギヤンブル(J.L.Gamble)は化学的解剖学(Chemical Anatomy)という概念のもとに「水と電解質−細胞外液の化学的構成、その生理および病理」をまとめて1944年に出版した1)。 

 すなわち人間の体液は細胞内液と細胞外液からなりたっており、細胞外液はベルナ−ルが主張したように、生体の直接の環境をなしており、原始形態の生物の外部環境であった海水に代わるものであって、本質的に今なおこれに極めてよく似ていることについて述べている。

 アメリカの生理学者キヤノン(W.B.Cannon, 1871-1945)は身体の外部の条件が変化しても、身体の内部条件は一定に保たれることを「ホメオスタ−シス」(homeostasis)と名づけた。

 「人間のような多細胞性の温血動物では、独立した(個人的環境)を持つことにより陸地の生活に適応した。その(個人的環境)の組成と容積は、刻々と変化する外的状況に対応して正確に調節されている。そういう内部環境は、細胞が外界の変化に独立して生きていくための(水でできた殻)のようなものである」4)。

 体液は細胞内液と細胞外液を合わせたものをいい、細胞外液は血漿と組織間液とからなり、成人では体液量は体重の約60%を占め、このうち細胞内液と細胞外液がそれぞれ体重の45%、15%を占めている。また細胞外液では血漿が体重の5%、組織間液が10%を占めている。体液には電解質と非電解質が含まれ、電解質としてNa 、K 、Cl など、非電解質としてブドウ糖、コレステロ−ルなどである。細胞外液の電解質の陽イオンの主なものがNa+で、142mEq/l、総陽イオンの90%以上をしめ、陽イオンの総量はこのNa+の量の変化によって大きく影響される。そして体をめぐる血漿の濃度は脳にある調節中枢によって調節されていることが判明してくるのである。

 体液の調節は基本的には「水」と「電解質」の出納に関係するのであるが、その調節の仕組みのうち最も大事な臓器が「腎臓」であり、また塩類の調節に関連のあるホルモンとして副腎皮質から分泌されるホルモン、主としてアルドステロン(aldosterone)が、また水の排泄に関連のあるホルモンとして脳下垂体後葉から分泌される「坑利尿ホルモン」(antidiuretic hormone(ADH))が関連していることが20世紀になって明らかにされていった。すなわち血漿Na濃度が低下するとオスモリセプタ−(osmoreceptor)の働きで坑利尿ホルモン(ADH)の分泌が抑制され、水が排泄されて血漿Na値が正常になるように、また血漿Na濃度が増加すれば反対の機序で水の貯留がおこるように働く。アルドステロンは腎においてNa貯留の方向に働いてNa濃度を調節するように働くホルモンである。

 5億年前ともいわれる時期に海水から丘へあがった生物として、ようやく地球上の空気中にたまってきた酸素を呼吸によって体内にとりくみ、食物を口から取り込んで生きてゆく、しかし生きてゆくにはどうしても体外から取り込まなければならないという「必須物」(必須アミノ酸とかミネラルとビタミンとかの)を残しながら、生物として出来上がったのであろう。

 当時の海水の塩類濃度はまだ岩塩などがあまり海にとけ込んでいない時期であったので、その塩からさは現在の3分の1ぐらいであったと想像されており、それが生理的食塩水に相当するくらいの濃度と考えられるのであるが、その海水を体の細胞の周りに包み込んだと考えられ、その細胞外液の濃度を細胞の生存に適した濃度に保つ調節の仕組みが今日にいたるまで人間に備わってしまっていると考えられる。すなわち今の海水では塩類の濃度は高すぎ、また真水では薄すぎるが、この地球上にある水を溶媒として生命活動を営むように出来上がった身体を人間がもつようになったと考えられる。

文献

1)川喜田愛郎:近代医学の史的基盤下.pp.600,778,929,岩波書店,東京, 1977.

2)ブライトの原著(平田清文訳):温故知新.オリオン出版,東京, 1991.

3)ギヤンブル(Gamble,J.L.)(高橋忠雄,他訳):水と電解質.醫歯薬出版, 東京,1953.

4)ボマ−ル・フランセス(和田孝雄訳):絵でみる水・電解質.医学書院, 東京,1982.

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