新衛会の記録

 

 昭和63年5月徳島大の西山敬太郎教授から「新衛会記録作成のために」という連絡を戴いた時に手元にあった資料を改めて見てみた。 私が参加した新衛会は調べてみたら別表のようになったのだが、その時々に思い出は多い。資料に番号を付して西山教授へお渡しした。

 自分の趣味を兼ねた「スナップ写真」も沢山あるが、これはすでに百冊をこえた「衛生学教室のアルバム」に飾られている。その一枚一枚に思い出がいっぱい詰まっている。

 私が弘前大学へ助教授として赴任したのは昭和29年であったが、高橋英次教授から「新六」の会のことは聞かされていた。

 教授になって衛生学講座を担当したのは昭和31年で、その年の10月名古屋での公衆衛生学会のあと信州大学で開かれた「新八」の会が初めての参加であった。

 小松富三男教授退官記念誌に書いたが、その時のスナップの一枚が写真1である。写真2は泊まりはしなかったが上高地ホテルの前でセルフタイマ−で撮ったものである。

 それから今日まで私が参加した会は「新十一会」「新十三会」「新衛会」となった。随分と勉強し、多くの方々と知合いになった。

 昭和32年7月札幌での産衛の学会の前に「新八」の教授方に弘前大学医学部へ寄って戴いた。折角の機会だから学生に何か話をして戴くことを計画した。

 衛生学教室で「録音機」を買ったのが昭和31年で弘前大学に来られた「新八会」の先生方の学生を前にしての講演が「衛生学教室録音テ−プ」の始まりであった。

 北博正教授(東京医科歯科大)の「私が開会の辞をかって出ましたのは、これが一番やさしいだろう・・・」から始まって、西尾一男(鹿児島大)、田中正四(広島大)、鈴木幸夫(徳島大)、辻達彦(群馬大)、加納六郎(東京医科歯科大)、高橋英次(東北大)、福井忠孝(徳島大)の先生方の話、村江通之教授(鳥取大)の「豚を清潔に飼う話」など衛生公衆衛生よもやま話が記録されている。この記録は日本のその後の衛生学公衆衛生学を語る上で極めて貴重なものと云わなければならないだろう。

 弘前駅から馬車にのって弘前公園へいったり、当時東北の地域保健のメッカであった弘前近郊の狼森保健館から黒石温泉郷の温川温泉へ行って泊まり、翌日は十和田湖遊覧、夜は酸カ湯温泉泊まりと随分ゆっくりした旅行であった。写真3は十和田湖畔での記念写真である。

 次が昭和33年4月熊本での衛生学会のあと鹿児島へ足をのばしての会であった。写真4は教授連だけの会のもの。写真5は霧島観光の途中で撮ったものである。

 熊本での衛生学会では日本で初めて「高血圧の疫学」のシンポジユムが開かれた。そして私の生活とくに食生活に脳卒中・高血圧予防の方策があるのではないかとの報告のうち「りんごが高血圧予防に効果がある」と大きく新聞に報道されたこともあった。

         (新衛会創立40周年記念誌,18-19, 1993.4.7.)

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