「新衛会」のこと

 

 「シンエイカイ」とはどんな団体なのか。

 山中温泉のグランドホテルの玄関で「新衛会ご一同様ご到着」から話は始まった。

 われわれ名誉教授連五名は割当の部屋にぞろぞろ入った。

 仲居さんがお茶をもってきて

「新衛会というから最近はやりの政治団体かと思いましたが、老人クラブのようでもあるし」「いや若い人や女性も別の部屋にいるし、老人クラブではないよ。では”衛(エイ)”はなんのエイかね」といじわるく問い詰めてもその答えがなかなか出ないのである。

 そして最後に出た。

「エイセイ」でしょう。

 やっとわれわれ一同はホットしたという会話のやりとりがあった。

 あとでわかったことなのだが彼女が頭に思った言葉は「衛生」ではなくて「衛星」であったとか。 そこで一句

 「新衛会 加賀の千代女(じょ)も わかりかね」

 金沢での日本衛生学会のあと引き続いて山中温泉までのったバスの案内嬢の説明にあった言葉からの連想句である。 

 

 「新衛会」とは日本の衛生学公衆衛生学を語る上で忘れてはならない会であると思う。

 「新六」「新八」「新十三」「新衛会」と名前は変わったが、なにしろ昨年創立四十年記念誌を出した位よく続いた。

 学会とは離れて随分とよく勉強し、情報を交換し、多くの方々と知合いになる機会でもあった。

 今回はたまたま「細川首相辞意の表明」のニュ−スがあって夜の勉強会の話題は「政治問題」になったが。

 今年の春の会は衛生学会が金沢なのに、世話を受け持ったのは館正知名誉教授およびその教えを継ぐ清水弘之教授以下岐阜の衛生公衛の教室の方々であった。

 「がき大将」の北博正名誉教授は来られなかったものの鹿児島の北原経太名誉教授、現会長の秋田の滝沢行雄教授など全国から参加があった。弘前からもようやく学務から開放された衛生の菅原和夫教授、新入会の公衛の三田禮造教授らが参加した。現役の教授連はいそがしく翌日の観光(永平寺など)には参加せず帰っていった。

 次回は秋の鳥取での公衆衛生学会を機に新衛会発足の地皆生温泉で開かれる。

 皆生(かいけ)温泉は日本では最高と「衛生の旅」の「ストリップ(第一話)」に書いた思い出の地でもある。

          (日本医事新報,3666, 12-13, 平成6.7.30.)

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