Double income four kids

 

 ここ何年か年賀状を出していない言い訳を言わして戴ければこんな理由からである。

 1月も前に宛名を書く気にはならない。

 いつだったか年末に不幸があった方から賀状を戴いたことがあった。心なしか筆の墨がうすかった。

ご本人のときでもなくて、身内に不幸があったときなどかえって心が痛むものである。

 父や母にいつお迎えがくるかなという気もあった。もう両親を送った今は兄であり自分である。もうそんな年なのである。

 だからといって欠礼することはなんとなく気がひける。

 

 ある先生から年があけてから寒中見舞いを戴いたことがあった。これはよいと思って何年かそうしたことがあった。

 日本医事新報に新春の炉辺随筆を書くことによって、全国の知人にまだ生きているぞと知らせようとも思った。

 それでも義理がたい方もいて毎年かなりの年賀状を戴く。

 その中の一枚に昔東医体のスキ−大回転で優勝したことのある今は女医として活躍している方からの賀状があった。

 富良野で彼女が優勝したとき“北の峰 吹雪の中に 花が咲き”とよんだことを思いだした。彼女は“開会式 お化粧してでる 身だしなみ”でもあった。皆に胴上げされたスナップのパネルを結婚の時の記念に贈ったことも思いだした。私がスキ−部の部長であったこともあっての彼女からの年賀状である。

 彼氏はやはりスキ−部の先輩で、従って医師夫妻のdouble incomeである。

 ‘一徳・秀徳・辰徳・枝み’と子どもの名前が書いてあった。りっぱなものである。つい先年結婚されたとばかり思っていたのに。

 「Double income no kids」がアメリカでいわれ,最近日本でもはやってきたといわれる。

 女性の地位向上と結婚後も仕事をつづけていこうという時に、どれを選択するかの一つの社会現象とみられる。

 男と女の差。自分の仕事。これらが重なりあった時どの様な解決策が最上なのか。

 

 だいぶ前聖愛短大の十周年記念の式典の時だったか、来賓の佐藤熈先生の挨拶の中に、女子の教育は昔は「サシスセソ」であったが、今は「カキクケコ」になったと云われたことを思い出す。

 裁縫・習字・炊事・洗濯・掃除から今は家政・教育・工夫(?)・健康・子育てといったものになったと云われたと思う。

 時代の推移である。その中で男は女はどうあったらよいのか。

 とくに今の、これからの女性のありかたについて。

 

 結婚後の名前について裁判にかける人があったと報道された。

 日本の法によれば、結婚するときにご本人達が判断したはずではなかったのか。

 と考えながら紅白の録画テ−プをみたら(当夜は五稜郭をみた)松田聖子は松田聖子であったのに、岩崎宏美が今日からは益田宏美で歌いますと紹介され、テロップにも新しい名前がながれていた。

 

 Double income four kids はりっぱなものである。大きな家を買い、両親と一緒に生活しているという。それなりに苦労は多いことと思う。

 「頑張って」とお返しの年賀に書いてポストにいれた。(64・1・4)

向井千秋さんを負かした女(ひと)

目次へもどる