停年退官のあと

 

 停年(弘前大学規定による65歳)になると、そのあと何をするのかが、関心のまとになるらしい。

 東京生まれ、慶應卒だから、当然のことにように、東京に帰ると思っている方。

 弘前に住むのかしらと思っている方。

 東北女子大学教授として健康科学を担当します、と挨拶状に書いたら、仙台にいかれたのですか、新幹線でお通いですか、と聞かれた。

 いつの時代から、東北と名のつく大学は仙台のイメ−ジをもつようになったのかと思っていたら、弘前高校百年史に、明治の学制発布のあと、本来ならば青森県に置かれるべき東北帝国大学が、仙台にもっていかれたことを残念がって書いてある文章が目にとまった。

 弘前に来たのが、丁度テレビドラマの「いのち」の時代であったが、それからあっという間の34年である。

 弘前にある女子短大などでも公衆衛生を講義していたが、その学園に43年大学ができた。そして今、家政・児童学科の中で健康科学を担当することになったのだが、ひと昔前講義を聞いた方のお嬢さんがたが今の学生である。

 国立大学の教授を退官したので保健文化賞の資格ができて、推薦を戴いたのだが、受賞したことは有り難いことであった。

 皇居で陛下から、体に気をつけて今後も国民の保健衛生のために、とお言葉があった。

 となると、悠々自適というわけにはいかない。

(日本医事新報,3272,46,昭62.1.10.)

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