ド−ル先生その後

 

 勝木司馬之助先生によると、私のことを外国では「日本の塩の先生」といっているそうだ。

 そういわれるきっかけは、アメリカの塩の先生のド−ル先生との出会いがあったからだと思うのだが、そのいきさつは前に「衛生の旅」に書いた。

 日本のホテルでド−ル先生に、「これは今日のアペタイザ−」といって食塩と高血圧との関係をグロ−バルにみたらどうなるかのメモを渡し、私がテンプラをご馳走し、先生夫妻がコ−ヒ−をということでお会いしたのが最後であった。

 先生が亡くなられたというニュ−スを聞き、「死期せまる時科学的遺言のように」と書かれた論文をみてから大分たってしまった。惜しい方を早く亡くしてしまった。

 近くアメリカへゆく用事ができたので、先生のお墓参りをしたいと思い問い合わせたところ、先生と一緒に仕事をしておられた岩井淳一先生からその後の様子を知らせていただいた。

 「お墓に関してはDr.Dahlの希望を入れてとくにきまったところはなく、Alaskaの生まれたところの山々に灰をまくことで終わったということです。AlaskaのSKAGWAYというところでState CapitalのJuneauから北に100マイルのところです。

 SKAGWAYにはDr.Lewis Dahlの父親の診療所の跡に”Dahl Memorial Clinic”が今あるということです。Dr.Dahlの父上がそこでただ一人の医師(その地方の)としてpracticeしたということです。Mrs.Dahlは2,3年前に結婚しまして今NYにおります。husbandはCornell Univ.の物理の教授です。Mrs.Dahlからよろしくとのことでした。」

 私のときは、ギリシャのエ−ゲ海のコス島あたりに、家内は大鰐のスキ−場と鰺か沢の海へ灰をパラパラとまくだけでよいと話あっていたので、わが意を得た感じで感激したのだが、これで墓参りはできなくなった。いつの日かアラスカの記念の診療所を訪れてみたいと思っている。

 未亡人ではなくて、現役の教授と再婚した話には。「ヤッタ!」というのが家内からでた言葉であった。

(日本医事新報,3248,109,昭61.7.26.)

もとへもどる