健康面からみた食塩文化論

 

 人々の健康問題について、それと関連のある要因としての栄養が注目されたことは、”医学”の研究の歴史の中でいくつかあったことが知られている。

 一方、科学の中の”栄養学”も、主として栄養素を中心とした学問の発展によって、ささえられてきた。

 又”疫学”も人々の健康問題へ新しいとりくみ方として、最近展開されてきたと思う。

 このような研究の歴史の中で、われわれ人間が日常摂取している食塩が、人々の健康問題とどのようにかかわりあっているのかが認識されてきたかについて考えてみると、古くは中国医学の黄帝内経の中で、またギリシャのヒポクラテス時代の医術の中で、経験観察され記録されてきたものによってうかがい知ることができるが、科学としての知識の積み重ねがされてきたのは、比較的最近のことと思われる。

 一般には極めて手に入りにくい、貴重品として取り扱われていた食塩が、ヨ−ロッパでは中世以後、岩塩が採掘され、多くの人々の間に運ばれ利用されるようになり、わが国では縄文時代に製塩土器がつくられ、さらに塩田によって塩の製造がはじまると人々の間に食塩が容易に手に入るようになった。そしてその食塩のもつ特性から、食品の保存に食塩が役立つことが知られると、日常の食生活の中に食塩が利用されるようになり、同時に人々の塩味の好みという、嗜好を、習慣的につくりあげてきたことが考えられる。

 そのような食塩を日常用いるようになった食生活が人々の生活をささえてきたに違いないにしても、人々の食生活に食塩が必要欠くべからざるものであるとは考えられなくなったと思う。

 それはこの地球上に生まれ育った人間の中に、一般日常の人々の食生活の中にみられる様相とは異なって、いわゆる食塩を用いることのない”no salt culture”(塩のない文化)があり、その中で、何千年も、子供を生み、授乳し、代々生活してきた人間が現存していることが判明し、それでいてわれわれ一般の人々と同様に、ナトリウムについての人間の体液の恒常性がとられていることが判明したからである。

 このことは日常われわれが身近に見聞し、経験している生活、とくに食生活の中の食塩摂取が、本来あるべきものとの肯定論とはならず、食塩摂取についての反省を求めることになる事実を示したことと思われる。

 このように日常生活における食塩摂取について考察することがはじまったきっかけは、単なる観念論からではなく、現実に日本の、とくに東北地方住民に若くから多発していた脳血管疾患についての問題について、疫学的接近がなされ、その成果によって食塩の問題が指摘されるようになり、そこに疫学の理論に展開にうらずけられた研究成果があったからであると考えたい。

 そして日常みられる食生活の中の食塩については、メネリ−が述べた”the salt in the diet”と”the salt added to the diet”との区別を考えなければならず、何故人間のみが、食物につけ加えられた食塩にたよって生きているかの反省が必要であると思う。

 それには人々の知恵によって日常生活に食塩をとり入れてきた食文化を見直し、よりよい健康への接近をはからなければならない。

 昭和40年に科学技術庁資源調査会から出された食品の流通体系の近代化に関する勧告は、その中心に”塩蔵”から”冷蔵”(コ−ルドチェ−ン)へのきりかえのすすめがあったが、その基礎にはわれわれ日本人のもつ健康問題をより良い方向に方向付けする願いがこめられていたと思う。

 その時、示された方向は、その後のわが国の健康問題、とくに脳血管疾患の死亡の年次推移にみられる動向、又人々の血圧の変貌にみられる動向からみて、間違った方向ではなかったことと思われ、又とくに東北地方で展開された「北から低塩食生活改善運動」は歴史的に評価されるべき意義をもつものと思われる。

(第1回東日本公衆栄養学会,49−50,昭57.12.2.)

(社団法人秋田県栄養士会、法人設立十周年記念:栄養士会創立五十周年記念誌,42,47−48,1997.3.)

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