部屋の空気大切に

−−炭火中毒の話−−

 

 お正月早々、弘前市の中学生凍死事件があった。その原因は炭火中毒と思われる、という記事をみて、その死因を確定された法医学の赤石英教授のご苦労もさることながら、毎冬このような事件がくりかえされているのをみては、この方面の研究をやってきた自分にとって、悲しみはくりかえしたくない、といっそう強く思わざるをえない。

 いったい炭火からでる炭酸ガスが悪いのではなく、一酸化炭素というガスが悪いのだ、という常識はあると思うが、明治、大正年代の人たちの知識はあやしいものである。また、よくおこった炭火からは一酸化炭素がでないと思っている人が多くて、外でぱたぱたと炭をおこし、十分おこって、これで安全と、部屋にもち込んで暖をとっている人がいるが、これまた危険なのである。炭火からは不完全燃焼のときにはもちろん一酸化炭素はでるが、よくおこった炭火でも、一度できた炭酸ガスがさらに還元されて一酸化炭素になるので油断はできない。

 従って炭火で暖をとって、危険であるか、ないかは、その部屋の大きさと、空気がどの位入れかわるかを示す換気回数の多少によるのである。まず当直室とか、勉強部屋のような三畳ぐらいの狭い部屋で炭火をたくと、数分後に、恕限度の0.01%を越し、数時間後には致死量に達する。八畳で、1時間に3回くらい空気の入れ替わる部屋で0.03%に達するからかなり危険なわけである。

 文豪ゾラが、1902年安眠中に頓死したのも、一酸化炭素中毒によるといわれている古典的事実だが、2,3年前に大三沢で炭火スト−ブの煙突がはずれているのも知らず寝た二人がそのまま男女心中になった例や、八戸で船の中で炭火をたいていた漁夫二人が死亡したり、年末にも娘さんが、枕元に炭火をおいて寝て朝つめたくなていたとか、身近に死亡例を随分あげることができる。

 新春早々こんどの事件である。校庭で凍死していた中学生。

 すわ大事件というところだが、血液中に80%もの一酸化炭素ヘモグロビンが証明されて、炭火中毒であるとけりがついたわけだ。空気の入れ替えもない狭い自動車の中でコンロ2つももやしていたという一酸化炭素中毒がおこるのは当然な話だ。炭火からでた一酸化炭素が、呼吸とともに、体内のヘモグロビンという血色素と結びついて、体の本当に必要とする酸素が足りなくなるために死亡する。体の中に一酸化炭素ヘモグロビンが10%くらいになると頭がいたくなり、4-50%でひどい頭痛、呼吸困難がおこり、そして60%以上で死亡というわけだ。

 戦時中北欧で、石油がなくなったとき代用燃料として登場した炭のために、多くの一酸化炭素中毒が発生し、学術雑誌をにぎわしたが、大昔から炭火を日常生活に用いているわが国ではとんとこの方面は無関心である。ところが近頃家の建て方が変わってきて、暖かい空気を外ににがさないような換気の悪い部屋が多くなってきたので、炭火中毒の危険はふえることが考えられる。炭火や薪のフク射暖房が主で、悪い空気はどんどん煙る出しから外へ出していた時代の住まい方なら問題はないのだが、やはり時代とともに、住まい方も変えなくてはなるまい。

 先日あるところから、青森県内で、炭火をたいて、部屋の温度を日常快適な生活を営むに必要な温度まで、高めることができるであろうか、という問題について調査研究を依頼された。が、こんな問題が、問題になるほど、世の常識のレベルが低いことをなげかざるを得ない。わが国民の住まい方の中で、炭火による一酸化炭素中毒が問題だといわれたのが、今から70年も前のことであるし、炭火によって部屋の温度を4度C高めると、すでに炭火から出る一酸化炭素の蓄積がおこって危険だとわかったのが、私の生まれたころなのである。しかし、某大学の教授が研究室で炭火中毒でヒン死の目にあったのも、歴史的事実だし、多くの有力者が締め切った会議室で炭火で暖をとり、いたい頭をたたきながら、どうも昨日はのみすぎましてと話しているのを聞けば、世の常識の程度がわかるものといえよう。

 死亡例はいつも新聞ダネになるが、このかげに、死にはしなっかたが、死にそこねた人、また慢性の一酸化炭素中毒にかかっている人は、この北国には広くあるにちがいない。

 われわれの部屋の空気は、よごさないよう大切にしよう。これは健康生活の原則の一つでもある。

(東奥日報,昭34.1.10.)

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