流感

 軽くかかる手はないものか

 

 今、はやっている流感を防ぐ手は何かないものかを考えてみたいのだが、この文を読まれる方は、まず伝染病がはやっているとき、発病しなかった人も大抵は病気にかかっているものだということを理解して頂かなければならない。

 病気にかかるということはどういうことなのであろうか。これは感染と普通いっているが、病原体が体内に侵入して、どこかの組織に腰をおろして、生きて増殖しはじめた時のことをいうのである。インフルエンザ・ウイルスという病原体が、鼻や口からとび込んで、上気道の粘膜の細胞の中でふえはじめることなのである。それが一定期間の潜伏期をへて、流感の場合1日から3日といわれているが、熱が出るとか、のどが痛むとか、頭が痛むとか、せきが出るとかの症状がでて、発病してくるのである。

 私達は日常その発病した病人のことだけを問題にしているが、実はその背後に、感染はしたが発病はしなかった人、専門的にはこれを不顕性感染者というがこれが沢山いることを知って頂かなければならない。

 ”恋いははしかのようなものである”という諺があるように、はしかは大抵の人がかかって発病してしまうが、病気によっては、感染はしたが発病しない人が沢山いるものなのである。小児マヒなどは発病した人の背後に、千人の、感染はしたが発病しなかった人があることが知られている。インフルエンザの場合、感染した人の約半分よりやや多いくらいの人が発病するのではないかと思われる。

 そこで問題になることは、一体何が作用して、人々の中で発病する人と、発病しなくてすむ人ができるかということなのである。今世の中では病人が問題になっているが、われわれがもっと知りたいのは、健康ですむ人のことなのである。

 そこで皆さんに知って頂かなければならない”ひけつ”が一つある。

それは病原体の大量感染を防ぐということなのである。

たくさんの病原体が一度に体の中に入った場合にはどうしてもわれわれは発病する割合が多いし、症状が重いのである。これは一般論で、インフルエンザの場合には、まだはっきりしない点があるが、それでも、発病後1日から5日目にわたって病人ののどにいるといわれるインフルエンザ・ウイルスを面と向かってあびせかけられるようなことは、何といっても好ましいことではない。また杯のやりとりもよくないわけになる。せまい部屋にたくさんの子供が勉強したり人が大勢集まる場所でせきを派手にしていることは、インフルエンザ・ウイルスの伝染の型が、泡沫伝染であるので、だから正に危険といわなければならない。せきやくしゃみで上気道の分泌物が飛び散らないよう、またあびせかけられないようにすることが何よりも大切なことなのである。その点からマスクの使用も良いと考えられるし、うがいをすることも良いのである。

 もし、病原体が極少量であったら、発病しても症状は軽いしまた不顕性感染ですんでしまう割合が多い。そして本人には抵抗力、免疫ができてしまうのである。

参議院で国立予防衛生研究所長の小島三郎先生が「子供はワクチンをうつより、早いうちにかかって免疫になるのが一番良い」といわれた。その真意はそこにあると思わなければならない。はしかはどうせかかるものだからと早いうちに子供にわざわざかからせる母親がまだいるが、インフルエンザの場合でも、わざわざかからせることのおろかさはいうまでもないことである。

 もう一つの”ひけつ”は人間の側の問題を考えることである。

私たちの体の方の条件の何が発病をはやめ、あるいは発病をおさえるものなのか、みきわめることである。この点がまだよくわかっていない点が多いのである。疲労、睡眠不足などは、病気をおこしやすくすることが知られている。このような流行のある時期に、まだ感染していない子供をかかえ、流行地へ修学旅行する人があるとするならそれは暴挙といわなければならない。生徒の体の方の条件が、いためつけられているような状態が考えられるからである。栄養の良、不良もことウイルス疾患については不明な点がまだまだ多い。

 現在の医療のあり方では、医師は病人があった方が良いし、薬屋も病気ははやった方が良いのである。そのような世の中で、人間が健康であるためには、どんな条件が必要なのかということの研究が、進むはずはないのである。人間の方の条件がもっと研究されるようにならなければならないと思う。

 ノ−ベル賞をもらったアレキシル・カレル(”人間この未知なるもの”の著者)がいっているように、「健康には自然的な健康と人工的な健康と二種ある。我々が欲し求めるのは、伝染病や退行性の病気に対する組織の抵抗力と、神経系統の平衡からくる自然の健康で、特定の食養生や、ワクチンや血清や、ホルモンやビタミンや、定期の体格検査や、医者、病院、看護婦の高価な保護にたよった人工の健康ではない。人間はこんなものを要しないように造られべきである。医学にしても、われわれが病気や疲労や恐怖をしらずにおられるような方法を発見してこそ、最大の権利を得たことになるだろう」これが私たちの求めている健康でありたい。

 インフルエンザのようなウイルス性疾患とのたたかいはまことに困難な道である。かの大正7年5月にマドリッドではやり10月にはわが国に侵入して世界的大流行をおこしたスペイン風が、世界で2千万人の死亡者をだし、わが国でも40万人近くの人が亡くなった。あの事件にくらべれば今回の流行は大したことはないといってよいであろう。今はやっているインフルエンザも新しい型のものではないかといわれている。そしていつ型の変わったウイルスがわれわれにおそいかかるか分からないのである。どんなものがきてもうけつけない体、またかかっても軽くすむ体をつくるために、一体何をしたらよいかを一日も早く知りたいものである。

(東奥日報,昭32.6.19.) 

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