あの頃の話

 

 十年一昔というが、東京医大卒の小鹿整四郎先生が三沢に来られてから40年というから大分昔のことである。

 東京生まれで慶大卒のかくいう私も、弘前へ来たのが昭和29年だから、ざっと30年を暮らしたことになるのだが、こちらに来てすぐ三沢にも脳卒中や高血圧の調査に来たので、小鹿病院とはそれ以来のつきあいになった。なにしろ小鹿病院がこの地方で一番活躍していたから。

 戦後三沢村に町政をしくとき町の名前を新しくしようと、”三沢”とつけて司令官にお伺いをたてたら、”オ−・Misawa・OK”いうことで、”大三沢町”になったという話を聞かされたものだった。

 街には”検診を受けましょう・保健衛生協会”という垂れ幕がかかり、検診をすすめるチラシが新聞と一緒に配達され、三本木保健所の大三沢支所が性病検診所であった時代である。

 そんな時、小鹿先生は病院に血圧相談部をつくり、昭和33年の事業として浜通りの10部落の血圧・生活環境を調査し、”三沢市海岸部落の高血圧と味噌汁”という報告書を出された。高血圧者が半数近くいること、玉味噌の汁の食塩濃度は3.7%で、一日二回四杯以上飲む人が半数以上いて、食塩を一日最低8グラムから最高59グラムまで摂っていることを明らかにされたのである。

 われわれが勉強していたことをすぐ受け入れての調査ではあったが、いま思うとその報告書は貴重な資料である。

 アメリカの連中が景気よく飲んでいたキャバレ−のかたすみでご馳走になった頃のことが、昨日のことにように思い出される。

(財団法人仁和会小鹿病院創立40周年記念誌,31,昭61.10.25.)

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