塩と文化と血圧

 

 はじめに

 

 ここに”塩の話あれこれ”という日本専売公社広報課発行の面白い本がある。ただその前書きをみて、考えこんでしまった。

 ”人間は一日に12-15グラムの塩が、生理的にどうしても必要である。重労働や熱作業に従事する場合は、40-50グラムと摂取量が増してくる。昔から「米塩」といわれたように人間が生きるために塩はなくてはならないものである”とあった。

 発行日は昭和45年なので、そんなに昔のことではない。しかし私がなぜ考えこんでしまったのすら、疑問に思う方が多いのではないか。

 それから5年たったある日曜日の新聞をみて、また考えさせられたのである。

 一流行作家が、”亭主に塩加減のよくきいた料理をつくってやることのできぬ主婦など、わたしにいわせればもはや主婦ではない。上方でおだやかにいえば、「ほんま、あほとちやうやろか」というところである”と結んだ”日本亭主図鑑”の書き出しに、次のような文句があったのである。

 ”塩が人間にとってもっとも基本的、かつ最重要の食品であることは、わたしのごときが、しかものどかな日曜の朝にことごとしく蝶々しなくても、読者諸賢のすでによく御存知のことであろう。だが、お節介ながら、塩がいかに人間にとって大切な働きをしているかについて「世界大百科事典」の記述を引用すれば、塩は「動物体の生存維持には必要不可欠の物質であり、、しかもこれに代用する物質は他に全くないことにその著しい特色がある。人体に約0.7%の食塩が含まれているが、血液にまじって、細胞の新陳代謝をうながし、また胃液の塩酸となって消化作用をたすけ、神経や筋肉の興奮をととのえる働きをする。ところが尿や汗にまじって毎日排出されるので成人で一日当たり約10-15グラムを摂取しなければ、生命を維持することができないのである”と。

 百科事典の内容は、それぞれの面での専門家が書くのが原則だから、そこに書かれていることを信じない方がおかしいのかもしれないが、文中添え点をしたところが、問題だと思ったのである。 

 

塩のない文化

 

 ちょうどその年にあたる1975年、世界のこの方面の専門家を、”あっ”といわせた研究論文が発表された。

 なんと、その標題は”塩のない文化”(no salt culture)に住むヤノマモ・インデイアンの血圧、食塩摂取、それと関連のある体内ホルモンに関する論文であった。

 最近わが国でもテレビに紹介されるようになったブラジルの原住民であるヤノマモ族の人たちは、一日1グラム以下というような塩をほとんどとらない食生活で、元気で生活しているという報告であった。

 人間は、”塩なし”で生きられるのであろうか。しかしこの地球上に”塩なし”で生きている人たちがいることがわかり、現代医学の最先端をゆく調査で、人間のもつ塩類保持ホルモンの働きによることが示されたのである。

 一方、わが国の、とくに東北地方の人たちのように、一日20グラムも30グラムもの食塩をとり続けている人がいることもわかっていた。

 この両者の人間は違った人間なのであろうか。日本人は”塩なし”で生命を維持できないのであろうか。

 この地球上の人類は、もともと一つで、違ってみえ、違った生活をしているのは、長い長い間に、それぞれ人々がつくり上げてきた文化が違ったからではなかったのか。

 

食塩と人体の生理、ことに吸収と排泄について

 

 この地球上での実際の食生活の中で、日常とっている食塩の量をみると、一日1グラム以下の食塩しかとらないで生活している人もいれば、一日数十グラムの食塩をとっている人もいることもわかっている。

 食塩と人体との関係は一体どうなっているのであろうか。

 毎日の食生活で食塩が口から入った場合、体の中でどうなっているのであろうか。

 このように口から入ったものを便宜上外因性というと、実は内因性ともいうべき食塩がある。それは消化器管内に毎日分泌されている消化液中の塩類である。

 消化管の中は、体の中にあるとはいえ、外界に直接通じているので、一日8リットルにもおよぶ消化液の塩類として、一度は体外に出る。だから口から入った外因性の食塩と消化液中の内因性の塩類はいっしょこたになって消化管を下っていく。食物の終末分としての大便の中には、普通食塩として一日0.1グラム程度しか出ないところからみると、小腸・大腸で大部分体の中に吸収されているのである。嘔吐や下痢があれば別だが、口から入った食塩は一度は全部体の中に吸収されるのである。

 食塩、それはナトリウムとクロ−ルという元素から成り立っており、現在の医学的知識では、高血圧と関連する因子はナトリウムと考えられ、クロ−ルのことはまだわかっていない。

 いつかNHKのテレビの討論の中で、食品の添加物として食塩が話題に取り上げられたとき、「食塩」は人間に必要なもの、「ナトリウム」が悪玉という発言をした方がいたが、そんなことはない。

 食塩の過剰摂取と高血圧との関係が考えられるようになった今日では、毎日の食生活の中で、ナトリウムがどこから入ってくるか、その量はどの位なのか、をいつも考えなければならない時代になったといえる。

 なにしろ、わが厚生省でも、昭和54年になって、ナトリウム、食塩の適正摂取量として、成人男女、ナトリウム3.9グラム以下、食塩として10グラム以下を示したのだから。以下というのがついている。

 ナトリウムが体の中に入ると、それだけでは体液の浸透圧が高まって細胞は生きていかれないので、いつも水を必要とし、人の体液のナトリウム濃度は、”塩のない”生活をしている人のも、われわれのも同じに保たれている。そのしくみがあるのだ。

 一般的にいうと、塩を必要以上にたくさんとると体重がふえ、塩の摂取量をへらすと体重は軽くなる。言葉は悪いが、”水膨れ”である。そしてこのような細胞外液量がいつも高い状態が長く長くつづくと、高血圧になってしまうのではないかと、高血圧の成因を考える人が多くなってきた。

 体の中の体液のナトリウムの濃度を一定に保つ仕事をしているのが腎臓である。腎臓では毎日尿をすこしずつつくっているが、その中で、体に必要なものは外に出さないように、必要でないものは外に出すように、腎尿細管で調節している。大昔は身近に塩がほとんどなかった。塩は体に必要なものであるので、塩類を保持するホルモン(アルドステロン)が副腎から出て調節するようなしくみが人間にできたと考えらえれている。

 体に必要でない塩類は尿中に毎日排出されているが、汗をかくとき、汗の中にも出ることがわかっていた。

 前出の百科事典にもの述べられていたように、40グラムも50グラムも汗の中に出ることが、日本の汗の研究でわかったのである。

 だから、日本のほとんどの教科書には発汗があるときは食塩の補給をしなければならないと書いてある。たしかに熱中症の予防や治療に必要な場合があるが。

 しかし、尿のナトリウムの排泄に関係のあるアルドステロンが、実は汗のナトリウムの濃度の調節に関係していることは、ほとんど知られていない。教科書にもほとんど出ていない。

 なにしろ、このしくみがわかったのは、昭和24年以後のことなのだから。

 J.W.コンは、暑熱労働になれた人で、一日7リットルもの汗をかく場合でも、20,11,6,2,グラムと摂取食塩をへらすと、汗と尿の中の塩類排泄が減じて、一週間から10日で、塩類の収支のバランスがとれることを認めている。

 ブラジルのヤノマモ・インデイアンの場合もきっとそうであろう。

 われわれが、ニュ−ギニヤの人の髪の毛のナトリウムを分析し、日本の秋田の人と比較した例でも、日常とる食塩の摂取量が反映していたように推測されたのである。

 だから、とあえていおう。

 汗の中に塩が出て、その分をすぐ補給する必要があると考えるのではなく、人の体のしくみをよく働かせる方向を考えたらどうか。

 なぜなら、必要以上の食塩を長年に亘ってとり続けていると、そんな食生活を続けていると、どうも人によって、血圧が高く、悪い方に推移してゆくことが、長年の血圧の観察から確かめられたから。

 現代の医学でのすじみちでは、塩が人間にとって必要なものには違いないが、ナトリウムの収支のバランスがとれている限り、その必要量は極めて少量であるという。

 われわれ文明人というものが、知らず知らず、おそらく塩のもつ食物保存への特性を生活にとり入れることにより、そんな食生活になれてしまい、味の好みも、習慣になった。そんな文化を考えることは、人間を知る上からいって極めて興味のある問題だと思いながら、医学的には、食塩過剰摂取の害を、高血圧との関連において述べなければならないのである。なお詳細は佐々木直亮・菊池亮也著「食塩と栄養」)第一出版。昭55)をご覧ください。

月刊健康,202,32−36,昭56.2.1.)

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