日本人は食塩をとりすぎている

(高血圧のデ−タ−集め20年から)

 

 この見出しの文句は、去る昭和49年度の毎日学術奨励賞が、日本学術会議からの推薦によって、われわれの教室の「日本における高血圧の疫学的研究」に与えられた時、毎日新聞の紹介の記事に出たものである。

 20年前にこの研究にとりかかった頃は、「食塩は高血圧と無関係」といわれた時代だった。しかし、日本の、とくに東北地方住民の高血圧の状態や脳卒中の早期多発の傾向と生活の実情から、「食塩のとりすぎは、循環器系の疾患に決してよくない」という研究を次々と発表していった。

 現在では「食塩と高血圧は関係がある」ことが、「常識」となったようだ。だがしかし、一体、食塩について、本当に必要な量はどのくらいなのか、最近あった実例から考えてみよう。

 

横井さんの場合

 

 去る昭和47年1月25日、グアム島で28年間ジャングルにひそんでいた元日本兵の横井庄一さんが発見されたというニュ−スは、私のような戦中派にとってショッキングなニュ−スであった。

 だが日頃食塩のことを考えていたので、まず知りたかったことは、彼が食塩をどのようにとって生活していたか、ということであった。

 生活、とくに食生活の数々の知恵の中で、食塩について、彼は次のように述べている。

 「塩は全く使わなかった。海岸に出られなかったので、海水をくむこともなかった」と。 では食塩はどこからとっていたのであろうか。

 「横井庄一氏に対する栄養学的考察」の学術報告によれば、「被検者は食塩を殆ど摂取していない。それにも拘らず28年生存してきたので、Na(ナトリウム)の分析を行った」

 「その結果、タロホホ河水にも、ココナツミルクにも相当量のナトリウム(Na)が含有されていることが判明した」

 これで、彼がいった「飲料水はタロホホ川の水をつかった」という言葉が生きてくる。

 川の水のNaの濃度は、340p.p.m.と報告されている。これは仮に川の水を一日1リットル飲んだとして、食塩として、 0.9グラムに相当する濃度である。ココナツミルクには120p.p.m.のナトリウムが含まれていた。

 横井さんの生活した場所が、ニュ−ギニヤの原住民のいう「塩のわく泉」のような水の河辺であったことは幸いなことであった。

 ジャングルの中の天然自然の食物の中のナトリウムと共に、必要にして最小限の食塩がとられていたことを意味していると思われる。

 しかしその量は、食塩になおして一日1グラム程度ではなかろうか。

 とすれば、その後横井さんが、参議院に立候補したときの公報の推薦の言葉にあったような、「人間は塩なしでは生きられない」奇跡を行った人とは考えられない。

 そして、彼の血圧が116と60と報道されたことも、わが意を得た感じであった。

 

 小野田、中村さんの場合

 

 では、小野田さんの場合はどうであったか。

 ルバング島の奥深いジャングルの岩場だけで眠った小野田元少尉は「陸軍」の中に生きていた。彼の所持品の中には「食塩」があった。

 彼は「任務遂行のために絶対死んではならなかった」そしてそのために必要と考えたであろう「食塩」を、島民の家へ「こっそりと、いただきに上がった」と小野田さんは述べ、「塩を贈った友」がいたと現地では報道されれた。

 バナナまで煮て食べ、生水は絶対に飲まず、食物に対する用心と、カロリ−の計算によって、生き延びてきたことは立派である。

 そして彼の血圧は、100と70であり、健康そのものと報道された。彼の一日の食塩摂取量も、1グラムとはいっていなかったのではなかろうか。

 その後「終戦も知らず30年」目に、南太平洋のモロタイ島でみつかった中村輝夫さんの場合は、住民から物をもらったことはなく、イモを作って自給自足し、牛や野豚を殺して食べたこともなく、「塩はない。味つけするものなどなにもなかった。そのままだよ」と報道されれた。

 彼の健康状態は、インドネシア大学の医学部の内科部長の話によれば「おおむね良好だが、長年の偏食で、栄養に偏りが見られる」ことであったが、血圧は140 -90と発表されている。

 このような実例が次々と目にふれてくると、一体食塩はどのくらい人間にとって必要なのかと疑問になってくるのであるが、この問いの答えは精密な臨床観察によってすでに報告されている。

 それは、高血圧の成因としての食塩に興味をもち、低食塩食が無害であることを証明しようとして行ったド−ル博士の研究報告である。

 もうすでに20年以上も観察されているのだが、1グラム以下の食塩で収支のバランスがとれ、何らの障害も認められないというのである。そして、彼の報告によれば、人間の本当に必要な食塩の量は極めて少量であると考えられ、それは5グラム以下であろうと。

 

塩のない生活

 

 食塩が、人間の食生活の中でなくてくはならない必須物であることが認められる一方、自然の食物の中に含まれている以外の食塩を食物につけくわえることをしないで生活している人たちが、この地球上にいることは、かなり古くから注目されていたことであった。

 「エスキモ−」とは「生肉を食う連中」の意味だといわれている。肉を煮ることが唯一の料理で、味つけに類することは全然しない。

 それでも肉食であるために、食塩としては一日4グラム程度は摂取していることが報告されている。

 ところが、ニュ−ギニア、ブラジル、オ−ストラリアなどの原住民では、食塩の摂取量は極めて少量で、一日1グラム程度と考えられている。

 最近出版された本多勝一氏や、石毛直衛氏らの探検記にも、この辺の事情を読みとることができる。

 ニュ−ギニアの高地人は「塩の出る場所」の「塩分を含んだ水」から「草束を使って塩を製造」し、「貨幣のような貴重品」として用いている。

 「塩は貴重品であり、ふだんの食事にはつかわない。ときどき、出来上がった石むし料理の野菜の葉のうえに、もったいなそうにひとつまみふりかけるだけである」

 彼らの健康状態、循環器系の疾患、とくに高血圧の状況については、まだ十分明らかではない。

 しかし、WHOの栄養担当官であったレ−ウエンシュタイン博士が 1958年ブラジルで行った調査報告は極めて興味のあるものであった。

 ブラジルでは最近大陸横断道路の建設にともなって、全く原始的な生活を送っている人たちの様子が次第に明らかになりつつある。博士は、二つの原始部落民の血圧の状況について報告している。

 一つは全くの原始生活で、われわれが日常用いている食卓塩はもちいず、植物の灰(塩化カリウム)を用いており、血圧は50歳をすぎても110程度であるのに、その近くの「文明」に接して食卓塩を用いるような他の部落では50歳をすぎると130くらいになっているのである。

 この研究の目的は「血圧は年をとれば上がるこの」かどうかを知ろうとしたものであったが、食生活の中の食塩との関連でながめると極めて興味のあるものであった。

 南太平洋の島で、一日3グラムから4グラムの食塩で生活している人たちの血圧が、中年以上で120程度であるという報告もある。

 

日本の実情と問題点

 

 これに比較して、日本の実情はどうであろうか。

 日本では、北海道のアイヌの人たちの食生活が比較的食塩が少ない以外、世界にも類がないくらい多量の食塩をとっている。

 日本人、とくに東北地方の人たちが一日20グラムも30グラムも食塩をとっている話をしても、殆ど信じてもらえなかったが、ようやく最近では、外国からの報告でも、日本人の食生活の特徴の一つに、食塩の過剰摂取があることが示されるようになった。

 最近では、一部農村地方を除いて一日10グラムから15グラム程度の食塩摂取量であると考えられるが、多量の食塩を日常摂取している日本における食生活の型、伝統ある食習慣に支配されていることは明らかである。

 1944年、高血圧についての食餌療法として世界にセンセ−ションを与えたケンプナ−の低食塩低カロリ−の米療法の理論でもわかるように、米そのものには食塩は含まれていない。欧米の食生活の中の食塩が入るパン、バタ−を米にきりかえようというのである。

 日本では、米食につきまとう食生活に食塩がいろいろ含まれているからなのである。

 食品分析表、これも最近のものには、食品ごとのナトリウムの分析値が掲載されるようになった。それを一覧してわかるのだが、ナトリウム含有量がとびぬけて多いのは、その殆どが加工品である。人間は、人間の知恵によって食品の製造過程で食塩をつけ加えるために、食品として食塩含量が多くなっていることを知らなければならない。

 みそ、つけ物、しょうゆをはじめ、うめぼし、かまぼこ、洋風の食品ではパン、バタ−チ−ズ等々、最近のインスタントラ−メンも一袋5グラムは入っている。

 この食品に対する「添加物」としての食塩に誰も目をむけないのはどうしたことであろううか。

 それにもまして不思議でならないことは、日本では「成人一日一人当たり食塩は15グラム必要だ」という「常識」がまかり通っていることだ。

 

一日15グラムは本当に必要なのか

 

 このお正月の29日、NHKの科学千一夜「塩の機能をさぐる」を聞いていたときのことであった。

 京都の料亭の三味線の音をバックに「もり塩」の話を聞いているうちに「塩を体は生理的に必要として、その量は私たち人間の場合、大人は一日15グラム」と解説されていた。

 この日の話題は、食塩の製法にかかわる「自然塩」と「化学塩」の問題で、大いに興味のあるものであったが、そのまくらの一日15グラム生理的に必要とは、誰が原稿を書いたのであろう。

 ごく最近「日本亭主図鑑」を連載していた作家井上ひさし氏の「台所の魔術師」の一文にも同じことがあった。

 本文の目標は「亭主に塩加減のよくきいた料理を作ってやることのできぬ主婦など、もはや主婦ではない」ことをいおうとしていることであったが、塩が人間にとってもっとも基本的、かつ最重要な食品であることを百科事典の記事を引用して次のように書いていた。

 「尿や汗にまじって毎日排出されるので、成人一日当たり約10-15グラムを摂取しなければ、生命を維持することができない」と。

 同じような記事は「まちがい栄養学」を書いた川島四郎氏のことばの中にもみられた。

 「やはり塩分のとりすぎはよくないんですね」の問いに対して「しかし、これもね、多分に世の中の人は食塩恐怖症になっていると思うんです」「ジン臓病と高血圧、それに心臓病だけが食塩はいかんので、ほかの人は食塩をとらなければダメなんです。一日15グラムは絶対に必要なんです」と。

 この二人にはそれぞれ手紙を書いたのだが、このへんが今日の日本の「常識」というものであろう。

 しかし私は、日本の多くの教科書、百科事典に書かれていることに間違いがあるのではないかということを指摘してきた。

 それは昭和37年に日本公衆衛生学雑誌に発表した「わが国における食塩摂取についての常識と問題点」であり、昭和48年日本衛生学会に発表した「日本における食塩の栄養所要量についての再検討」の中で述べてきたことだ。

 外国では殆ど問題にならない食塩の所要量が、日本できめられてきたことは、日本の研究の流れと共に理解しなければならない。

 

食塩の所要量について

 

 日本での「常識」になった食塩の「一日15グラム」の栄養所要量が、はじめてきまったのは昭和21年である。それが今日まで至っているのだが、私がこの決定について指摘してきた問題点の主なものはこうである。

 第一にわが国で習慣的に摂取している量がもとになってきめられていることである。

 わが国の食塩摂取量が、諸外国と比べて多いことは、食習慣によるのではないかということは前に述べたが、尿中に一日15グラム程度排出されるからといって、それがその分だけ必要だとは考えられない。本当に生理的に必要な量は極めて少量であると考えられ、それ以上とった量は「オ−バ−フロ−」して出ているのである。ところが日本の多くの学者、また「旧陸軍」の軍医達も「排出しているから」」「必要」だと考えたらしい。

 それでも所要量を決定するにあたって、一日10グラム程度とれば十分であろうとしながら、さらに5グラムを加えて「安全」と考え「15グラム」が示されたのだ。

 そのほか、一般に好まれている塩味、1.0%から1.2%の塩味を示す食塩の量を摂取食物量に乗じて食塩の摂取量とみていることにも問題があると思われる。

 何故なら、われわれの基礎的な研究によると、好み塩味はその生態系にとって習慣的に形成されたものと考えられるからである。

 近く6年ぶりに、日本人の栄養所要量が改正されるという。

 この原稿を書いている現在、その内容は公表されていないが、一部伝えられるところによると「食塩についての基準は廃止」されるようである。

 基準をきめなくても現在の食生活で食塩が少なくなりすぎるということは殆ど考えられない。

 少ない食塩にならすべきである。そのことがわれわれの健康にきっと良い影響を与えてくれることだろう。

毎日ライフ,臨時増刊,6,62−66,昭50.6.)

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