疫学の論理

 

 ”疫学の論理”と題した講演の内容は、”疫学(Epidemiology)”の定義をのべようとするものではなく、”疫学的研究”と標榜する研究の一例としてわれわれが行ってきた研究を示すことによって、疫学的研究の考えのみちすじを述べてみたいと思う。

 われわれが昭和29年から行ってきた研究の出発点は、秋田県・青森県内の住民のなかに”あだる”といわれる疾病が若い年齢層から多発していたことで、これは当時”脳溢血”といわれていた脳血管疾患と思われたが、これを何とか予防したいと考えたからである。

 その研究の内容を最もよく表す標題として、はじめ”東北地方住民の脳卒中ないし高血圧の予防についての研究”といったが、これは”脳溢血の成因に関する衛生学的研究”(近藤正二)を受け、予防を中心に考えたからであり、”疫学”はまだ一般的には用いられていなかった。

 現在記述疫学といわれる死亡統計の検討からはじまったが、その中心は壮年期(20-59歳:近藤)から中年期(30-59歳:武田壌寿)脳卒中死亡率の検討であり、日本のまた東北地方の脳卒中死亡率には量的問題のみならず質的問題のあることを指摘した。

 脳血管疾患と高血圧との関連があることは、当時までの生命保険医学や臨床医学の研究によって知られていたが、一般住民についての疫学的研究はなく、東北地方の死亡率の検討と同時に、脳血管疾患による有病者の調査と血圧測定が始められた。

 血圧測定の方法については、国際・国内的にその測定方法が検討されはじめた時でもあり、それらを参考にして、集団的血圧測定と記録の方法を定め、それによって横断的疫学調査とその後に続く追跡調査が行われた。

 現在は純客観的に血圧を測定・記録し、証拠を残すことのできる方法(Objective Recording Method -O.R.M.)について検討(蓮沼正明・三上聖治)中であり、マイコンを内臓し、外部レコ−ダ−に証拠を残し、コンピュ−タ−によって、最高・最低血圧値のみでなくその他の血管情報について分析可能の、携帯用小型血圧計を試作したが、疫学調査にとって将来極めて有用な手段になるものと思われる。

 同一人の血圧を夏冬続けて測定し、冬の血圧の上昇を認め、また室内温度環境との関連から温度環境のもつ脳卒中予防の意義を論じた(高橋英次)。

 一般住民について血圧を測定してみてわかったことは、集団的にみると調査対象によって血圧平均値のみでなく血圧の分布にも差のあることであった。中年の同一年齢集団の比較でも、また小・中学生のような年齢の集団でも差があり、そしてそれぞれの地域で得られた中年期脳卒中死亡率と平行関係にあることであった。

 当時、又現在でも、高血圧が一つの独立した疾患であるのか、あるいは単なる量的偏位にすぎないのかは論議のあるところであるが、われわれは各種人口集団についての実測値から、人および人々の血圧をどのように理解したらよいかの”血圧論”を述べた。この血圧論ははじめに展開された横断的疫学調査によって考えられたものであったが、その後に行われた縦断的疫学調査成績によって裏づけられたと考える。

 すなわち、約20年間に亘って得られた資料によって、加齢による個人の血圧の推移が観察され、血圧水準と加齢による血圧の推移が個人ごとに若い年代から相違していることが認められた。

 そしてこの血圧水準と推移の個人による相違は、その個人の宿主と環境の多要因によって左右されていると考えられた。親子というようないわゆる遺伝的要因と同時に、医療の有無、食塩摂取と関連あるみそ汁の摂取状況またりんごの摂取状況といった生活要因との関連があると関連があることが推測され、その人の生活諸条件によって相違することが考えられた。そして個人の血圧水準の高い者ほど、加齢と共に血圧が上昇し、個人の血圧水準と生命予後、とくに脳血管疾患との関連があることが明らかになった。血圧水準が最高血圧120mmHg、最低血圧70mmHg付近にあることが最も死亡率が低く、それより血圧が高くなるにしたがって一定の増加率で死亡率が高くなり、全体の中で若いときから血圧水準の高い位置づけにある者が早く脳血管疾患で死亡することが、追跡的疫学調査によって確率の上で計算された事実であった。東北地方では集団全体でみると加齢にともなって血圧分布が幅広くなう。このように人々がそれぞれの地域で生活しているところを、死亡率でみ、有病者でみ、血圧値やその分布でみているものとして理解された。

 脳卒中の自然史が次第に明らかになるにつれ、高血圧との関連も明らかになり、高血圧の自然史の、人は何故人によって高血圧になるのかの探求が目標になった。

 各種生活要因との関連について分析を進めてゆくうちに、脳卒中ないし高血圧と食生活との関連があることが推測された。その中で食塩摂取との関連が考えられたが、当時、国際的にみても国内的にみても、食塩摂取を高血圧の成因とみなす考え方はほとんどなく、むしろ学問の大勢はそれらの関係については否定的であった。又人が何故食塩を摂るのか」ついて考えられていた理論についても納得いかなかった。

 当時まで食塩摂取につぃては、その分析からいって尿中のCl排せつ量を測定し考察し考察することであったが、われわれは当時ようやく使用できるようになった炎光分析法を疫学調査に応用して、はじめて尿中のNa・Kについての測定値を得ることができ、食塩の問題と同時にカリウムの問題に接近することができた。これらの成績は食塩摂取についての理論を再検討することにもなり、又秋田県の水田単作地帯農民と青森県の農民との差、とくにリンゴ生産にともなう差としてのリンゴとの関連として、Na/K比と関連を認識することになった。脳卒中死亡率や血圧水準の差とNa/K比があることも認められたが、、秋田県農民にリンゴを食べてもらうという実験疫学により血圧におよぼす影響を観察し、短期間ではあったが対照に比較してリンゴ摂取群に血圧水準の低下を認めた。又長期にわたる観察としては、リンゴを日常食べ続けている人の血圧は東北地方では比較的に低い水準に推移していることも認めた。

 このようなNaとK、および血圧水準や分布の差については、その後日本国内のみならず、国際的に資料を検討し、地球疫学の立場から両者の関連について考察することができた。これらの資料はそれぞれの地域での別の目的になされた横断的疫学調査報告であったが、それらをまとめて、われわれの血圧論による日常食塩摂取量と血圧水準と分布との関連についての作業仮説であった。

 食塩についての好みの問題についての基礎的研究(福士襄)も行ったが、人々が長い歴史の中で食生活の中に食塩を用いるようになってきた食文化をあらためて考えさせることになった。

 人々の食塩摂取状況について疫学的に資料をえることには種々困難がともない、従って従来ほとんど研究がなされていなかった。われわれは尿中のNa・K・クレアチニンの分析のために、試料の採取・運搬・保存のための”ろ紙法”(竹森幸一)を考案し、これについて基礎的検討をすませたが、現在この方法を広く国際的の疫学調査に応用する段階にある。

 一般的にいって、日本、とくに東北地方の住民には過剰の食塩摂取があり、それらの食生活改善の必要があると考えられる。具体的な対策の一つとして、食生活の流通体系の近代化に関する勧告を行った。すなわち塩蔵から冷蔵への転換である。このことは日本人について疫学的研究にもとづいた一つの干渉が行われたことになるが、昭和40年以後日本人全体の脳卒中死亡率や血圧状況に変貌が起こっており、その変化の方向は良い方向と思われるが、疫学の論理によった勧告である。

 多要因疾病発生論の立場をとると、単一の要因が確定されるまで、可能性のある要因の中で最も蓋然性の高い要因についての対策がとられるべきで、その結果その要因の状況に変化が起これば、他の蓋然性の高い要因が認識されてくるのは当然である。時代と共に、それぞれの地域の人ごとの健康問題について、疫学的検討が必要であり、対策がとられるべきであると思う。

第49回日本民族衛生学会総会講演集,民族衛生,50,14−15,1984.)

もとへもどる