東京温泉物語

 

 女の三助が肩を流してくれる相だ、といううわさにつられて、終戦後東京駅の構内に誕生した東京温泉にかよいはじめて、30年近くたってしまった。

 今は極めてビジネスライクになって、プレス・洗濯は手早く、清潔でエヤコンもよく、サウナのほかにジャグ−ジ浴などあって、夜行で上京したとき、一風呂あびるにはかこうの場所である。

 一寸前まで、九州・関西・北海道の人にあうこともあったが、新幹線ができ、空の旅が常識化すると共に、彼らは日帰り組になり、今では東北の人のたまり場になった感がする。国元ではすれ違ってなかなかあえない人に、ふと顔をあわすこともあり、はだかのつきあいができて、よいこともある。でも東北の交通網にも変化がおこり、次第にこの東京温泉のスタイルも変化してゆくことだろう。

 朝7時から8時がピ−クで、日本の働き蜂どもが、百人以上も一斉に風呂をあびている姿は、”疫学的”にまたとない検診の機会でもある。かなり太った若者が入ってくるようになったことに、日本の繁栄を感じ、栄養状態の変化を知ったものだった。

 大きなカガミの中にうつる姿、その中に自分の姿をみることは、他人との比較においてわが身を知るのに又とない機会でもある。高温のサウナに入ることにも大分なれ、発汗に関する衛生学の実習の場でもある。そして汗の中のミネラルについて考えをめぐらす場でもある。

 月に2,3回、1回に百人以上そして 30年。数万にもなる観察人時間の中に、脳卒中や心臓病の発作がおこるのをみなかったことは、酒をのんで入ること、体の弱い人はご遠慮下さい、という条件をおいても、入浴がこれらの発作の直接のひきがねにはならないのではないか、と思ったりするのである。

日本医事新報,3062,110,昭58.1.1.)

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