干支の酉年の男より

 

 ”年男を対象に選んでみました”と青森県医師会報への原稿依頼がきて、”弘前からご挨拶”、という題で小文を書き終えたら、今度は”来年は先生の干支の酉年です”なにとぞ会報新年号の原稿をお願いします”ときた。豆まきではないけれど、年男はいそがしいものである。

 ”何でも結構です”とのことなので、字数の関係で前に書けなかった事を書くことにする。

 年・年といわれると、いやでも年を考えさせられる。自分では若い気でいても、初孫などできて、”お父様”から”お爺ちゃま”と若い女の子からいわれると、何ともいえない気がする。

 長男が結婚したとき、いとこ達が”おやじには気をつけなければいけない”といいあっていたのを小耳にはさんだことがある。可愛いお嫁さんを、”おやじ”にとられるなという意味だったのだろう。

 今迄、母と家内以外に女気のなかった生活に、若い女性が入ってきたのだから、”女”を感ずる、といったら、それは先生が気が若いから、と答えてくれた人がいた。ああ、こんなことを書いて、貴重な会報をけがしてはいけない。

 

衛生学教室のアルバムから。2枚を紹介しておこう。

 昭和32年の夏、”食塩摂取についての2,3の問題”をはじめて衛生学会(箱根)で発表したあとのことだった。全国の新八(旧六帝大に対して、新設国立大学の医学部の衛生公衆衛生学の教授が、新六・新八とあつまって大いに活躍した)の教授達を弘前によんだことがあった。その時弘前駅前でとった写真である。

 弘前駅前から馬車で土手町を通り、公園へ案内したあと、医学部で特別講義を皆にしてもらった。その時はじめて教室テ−プレコ−ダ−を買い、紙のテ−プに録音したのが、わが教室の今まで続いている録音テ−プ・コレクションのはしりであった。

 そんな時代、三沢からきたと思われるような車が、駅前に、砂ぼこりをあげながら入ってきた。近く弘前駅も新築されるという。

 写真は、それなりに、真実をつたえてくれる。

(弘前市医師会報,145,8,昭56.1.1.)

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