日々随感・人間と健康

2 かすった話

 

 「あたって」死にはしなかったが「かすって」半身不随になっている人が、全国で30万、青森県内に約1万人はいるという。そのうち3分の1は、他人の厄介にならなければ生きていけない人。

 私たちが高血圧指導で、いろいろな部落へゆけば必ず見られる風景。それはあまりにも悲惨な、気の毒な風景だ。脳卒中の発作後、手や足がきかなくなり、暗いへやの片隅に、寝かされたままになっている老人の姿である。

 先日亡くなった弘前市大久保のOさんの死ものその一つ。この73歳の老人、5月に「あたって」右腕がきかなくなった。同居の息子夫婦は出稼ぎ。戸締まりした家に老人がひとりで閉じこめられたまま。家庭訪問に行った保健婦さんも、会えずじまい。12月に入って4日、皆の留守中に死んでいった。死体検案によばれたO先生の「小さなサルのようにうずくまって死んでいました」とのことばの中に、ひとり寂しく死んでいった老人の生活をよみとることができよう。

 10年、20年、寝たっきりの患者にもよくめぐり会う。発作の当時、大病院の診察を受けながらも、「回復の見込みなし」のレッテルをはられ、その後一回も治療を受けていないのだ。

 こんなことではいけない。ということで最近強調されてれきたのがリハビリテ−ション。横文字が苦手なら、更生、社会復帰、現役復帰ということ。要は「あたって」「かすって」半身不随になってもそれはなおる、なおさねばならぬ。ここに医学の目が向けられてきた。

 それにはまず第一に正しい診断が必要。医者も勉強し直さなければなるまい。どういう「あたり」なのか。それによって治療方針も決まる。

 かっては「あたった」場合、絶対安静が強調された。たとえ便所の中であたっても、そこを動かすなと。しかし最近は医学が積極的に手を加えるようになってきたことを知っておかねばならない。もちろん安静は必要。だが自動車で病院へ運ぶ場合もある。背中に注射器をあててレントゲン撮影をし、脳にメスを入れてなおす場合もあることを患者や家族も知っておいてもらいたい。

 「やっぱりあたりでしたか」だけで済ましておけば、10日に半分の人は死んでしまう。そして、寝かしぱなしにしておけば、、手や足は永久にきかなくなる。「あたったとき」から、もう一回生まれ変わったつもりで患者も医者も考えるのがリハビリテ−ション。医者にだけ任せていれば、完全というものでもない。患者が自分でやることが沢山ある。なぜなら「あたった」人は、いわば生まれ変わった赤ちゃんのようなもの。はじめは手や足や口は不自由です。だから自分で練習していかなければならない。右手が動かないなら動く左手から練習してゆくことも大切。マヒした足をそのままにしておけば、足の先はとんがって、たとえ「あたり」はなおっても、将来歩けなくなる。だから足の先を直角に固定しておくことが大切。握り締めた手の指を、ハンカチなどを握らせて伸ばしておくこと。ほんのちょっとしたことがあとの生活に助けになる。

 いつから練習を始めるか。それは医師に任せてもらいたい。「あたった」その日からやることもある。おそくとも2,3週間後にはやらなければなるまい。

 老人を寝かし放しにしておいてごらんなさい。ただそれだけで永久に動けなくなりますよ。いくら70歳でも「生けるシカバネ」では意味がない。

(東奥日報,昭39.2.6.)

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