黙って座ればピタリと当たる「疫学

 

 疫学といっても中国伝来の黙って座ればピタリと当たる「易学」ではない。ここで解説したいのは科学的な考え方によった「疫学」である。

 

 以前「予言者」という小文を書いたことがある。

 「一夜、座談会が開かれ、健康問題あれこれの話し合いが行なわれた。私はどの土地にも良い面と悪い面がある。この青森県の奥戸(オコッペ)にも良い面が沢山あること、例えば、新鮮な魚はとれ、海藻もとれ、山菜もあり、空気はきれいで、砂浜は真珠とまではいかないがと、都会ではみられな良い生活の面があることを話したたあと、だが悪い面もあること、例えば、水にしても見た目にはきれいでも、先祖代々今まで何もなかったかもしれないが、流れる川の水で米をとぎ、さしみをつくり、皿をあらい、洗濯をするのでは、いったん赤痢でも入ったらこんなところは全滅です」

 こんな話をして帰って一週間目私の予言は的中し、伝染病予防法の発動にまでなった赤痢の集団発生が起ったのである。だから私はそこでは「予言者」ということになった。

 私が予言できたのは「科学的」に学問的にすでに分かっていたことを云ったまでのことであった。

 

 同じように「乳児ダイヤモンド論」を述べたことがあった。

 青森県から集団就職の子供たちを大勢送りだしていた頃の話であったが彼らは「金の卵」と云われていた。その時代多くの乳児が失われていたことを「ダイヤモンド」が失われれいると云ったのだ。それを書いたのが八月であったので、これから十二月までに三百以上のダイヤモンドが失われることが予測されると書いた。これも予測であるが、八月現在赤ちゃんを育てているどのお母さんも自分の赤ちゃんが死のうとは誰も考えてはいないであろうにといった。

 

 「あなた確率を信じますか」で書いたように「疫学」的に、すなわち病気や死亡の可能性のある人々全部を対象にして観察することによって、病気の成立ちという「自然史」が分り、死亡や病気になる「確率」が計算出来るのだ。

 だから死亡や病気は「一寸先は闇」ではなく、予測できるのだ。「予見医学」ともいう。

 人々が人生という道を歩んでいるとき、その歩いている道にどんな危険があるのかが、総てではないにしても、どこに「」があるかは分かってきたのである。

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