これからは「RF」より「BF」の時代だ

 

 「RF」はリスク・ファクタ−(危険因子)、「BF」のBはベネフィット(利益)である。

 いま盛んにリスク・ファクタ−(危険因子)をさけるようにと云われるようになったが、これからはベネフィット・ファクタ−(利益因子)を探し求める時代である。

 

 やれ「タバコ喫煙」は肺ガンの危険因子だから止めろ、「食塩の取りすぎ」は高血圧の危険因子だから低塩を心がけよのように、日常生活の中の危険因子をさけるように云われるようになったことの学問的背景を述べるとすれば、今世紀になって研究が進んだ「疫学的研究」について説明しなければならない。

 疫学的研究とは「エピデミオロジ−」と云われるが、語源からいうとは人々(デミオ)の上に(エピ)おおいかぶさるような病気について、病気の人も病気でない人を含めて人々について人々に集団的に接近し、その病気の本体を知ろうというのである。

 

 従来の西洋医学は病人という個人の病床のそばにあり、その個人の病像を観察し、またその病人の体の臓器とか血液とかの部分について病気の実態に接近し、病気の原因を考え、診断し、治療についての対策を考えてきた。

 それを見方を全くかえて、色々の危険にさらされている人々の中で、実際にその危険にあうのは誰なのかを見極めようというのである。その「確率」を計算しようというのである。とくに「追跡的疫学調査研究」によって、「危険因子」が「確率」として計算されたのである。

 

 疫学は従来の臨床医学とは違った見方をし始めたのだが、そのきっかけをつくった健康問題は「コレラ」であり、「脚気」であり、「ガン」であり、「心臓病・脳卒中」であったと思う。

 「コレラ」などの人を悩ます病気は数千年来「悪い空気」によると考えられていた。そのコレラが「水によってはこばれる病気」であるとコレラ菌が見つかる三十年も前に指摘できたのには一八五四年ロンドンでのスノウの疫学研究であった。近代的疫学研究の始まりである。

 「脚気」が食生活に関連のある病気であって、ビタミン発見のきっかけをあたえたのは日本での高木兼寛の疫学的研究であった。

 最近では「タバコ喫煙」と「肺ガン」との関連が指摘されるようになったのも、「心臓病」や「脳卒中」が生活とくに食生活との関連があると云われるようになったのも、すべて「疫学的研究」がさきがけをした。

 

 「因果はめぐる」という言葉があるが、すべて原因があって結果があると考えられている。しかし「結核菌」は結核の原因菌ではあるが、その原因があったらすべて「結核」という病気を起こしてくるのではない。

 「天然痘」の原因である「天然痘のウイルス」をこの地球上から追いやって研究室に閉じ込めてしまった現代では、もはや「天然痘」という病気の問題はなくなった。これはそのことを目標においたWHOのプロジェクトの勝利であった。だが総ての「病原体」のない世界には住めない。

 そこでその他の病気の「病原体」について考えるとそれは人間という「自己」と病気のもとになる病原体という人間以外の「非自己というなにか」との関係であると考えられる。その「非自己」が自分の「遺伝因子」との関連として理解されるようになってきた。

 「遺伝」というとすべて「遺伝」で運命的に支配されたものと考え、「環境」というとすべて「環境」と割り切って理解すれば話は簡単ではあるが、人間が病気になるということはそんなに簡単な仕組みによっているのではない。「多要因疾病発生論」になったのである。

 その沢山の要因の中に、例えば「ガン」についていえば「ガン遺伝子」とか「ガン抑制遺伝子」とか、その因子の「活性化」とか、「遺伝子に傷をつける」とか、「イニシエ−タ」とか「プロモ−タ−」とか、「レデユ−サ−」とか云われ、「タバコ」の煙の中の数百の「発ガン性物質」があると云われるようになった時代では、話はそう簡単ではなくなってきたとおぼろげながら分かっていただけるのではないだろうか。

 

 それでは医学はその仕組みをどのよに理解しているのであろうか。

 現代の話題は「遺伝子のDNA」の判定で犯人を指名できたとか、免疫の仕組みはどうであろうかといったことが最先端の学問でノベ−ル賞などの対象になっているが、そのような仕組みは人間がこの地球上に誕生して以来そうは変わっていないのではなかろうか。全く新しい人工的な化合物ができれば、それと人間との関係は「初めての体験」ではあろうが、コレラにしても結核にしてもそれらしい病気は有史以来記録されている。インフルエンザのことはかつての「スペイン風」で病気として認識された。しかし大正七年世界中をおびやかしたときには「ウイルス」のことなど分かっていなかった。いま話題のエイズのウイルスの起源はいつどこであったのであろうか。

 

 人間の行いがもとになって病気がおこることは二千年以上も前ヒポクラテスの時代から考えられてきたことである。人々の病気を観察し考察し多くの養生の秘けつを記録してきたので現代でもそれを読み取ることができる。東洋医学にも多くの経験はあった。その経験的秘けつに科学的根拠を与えるものは近代的疫学研究であると思う。とくに追跡的疫学調査研究によって、何でもない人々を「追いかけて追いかけて」どのように病気になるかを観察し記録し計算して、その「病気」の「危険」(リスク)をおこす割合を確率として計算して、その確率の高いものが「リスク・ファクタ−」(危険因子)と云われれるようになった。

 さらにその「危険因子」といわれるものに「干渉」「介入」(インタ−ベンション)して、その病気の発生率が減ったならば、やっぱりその「病気にはその危険因子が関連していた」と考えようという。

 だがそのような病気が地域社会から減ったり、なくなったりすれば世の中の人々はその病気のことを忘れてしまい、研究費もまわらず、純粋科学を追い求める研究者だけの頭にその仕組みについての疑問が残るだけなのである。そんなことで世の中は過ぎてゆく。

 

 「いけない いけない」というより「こうしなさい このようなほうがよいですよ」のほうがよいだろう。今はその危険因子を求める時代から、もっと利益を与える因子、私の名付けた「ベネフィット・ファクタ−」が求められる時代になったと云いたいのである。

 具体的にいえば「タバコが止められない人はビタミンAやCを人より余計とりなさい」であり、平山雄先生は「ニコチンやめてカロチンとろう」と云った。人参のような有色野菜に含まれているカロチンは体内でビタミンA二分子になり、とくにベタ−・カロチンは「ガン」化をおさえるのではないかと考えられるから。

 私の研究から云えば「塩は少なく、リンゴを食べて」である。これは三十年かかって証明してきた循環器疾患の予防につながる「心得」ではないかと思っているのだが。

  これからは「RF」より「BF」の時代だ

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