衛生学教室Newsから 

 No.47-50 1979 昭和54年

 

1979.1.1. *おだやかな 変わりばえのない正月

     *年賀状のほとんど来ない正月

     *東奥日報紙上”脳卒中克服への道”連載はじまる

 1.4. 新年互例会 本部 「いいことが多い年でありますように(大池学長)」

  医学部「医学部の内部を充実して(東野医学部長)」 「はじめての医学部互例会に出席して ふしめをつけることはよいことだ(佐々木)」

 1.7. 津軽に春がきて

 1.8. エレベ−タ−の中 出来てはじめて清しく

 1.10. 生命保険協会へ研究助成申請(自動血圧計専門委員会委員長として)

 自治体病院開設者協議会との懇談会 弘前市ニュ−キャッスルホテル 「大学で地域の(病院の)医師不足にどういうふうに対処してくれるか(斉藤)」「ようやく3回目でのってきて(言葉が悪ければ訂正する)(斉藤)」「働きざかりになった医員が開業にふみきる動機は何か(佐々木)」

 共通一次テスト監督についての説明会

 1.11. 一転して寒波が来 冬景色になる

 1.13. 共通一次テスト始まる 

   教室新年会 大鰐あじゃら荘

 *20数年前の古巣へもどって新年会

 *スイッチ一つで部屋を暖かく

 *純粋つがる弁の会になる(津軽へきて30年でもハチオンはマイネ)

 *”食塩は高血圧に悪いということです”(青江美奈ふう順子女氏の特別講演)

 *それにしても特注なべ(extra2000円)の塩からさ

 *大鰐のがんなべの由来聞く人話す人

 *話し上手着いて一段ともりあがり(女医会によばれていた小野先生)

 *うら若き女性いなくなって話落ち

 *フランス、江戸、津軽小話続き

 *実際にあったことから話出来

 *ジッチャ良い顔しているのはあたりまえ

 *生き仏拝んでジッチャ天国へ

 *造影剤”のんで”といわれてストリップ

 *十三の砂山は転勤節

 *話はずんで0時半

 *朝早く試験場にゆく人帰る人

 *ようやく大鰐もスキ−場の街になりました

 *一段と寒気きびしくバッテリ−あがり(仁平先生の車)

 1.15. 県下病院対抗囲碁大会(東奥日報社)で佐藤実先生4戦全勝で個人優勝

 1.17. 青森高看公衆看護学部研究発表会 佐々木教授助言者として出席

 「時間知らせる鈴の音心地よく」「骨折入院の体験をすませたばかりの花田ミキ先生の助言生き生きと」

 1.19. 第14回青森県環境保健部職員研究発表会 佐々木・臼谷・武田・福士総合意見発表に出席 発表「地方自治と保健所」仁平將 「小さい人が大きいテ−マかかげ基本つく」「あすをひらいて14回,14回といえばもう大人(佐々木)」

 1.20. 日本衛生学会幹事会 京都芝蘭会館 新旧幹事会 「新幹事会で話し合いのあと次年度より佐野晴洋京大教授新幹事長となる予定にきまる」「大阪での第50回(東田会長)50回にふさわしい行事をやる」

 1.22. 鹿児島大柳橋次雄助教授・厚生省地域保健課大井田隆技官来室

 1.30. 1.17.日付MedicalTribune誌上に「血圧測定上の問題点」の記事の中の写真に弘前大開発のものと全く同一のものと思われる血圧計が出ており、編集長へ問い合わせの文書を出す

  NHK弘前放送局放送部長寿恵村(すえむら)元文氏健康教室の件で来室、医師会へ紹介する

 1.31. 第一外科教授候補者として鯉江久昭(こいえひさあき)(京大講師 天理よろず相談所病院心臓血管外科部長)氏に当選  仁平將講師資格委員選出

 2.2. 青森市中央公民館館長松山文三.”青森市老人のための明るいまち推進事業”の講演の件で来室

 2.3. 第3回青森県雪問題検討委員会 ニュ−キャッスルホテル

 2.5. 三神芳彦先生病気療養中の所午前4時29分永眠,29日葬式

 2.6. 生命保険協会で館野豊(安田生命常務取締役)氏、伊藤(調査部長)氏とあう

 厚生省班会議(熊谷通夫先生) 慶大病院第2会議室 「”3歳児検診における血圧測定についいて”のべる」

 2.7. 石川教授退官記念講演会 医学部講堂 「外科における癌免疫療法の意義−特質的免疫RNAによる受動免疫を中心として」 「教授になられて(昭35)すぐはじめられた免疫療法(当時はあまりいわれていなかったが)の成果を話す 制癌力を高め3期4期でもよいようだ」

 2.8. 秋葉美知子さん、聖和女子大(西宮市)教育学部キリスト教幼児教育科3学年合格の通知あり

 2.11-12. 連休 快晴なれど風強し 大鰐スキ−場のリフトもとまることあり、アイスバ−ン

 2.14. 病院長に帷子康雄当選 仁平將先生講師資格認定

 2.15. 生命保険協会の医務委員会にて研究助成申請についての説明をする

 2.17. 厚生省班会議(伊藤良雄教授) 東大好仁会301号 佐々木・蓮沼で席

   日循協幹事会 

 2.19. 県環境保健部長室で第28回東北公衆衛生学会の件の打ち合わせ 特別講演者などきめる

  大学予算基本方針検討の委員会おわる

 2.20. 評議会に福士襄教授(教育学部)仁平將講師(医学部)の報告あり

 2.21. 昭和53年度第4回老人教養講座「青森市老人のための明るいまち推進事業」 講演「おとしよりの健康 高血圧と脳卒中について」佐々木 青森市民会館大ホ−ル 500名近く集まって 熱心に盛会であった 1時間半

 2.21. 県の癌の調査用紙全部教室に来る

 2.25. 第3回山形県医師会学校医大会 特別講演「食塩摂取と健康」佐々木 「山形県医師会大沼行之理事らの提唱によって学校給食を通じての減塩運動開始さる」

 2.27. 東奥日報中村記者取材(脳卒中・高血圧)のため来室

   秋葉美知子さんを送る会 マツダグリル

 *のむほどに(ワイン)よくのむ人あり

 *たべるほどに(おさしみつきオ−ドブル、ポタ−ジュ、ステ−キ、パン or ごはん、メロン+いちご、コ−ヒ− or 紅茶、プリン or アイスクリ−ム)よくかたり、西宮へ行って何をするか、頭をかがんで洗うなら美容院へ行かないという女たち、ごちそう様といえば会費ただになり

 *宝くじにあたったような確率で人にあい(この弘前で教室関係者3組グリルマツダでばったり会う お客は3組だけ)

 2.28. はじめての経験 入試面接についての打ち合わせ教授会 

 割烹中三で石川先生送別、新(帷子)旧(泉)病院長歓送迎会の教授懇談会 「すじを通し、趣味(つり、ゴルフ)を楽しまれた石川先生(東野医学部長)」「46歳で教授になり迷惑のかけっはなし(石川)」「へび(泉先生のこと)は水(洪水)をよび」「野球をあまりやらないで(東野先生から帷子先生への言葉)」「バトンを落として走りそうだ(帷子)」「午後7時から9時半までよく飲みしゃべり」「皆さんの体のためにこの辺でおひらきにしたい 若い元気な方は鍛冶町へどうぞ(佐々木)」「酔っていうわけでないけれど話はずむ(佐々木・臼谷)」

 3.1. 学1衛生学学期末試験

 3.2. 衛生公衛合同抄讀会 江武瑛「bibration-induced white finger」 沢田敏夫「新しい化合物clotiazepam」 佐々木「NHK健康百話−高血圧風土記の紹介」

 3.3. 雪景色 受験者構内にちらほら

 *北国に節句の日迎え風さやか(三上先生長女誕生)

 3.4. ”共通元年”面接行われる 教授連総集合し、教授3、受験生5で30分 短大校舎で 「初体験 双方とも緊張し」「聞くことと聞かないことを決め 聞き」「伝統ある弘前大学医学部という言葉聞く」「ごみごみした都会より山を歩きたい」「よく出る僻地医療本心はかりかね」「3000円はらって(受験産業診断のため)志願校きめ」「半分が入れないことになるとはかわいそう」

 3.6. 秋田衛研菊池氏図書(食塩と栄養)打ち合わせのため来室

 3.9. 弘前大学附属診療放射線技師学校閉校式行われる 「閉校とはいいながら、よろこんでこの日を迎えた 技術知識だけでなく人間教育の教育方針であった(篠崎校長)」「人の和をつくづく思う 短大生が第9回といっていた(大池学長)」「短大になることを最も消極的に賛成されたのはこの学校に自信があったからであろう(東野医学部長)」「病院が篠崎教授の熱意に十分こたえたかどうか反省している(泉病院長)」「Self control 自分をためしてみよ(北大若林名誉教授)」「ともに幸福を楽しむ、喜びを感ずる心を養うこと、ああありがたやありがたや(佐藤名誉教授)」「伝統あるこの学校に胸をはって(佐々木)パ−テイにて」

 3.9. 夜青森高看公衆看護謝恩会 青森市教育会館 「若さを保つことのできるのは皆さんのおかげです(佐藤院長80歳佐々木58歳)」「私はL.P.というあだながあるそうで(カラオケをうたいだすととまらない秋山課長)」「クラスのおどりは”young man”」

 3.10. 学位記授与式 中村久造先生ら

 *これからは自分で医学をつくりあげていただきたい(大池学長) 

  終了後懇談あり

 *つらかったことは三沢から弘前に通ったこと、 これからは子ども達の健康のため実際問題にとりくみたい(中村)

 *一つの節目としてよい式だった 私が学位をもらったのは30年も前、 これからある皆さんがうらやましい(佐々木)

  日循協沢井事務局長より 明年度の総会のことについて電話あり

 3.15. 青森県医師会生涯教育講演会 青森県医師会館 佐々木「疫学的アプロ−チ コホ−ト分析的思考法について」

 終了後懇親会あり *青森での二次会はタクシ−代がかかるそうな

 3.19 雪問題検討委員会 青森市ホテル青森 終了後懇親会あり(浜丁) 千代島企画部長が収入役になることもあって二次会まで足をはこぶ

 3.23. 卒業式 謝恩会(ニュ−キャッスル) 

  *学長(大池)・医学部長(東野)これで挨拶は3度目

  *”going my way”の諸君を”prospective”に”follow up”したい 諸君が国試で頭をいためている間に覚えた歌を(青葉城恋歌)(佐々木)

 3.24. 日循協評議員会(弘前地区) 昭和55年度の総会開催について

 3.27. 花田ミキさんと保健活動20周年誌について話し合う(グランドホテル12階)(佐々木)

 青森県公害審査会 年度末報告を聞く会

 3.28-30. 県のガン保健医療の実態調査の資料整理のため学生アルバイト(保医研の人達)来室

 3.29. 廃液処理施設修祓式

 *医学部のおしりのしまつ1億円

 3.30. 生命保険協会より研究助成金200万円受領 「血圧情報、とくにコロトコフ音の分析を中心とした血圧測定点の検討と自動血圧計への応用について」(日循協自動血圧計検討委員会代表佐々木直亮)

 3.31. 青森地方春のあらし大暴れ 飛行機とばず汽車も時間おくれ

 

 

No.48 

1979.4.2. 仁平將講師、小野明子さん、竹島千秋さん初出勤

 *初仕事学会出発前とかさなってあわただしく

 4.3-5. 第49回日本衛生学会総会 東京 日本大学医学部 幹事会(教授会をやる会議室の天井から突然落水あり顔にかかり眼科で急患として治療してもらう) 評議員会(次次期は北大高桑教授となる) 教育協議会(話題は国試ガイダンス) 名誉会員幹事懇親会(京王プラザ42階富士の間)

 4.3. 「雪が降って往きの飛行機欠航し はつかりで上京とのこと(竹森)」

 4.4. 発表「血圧水準と死亡 とくに循環器系疾患による死亡との関係」佐々木 「血圧情報の客観的表示・記録に関する研究 トランスジュ−サ−の位置と血圧測定値との関係」0蓮沼・竹森・三上 「日本人における血圧の年次推移についての一考察」佐々木・竹森・仁平・0三上・柳橋 「秋田県住民とパプアニュ−ギニア住民の頭髪中Na、K、Ca、Mg、Zn含量の比較」佐々木・0竹森・大塚(東大医保健人類生態学)、鈴木継美(東北大公衆衛生) 

 「初舞台とは思えぬ受け答え(三上)」「血圧測定に不安をおぼえどうしたらよいでしょう(岐阜大宮田)」「20年前のみそ汁の仕事追加発言し(鵜飼)」「死亡率地図中にいる人間とはかけはなれ(佐々木)」「座長への記念品ライタ−とはこれいかに」

 4.7. 日本医学会総会 記念切手発売 「シンポジウム高血圧の成因 久保講堂 実験・臨床からのアプロ−チのみ 但し盛会

 4.9. 医学部進学式 

 *待望の専門課程への進学おめでとう 人に誠をもってあたれ(東野医学部長)

 *進学については学年制であることに注意(吉田学務主任)

 *授業には出席すること そして教授から何かを感じとってもらいたい(佐々木)

 医学部長から「青森県百科事典」刊行の話あり

 4.11. 学1講義はじまる

 4.12. 田中良三県環境保健部長来室(人事の件)

 4.15. 石川教授退官記念会(こぶし会主催) ニュ−キャッスル3階 「学生時代の話でる」

 4.16. 日本脳卒中学会機関誌「脳卒中」(Japanese Journal of stroke)1巻1号発刊着

  秋山公衆衛生課長と事務打ち合せ

 4.17. 午前9時半佐々木教授の父上哲亮氏(94歳)天寿をまっとうされた(なお故人の意思により医学の進歩に役立たせるべく献体された)

 4.19. 教室お花見 中国大飯店にて 出席者20名

 *新年会以来のできごとの報告あり(佐々木教授)

 *近藤先生流にいえば父の死亡(4.17.父哲亮94歳)はおめでたいこと 気になさらずに(佐々木)

 *ここだけは2輪咲きの花見かな(小野、竹島さんのこと)

 *新人は何かをやることになっていること本気にし

 *出戻りはやらなくてもよいと注釈し(仁平講師)

 *お父さんゆずり 解説付きの詩なめらかに(小野明子さん)

 *才能のへんりんみせ 歌うたい(竹島千秋さん)

 *十三の砂山 嘉瀬の奴おどりの名調子(津島律、成田尹のご両人)

 *丁度時間になりましたとうまくにげ(竹森幹事)

 *二次会は”宿題”(大鰐からの)の発表の会になり

 *ハワイの旅行(山田先生ご夫妻)8ミリ、ワイン、その他コレクション

 4.22. 残雪の中に球をおい山あるき(HMG4月例会)

 4.24. 衛生学実習説明 1-4pm (仁平講師・蓮沼先生)

 *疫学の症例は何をだすかわからない 普段の勉強が大切 ”疫学”を演習するのが実習だ(仁平講師)

 *もうこれっきり 血圧について聞き 教えてくれることは一生ないだろう 医師になれば(蓮沼)

 4.27. 県環境保健部次長高橋氏来室(人事の件で了解を得たいと)

 4.29.30. 連休なれど冷たい雨

 5.1. 血圧実習(竹森・三上)疫学実習(仁平)はじまる

 *男女の組み合わせでも仲良くやるようになったもんだ

 5.2. 学1の衛生は”homework”

   長者番付表でる(医師上位ずらり)

   大井田隆先生来室 三上先生新車(タ−セル)でのりつける

  *夜スキ−部の新歓迎コンパ本丸であり

  *”出身!!”をさけぶ声あちらこちら(弘大の各クラブの会が多かった)

 5.5. 快晴 早朝の公園で写真をとる人(佐々木・武田)

 *今年の収穫は昔の消防ポンプをみたことだ

 *満開の桜みて ふと亡き友 父を思う

 5.6. 早朝に公園で散歩する人(京都からきた鯉江教授ご一家など)

 5.12. 弘大ヨット部新入生歓迎会 新部長福士襄先生になる

 5.13. 第8回医薬品相互作用研究会シンポジウム 秋田市秋田大学医学部 特別講演「疫学的アプロ−チについて−統計的処理とその見方−」佐々木直亮

 跡部汀先生(前衛生部長)病気療養中のところ死去される

 5.19. 石川教授退官記念式典おとび祝宴会ニュ−キャッスル

 5.21. 東北公衆衛生学会会場下見およびプログラム編成座長の相談をする

 5.24. 日本栄養士会青森県支部総会および栄養学術研修会 八戸ハイツ 特別講演「疫学面よりみた食塩と高血圧」佐々木  石山先生宅により夜行で上京

 5.25. 日循協自動血圧計検討委員会  自動血圧計返却の会 目白台東大分院にて

 *シャ−プ・スタンレ−・コ−リンに40分位づつかけて十分に説明してあげたつもりである(佐々木・蓮沼・佐久間ら)

 日循協理事会 帝国ホテル *明年度総会を佐々木会長でとの話正式にでる

 *懇親会の料理は弘前より上であった

 *銀座の穴場”たまり場”へ10名位伊藤良雄先生引っ張って行く

 5.26. 第13回日循協総会 *評議員会・総会で 次期会長佐々木直亮教授 会場弘前ときまる

 *報告「自動血圧計検討委員会報告」(佐々木)

 5.31. 開学記念日 創立30周年記念式典 ホストは学長、学部長の会 あとはゴルフなどに

 6.2. 公衆衛生研究会主催 ”中国管見”臼谷三郎教授 第2講義室 「個人の大切だが社会も大切だ」「スライド200枚の新中国の旅」

 6.6. 30周年記念講演会 「新世紀を迎えるにあたっての問題点」茅誠司先生

 藤崎のあやめまつりに一走り 「いずれあやめかかきつばた」

 6.7. 日循協総会(昭和55)の件打合会(教室図書室)

 6.8. 小泊方面調査教室旅行(佐々木・竹森・仁平・三上・柴垣・小野・竹島・武田・福士)

 *先導は勝手知ったる仁平先生のスバル つづくアコ−ド(佐々木)ファミ−リア(福士)

 *岩木川の土手を一路北上

 *三本のストライブ入りスポ−ツウエア(2000円)、マ−ク入り運動靴に身をかため、”変わった変わった”とニコンでとりまくる(武田)

 *明後日の”大運動会”に じんとりする父兄たち

 *新装スナックに自家用車でかよう女達

 *こんなところにパリからぬけだしてきたような店あり

 *「今日はあまりおいしい魚はありませんでした」と出されたごちそう、ソイ、サシミ、イカ、エビ、アワビ、サザエとふき

 *女性につり竿をわたしたら(竹森から柴垣)すぐかかった、魚はきっと男だろう

 *つった魚は”大きかった”がはなしてやりました(ふぐだったかしら)

 *”ケネデイ””オ−ノ−”が話題になる

 *かしきりのような宿(新生館)に夜は静か

 6.9. 朝 雨のあい間をぬってもう一度岸壁へつりに

 *いけすのように魚がいたのだが・・・

 *”タケさん”のいる越野金物店はこことシャッタ−をおす

 *権現崎、三角山へはのぼれず 青岩まで行く

 *もうこの木の橋も渡りおさめか(十三の)

 *高山稲荷にきたのははじめて(柴垣)

 *新しくできた”農道”を走り鰺ケ沢へ

 *ビニ−ルハウスのならぶすいかの畑を横に見て

 *岩木山のふもとぜんまい太く

 *弘前着4pm 合計321kmの旅

 6.11. がん保健医療実態調査の集計表県へ持参 勉強会を開くことにする

 6.18.「高血圧カンファランス」開催について話し合い(小野寺・舟生・松山・佐々木ら) 

 6.19. 第15回日本循環器研究会(会長泉教授) 十和田グランドホテル 特別講演「infant blood pressure and heart rate」J.Schachter(Dept. of Epidemiology, Univ. of Pittsburgh 「InfantのB.P.の測定とsodium intakeとの問題をとりあつかっていた」「終わりに”ドウモアリガトウ”」「感謝状、”メダル”(弘大医30周年) 日本製カメラ渡され”Oh my goodness”」「モ−タ−ボ−トをつらねプリンスでの昼食へ」 

 6.21. 稲垣村3歳児検診、血圧測定(仁平・三上・佐々木)(小野、竹島さん初参加)

 *さくら(馬肉)の名物のごちそうに手を出す人出さぬ人

 *母さんに”なかないで”と肩に手をやる3歳児

 6.22. 学4へのオリエンテ−ション

 *30年後を予測することは困難だ

 *流れず自分の好きなことをしてもよいのではないか

 6.23. *ごま油とオリ−ブ油とくも膜下出血と(岩淵教授来室)

 6.25. 県のがん保健医療実態調査についての勉強会 青森市高看にて(秋山課長・成田さん・木村さんらと)

 稲垣村3歳児検診・血圧測定(仁平・竹森・三上)

 6.26. 大学予算の評議員会

 6.27 秋田衛研菊池氏来室(”食塩と栄養”の本)の草稿打ち合わせ

 6.28. 八戸保健所村田明子さん来室

 衛生公衛合同抄讀会 仁平將「Irwin:Ridit analysis, Biometrics14,18,1958.」 佐藤新一「胆石症の現状」

 6.29. シャ−プパ−ソナルコンピュ−タ−(PC-7200)デモ 購入することにする

 ”食塩と栄養”(第一出版から出版予定)の原稿送る

 

No.49

1979.7.2. 学1期末衛生学試験(全員出席)

 7.3. 厚生省班会議(熊谷先生)欠席

 7.5. 青森高看公衆看護学部講義血圧実習のため来学 屋上で記念写真をとる

 7.6. カネショウ櫛引順三(取締副社長)氏来室 ”低塩しょうゆ”について

    弘前市胃腸病同好会(市立病院会議室) 特別講演「癌の疫学 付青森県がんの保健医療実態調査について」(佐々木)

 7.7. 青森県雪問題検討委員会 弘大農学部長室

 7.8.(日)雷にこわごわ山をあるく人(ゴルフ)

 7.9. 雪問題研究についての医学部打ち合わせ会(水野・臼谷・佐々木)

 7.10. 弘前医学(投稿者のために)検討委員会

 7..11. 石河利寛先生(順天堂大学体育学部教授)を青森空港へ出迎え 「上空に爆音が聞こえたが降りられず秋田空港へ」「空港は青森か鶴田かで話はずみ(福士市長らと空港所長室で)」「恐山のかわりに奥羽本線からの窓景色(予定の下北行きは中止となる)」

 夜県主催歓迎会 「江戸からつづく開業医の子に生まれ、一人は病理(兄)一人は生理(石河先生)」「特攻の赤トンボに乗る人(高橋次長 予備学生14期)」「それが飛び立つ飛行場をつくる人(秋山課長 学徒動員)」「特攻潜水艦の合板をつくった人(臼谷教授 学徒動員)」「蘇州で看護婦として従軍していた人(花田衛生看護指導監)」「海軍軍医だった人(佐々木)」

 7.12. 第28回東北公衆衛生学会(佐々木直亮会長) 青森市文化センタ− 「木村スサさんの司会の言葉ではじまる」 特別講演「健康づくりとスポ−ツ」石河教授 臼谷教授の「腹のでた人の言葉は信用出来ない」とのべられたことの紹介の言葉ではじまる 「予定通り進行 予定通り終了する」

  「6時から青森駅前グランドホテル11階”サファイヤ”でみちのく会」「会費7000円なれど人数ふえ うれしい悲鳴をあげる ごちそうをたべそこねた人出る」 「テ−ブルスピ−チに指名権を与えられ次々と」「ここのじゅうたんをふんだのははじめて」「スリパとジ−パンではどうもおちつかない」

 7.13. 産衛東北地方集談会 秋田大加美山教授の世話で秋田県小坂町同和鉱業小坂鉱業所鉱山クラブで開催 25題 発表「青森県がん保健医療実施調査にみる女子肺癌死亡例の喫煙と職業条件」佐々木 評議員会で明年度全国学会の運営の中心として鈴木継美教授に変わって池田正之教授になること了解された 事務局長川上吉昭教授がなる 学会終了後バスを連ねて大湯保養所「あらせ荘」での懇親会場へ「バス、カレ−ライスの昼食2回、懇親会費、宿泊費含み会費5000円

 7.14. 小坂鉱業所の精錬部門と花岡鉱業所深沢鉱山の坑内見学(20名)とわかれて午前中見学 「入抗時着物はロッカ−でなく上のカゴにつり上げて(ドイツのまねとか)」「暗いコンクリ−トのトンネルをくぐりぬけ冬の寒さを防ぐこともあるが入抗前の心の準備を」「それでも”人間の条件”のロケはもうやられない位の緑の草木はえ 公害対策になん億もつかったとか」「女も入った山の中(花岡では入れなかったとか)」「山の中は”あつかった”」「鉱夫の駐車場を必要とする世の中になりました」「銅はおち鉛はあがる世の中にバリウム、貴金属で生き抜いている」「久しぶりに眼にしみました(ガスの影響と同時にいろいろ勉強した意味)」「元山抗あとのようにゴ−ストになるか、観光資源となるか、はた又何がでるか」「山師には山師の夢があり」「帰途仁平將先生の車で帰る もし谷に落ちたら衛生学教室全滅だと」「はやく教室につきすぎて さてどうする」

 7.16. 国土庁からの委託研究「豪雪地帯における町づくりのための総合研究」の保健医療部門(佐々木・臼谷・水野、尾山)の研究概要書県へ送る

 7.17 森田村3歳児検診(仁平・三上・竹森・小野・竹島)

 7.23. 第1回高血圧カンファランス(世話人小野寺教授)病院大会議室 特別講演「高血圧研究の展望、若い研究者のために」(佐々木直亮)

 *3時半からはじまって9時前まで熱心な会であった

 *慢性食塩中毒が何故人によって違うのであろうか

 *歴史をのべ あと10年後20年後に ここから何か出てほしいと

 つゆ様の雨つづく

 7.24. 日曜に海で遊んできて虫にさされた被害が今日になってあらわれ 皮膚科医院に受診をし 新しいデザインのような姿で教室にあらわれる(竹島さん)

 7.26. 青森県成人病予防協会理事評議員会 役員任期満了 再選委任の件など

 7.29. 森田村3歳児検診(仁平・竹森・三上・小野・竹島)

 7.30. 名誉教授を囲む懇談会(本部 昼飯会キャッスルホテル 学長・部局長・評議員 話題「将来計画、共通一次テスト、国際交流、終身教育、環境美化」

  合同抄讀会 福士襄「高校生のCMI成績の年次的検討」 「10年も続けると何か出てくる」 高松泰仁「Nicotine abrorotion」 「ニコチン、コニチンこれ如何に」「”dew”(つゆ)に含まれるものは何」 津島先生の(ロンドン行き)(ナイチンゲ−ル像などの話)(教授の前に撮ったスライドを見直す)

 7.31. 尾上町金屋調査について保健婦奈良ミチヤ、高橋サツ、工藤映子さん来室 (部長・課長はどう考えているのか 将来は子どもに)

 8.1. *つゆあけ真夏になる

   *午前11時すぎ学内近くサイレンの音ひびく

 *廃液処理室でボヤがあったとか すすに黒くなった人が病院にはこばれたとか 

 *公衆衛生高松泰仁先生重体とわかり皆鎮痛な顔になる

 *鈴木治子さん、木村スサさん県がん保健医療実態調査の検討のため来室 1日パスキ-800を用いて資料を検討する

  *夜大学ねぷた出る

 8.2. *昨日の事故の記事まちまち

   *今日の午前中をとおりこせばと(臼谷教授) 教室からお見舞い持参

   *深浦の3歳児検診へ(仁平・竹森・三上・小野・竹島)

   *深浦の海で何がつれたか

   夜7時半−9時過ぎまで下田町夏期保健活動特別講演「塩と高血圧」(佐々木)

   *樺太と満州で苦労した人達熱心に

   終了後木村保健所長と中村久造先生と

   *”雀”にて ”ひめがま”をさし 口びきる

   *その話になればと ひざをのり出し 眼をかがやかし(薬草のうんちくをかたむける)(中村先生)

   *とまり 新装のパ−クホテル

 8.3. 快晴 *基地の朝ジエットの音に目をさまし

   *深浦3歳児検診2日目

   *午後仁平先生と教室に木造町からメロンとどく

 8.4. 「不慮の事故により 附属病院において加療中の本学部公衆衛生学講座高松泰仁氏8月3日午後10時47分死去されました とりあえずお知らせします」

 11時より臨時教授会 「弘前大学実験廃液処理施設で発生した事故について」(経過報告と人事;講師昇任・医学部葬きまる)

 8.6. つりたての”あゆ”くる

 8.7. なぬか雨 交通事故に気をつけて と北金ケ沢への検診に送り出す(仁平・竹森・三上・小野・竹島)

 夜7時より隣松寺で高松先生のお通夜

 *高松功先生の話「医学部葬をやっていただいて・・・・・先日墓をつくったが”わも入れるのが”と聞かれ、”次男だから入れない”といったのだが・・・・ドイツへ行ったとき”お前医者か””健康のためにやるだけではない たのしくやることが大切だ””息子もすきなことをやったんだろう””原著を夜おそくまで読んでいた””これからは私がかわって勉強しよう””病院の先生方に大変世話になった””おい”といって言葉をかわしたのが最後になった”

 *茂森の雨あがりの道しめやかに

 8.8. 午前11時から高松泰仁君の葬式(隣松寺)医学部葬

 *新帰元泰安良学済居士の霊安らかに

 *君が31日シアン濃度が2...ppmだったと晴れ晴れとした顔で報告してくれたことが忘れられない(臼谷教授)

 8.11. 田中良三部長退任挨拶 近藤健文青森県環境保健部長新任挨拶のため来室

 8.13-16. 夏休みする人多し 甲子園野球など

 *沖縄に台風が発生した関係かこちらは快晴夏の日つづく

 8.17. 都市型3歳児検診 弘前保健所へ(仁平・三上・竹森・小野・竹島)あつい日だった

 8.18. 昭和54年度青森県栄養士研修会 青森八甲荘 「衛生統計学の実際」佐々木直亮 9-12am 

 2時から大池先生弘前大学医学部内科学第2講座主任教授退任記念式典と祝賀会 秀峰会退任記念行事実行委員会 ニュ−キャッスル 「退官でなく退任(司会)」「以上まとめて−−大変地道にあゆんでこられた、先の見通しがするどかった、おだやかな人柄、きびしい先生で妥協はゆるされなかった 患者の場にたって医師と患者の信頼関係を大切にされた 誠心誠意つくすとおのずと新しい道が生まれる・・(小野寺)」「この城下町にお住まいをいただいて 責任を完了を(福士市長)」「昭和36年頃か 施設をつくりたい・・それ以来・・すじを通された方だ 多数の要職につかれ非常に苦労があったと想像する 壮大なロマンとかぎりない愛 よき学長をもったことを感謝している(東野医学部長)」「30数年前丸井先生にいわれ大池さんを教授になることを強要した・・・これからやる仕事がまっているので大池さんの業績をのべるのはまだ10年早い 研究とはとことんやること 完成はない それを土台によその人がやるということだ(海老名東北大名誉教授)」「おくれて  勤続27年 (国会議員は25年で表彰され 額がかかげられ 勲一等が約束される)大池さん(きやすく)はそのようなむくいを求める方ではないだろう 私は学長の東京在住秘書官で(竹内黎一代議士)」 大池先生ご挨拶「今日はしかつめらしいご挨拶をするつもりでまいりましたが 皆様のお話を聞いていると ほめていただいてどうしたらよいのか 精神衛生上よろしくない ”われわれの内科”という言葉(責任をとらないかといわれたことがあったが)を用いてきた 時はすぎ こんなに長い間すまわせていただいて(弘前に)(生まれそだったのは長野県だが)  残った日々を安らかにすごしたい」「弘前にきてはじめて大池先生にお会いしたのは医局野球で第一の対抗相手が2内で10対6で負けた それより前仙台の寮で コンパで 松本寮歌をうたわれ はじまからおわりまでお酒でした(帷子病院長)」

 8.20. 昭和54年第1回青森県雪問題検討委員会 弘前市ホテルニュ−キャッスル

   *公衆衛生から拍手きこえる準決勝(池田が浪商に勝つ)

 8.21. ”長男ですが雄二君”母(三浦清子さん、旧姓小山内さん)の手のにいだかれて来室

 狼森衛生班委員来室 9.7.日の打ち合わせ

 8.22. 台風沖縄にあり 残暑つづく

   *十三の砂山(仁平先生、山田先生行き)のテ−プ聞く

 8.23-24. 車力3歳児検診行き(仁平・三上・竹森・小野・竹島)

 *部品きて生き返った血圧計(佐々木教授があとからとどける)

 8.24. 相馬村健康づくり講演会 総合開発センタ− 「成人病の正しい知識とその予防」(佐々木)

 8.27. 常磐村「健康を守る会」の件について永山隆造先生来室

 8.28. 碇ヶ関黎明郷へ(田名部理事長)(来年の日循協総会助成の件)

 8.29. 第16回出血性疾患研究会 弘前プラザホテル 発表「青森県がん保健医療実態調査からみた2,3の問題」佐々木直亮

 8.30. 弘前市環境保健課長上野昭三氏へ(来年の日循協総会助成の件)

   午後柏村公民館へ3歳児検診(仁平・竹森・三上・小野・竹森)

 8.31. Prof.Dr.H.Kesteloot(ベルギ−)(塩の問題に興味をもっている先生) 韓国での調査の帰途九州から空路青森着

 *青森の飛行場をさがし 手配するのに2週間かかった

 *秘書からAomori(Misawa)と聞いていたが、九州の福本先生が 大分−大阪−青森の切符を手配しておいた

 *十和田プリンスホテルで夕食 とまり弘前ニュ−キャッスル

 9.1. 朝9時から教室で佐々木教授とdiscussion

 *大分議論がすすんでいるようだ(となりの部屋の皆の声から)

 *学内(小野寺・水野教授)三上先生(血圧計)竹森先生(毛髪のNa分析)を紹介する

 *昼岩木山ろくグリル要で昼食 定食の「みそ汁」をはじめて味みをする

 夕食では「さしみ」をはじめて口に入れる(ベルギ−人は生の魚を食べない)

 9.2.朝 Prof. Kesteloot 空路青森から東京へ

 *弘前の田中やで買い物(津軽塗り)をして日本円がなくなったから・・

 9.3.「臨床栄養学会」設立発起人依頼状くる

 9.4. *休みになると まちかねたように TVゲ−ムをやる人あり

 9.5. 県木村スサ、成田玉栄さん、14日の研修会の”ネオシンポ”打ち合わせのため来室

 9.6. 柏へ3歳児検診行き(仁平・竹森・三上・小野・竹島)

 9.7. 学1講義はじまる

 午後狼森血圧調査(佐々木・竹森・仁平・三上・小野・竹島)

 *新しい公民館ではじめて

 9.8. 第一出版で高松喜也、鈴木銀治郎氏と「食塩と栄養」の出版について打ち合わせ

  日本心臓財団で来年の公開講演会についての打ち合わせ

  午後新宿日本公衆衛生学会会議室で第38回公衆衛生学会のシンポの打ち合わせ(佐々木・小沢秀樹・田中平三・橋本勉・大月邦夫・高橋一雄・竹田明子・県から遠藤和男)

 *ニュ−ト−キョウでビ−ルのプレシンポジウムを行う

 9.12. 高松功先生から医学部へ100万円寄付申出あり(教授会)

 故唐牛氏遺族より2億5千万円の寄付申出あり(教授会)

 終了後新任教授(鯉江教授)歓迎パ−テイ(クラブゆうじん)

 *京都ホテルで待ち合わせの目印の帽子をもっていかなかったばかりに隣にすわっていた鯉江先生がわからず失礼しました(東野医学部長)

 *国際交流など話題あり

 *又こんな会をひらいたらと佐々木幹事に話多し

 9.14. 昭和54年度青森県地区衛生組織指導者研修会 青森市農業会館ホ−ル 「全国大会から仕入れたという”ネオシンポ”行われる」「”あたり防止の健康クイズ”」講師佐々木教授 好評

 9.15. 厚生省循環器疾患研究班会議 東京都エイザイ本社3階ホ−ル 「血圧測定の手技に関する世話人になる(佐々木)」 終了後日循協幹事会(明年度総会のことなど)佐々木・蓮沼出席

 9.18. 青森県議会環境厚生常任委員会との懇談会(花田・中谷・斉藤・菊池・建部委員他近藤部長も)来学 「お礼をかねてご挨拶」「先生方のお話をうけたまわって県政に反映したい(花田)」「量より質の面を(品川)」「専門家をよく利用してほしい(佐々木)」

 9.19. 水曜会 もちまわり助手の件

 9.20. 佐々木教授慶大医学部解剖慰霊祭(芝増上寺)出席のため休暇東京行き

 9.26. アップルロ−ド完成

 9.27. 東北高速道(大鰐−青森間)開通

 9.28. 3歳児検診反省会 「予約がないと食べられれない仁平すし」「魚つりの話がでないのはおかしい」

No.50 

1979.10.4. 京大佐野教授より「科研費の第一次審査員に選ばれた(佐々木教授)」と電話あり

 *青森空港へ富永先生出迎え

 *酒、たばこのまず、コ−ヒ−に夜はふけ

 10.5 1,2年衛生公衛合同特別講義「長期的にみた薬剤の効果と安全性の評価について」愛知県がんセンタ−疫学部長富永祐民先生

 *アメリカでのV.A.,V.G.D.P.および自分が関連していたC.D.Pの実例を中心に、短期的、中間的効果だけでなく、長期的有用性を考えた効果判定の指標と、すぐれたデザインの臨床薬理試験の必要のあることをとく

 午後岩木療養所へ血圧調査(仁平・三上・小野・竹島)

 *車椅子の患者の血圧を計る

 10.8. 秋の長雨

 岩木療養所へ血圧調査(竹森・仁平・三上・小野・竹島)

 10.15. 疫学研究会特別例会 国立公衆衛生院

 Prof.E.H.Kass(ハ−バ−ド大)「高血圧の疫学と治療」終了後八芳園日本座敷で”すきやき”会費7000円 *白人と黒人と違うのは 遺伝因子より環境と思う(Kass)

 10.16. 第38回日本公衆衛生学会総会 新潟市 評議員会 教育協議会

 10.17. 衛生学会臨時幹事会(明年度の総会について)

 10.18. 発表「癌死亡者の実態−青森県健康調査結果について」0鈴木治子、秋山有、木村スサ、佐々木直亮 「客観的表示記録法による3歳児の血圧」0仁平將・三上・竹森・佐々木 

 「あまり意味のない表がある(重松)いずれ報告書を出す予定(佐々木)」「”スモ−ル”に質問あり とまどう」「昼”南江堂衛生公衆衛生学”編集委員会(イタリヤ軒)」「夜高血圧自由集会(新潟県における脳卒中対策を組織的に進めるためには)」「もうお酒とやきとりは沢山だ(食べ放題1500円)」

 10.19. シンポジウム「脳卒中・高血圧へのとりくみ−疫学の成果と実践」司会佐々木教授 司会と発表「わが国における脳卒中・高血圧の動向について」をする 「3時間やって座っているだけでも疲れたでしょう」「1題多かったかな」「朝早くから出席者が随分一杯で驚いた」「成人病予防に母子保健から注文つき」「学会のあと台風(20号)で波あらく 佐渡へはゆけず(竹森)」「結婚20年記念の佐渡へ渡れず(福士先生ご夫妻)」「新衛会組(佐々木・仁平)はバスで弥彦温泉ホテル”みやの”へ(会費12000円)」「新衛会の規定をつくったらどうか」「青森県の民謡のために”弥三郎節”を全部おぼえよう」

 10.20. 台風一過秋晴れの日 弥彦神社−弥彦スカイライン−越後七浦シ−サイドライン−五合庵・国上寺−寺泊(昼飯)−新潟駅午後2時着 「弥彦・良寛を知る秋の旅」

 10.21. 昭和54年度予防事業推進寄生虫予防北海道東北地区会議並びに青森県保健衛生大会(工藤尚義会長) 大鰐町おおわに山荘 特別講演「脳卒中・高血圧へのとりくみ方 疫学の成果と実践について」佐々木直亮 「最近のニュ−スをお伝えできると思って題をつけた」「大学教授は国の健康づくり運動をどう思っているかと質問あり」 近藤部長、秋山課長で席 中央予防全国国井理事長台風のため空便欠航し欠席

 10.23. 東京地方濃霧のため三沢よりの便1時間おくれ ために鯉江教授・中村久造先生と話し合いの時間あり

 主婦の友社嘱託伏屋毅雄・鈴木アサ氏により(私の健康法)取材をうける(主婦の友社で) 

 午後4時半女子栄養大学で日本民族衛生学会理事会 「校内にレストラン松柏軒あり懇親会」

 10.26-27. 第44回日本民族衛生学会総会(秋山房雄会長) 東京 健保会館 特別講演「現代日本の栄養学の発芽」島薗順雄教授と「国分寺めぐり」秋山会長 

「沖縄地方会の方が本学会より盛んだ 航路5万円かかる 沖縄には癌が少ない等々 明年度は長崎で中村正教授で」

 10.28. 十和田湖の紅葉を空からはじめてみる

 10.31. 鵜飼先生消防庁定年退職 

 11.1. 大学祭 第10回医学祭 第2回医短祭はじまる

 11.4. パネルデイスカッシヨン「80年代医療の話題をさぐ る」司会仁平將 基礎第1講義室

 11.5. R.Guillemin教授(アメリカ・ソ−ク研究所)(ノ−ベル医学生理学賞受賞者) 特別講演「エンドルフィンについて」 「いそがしい男が何で弘前にきたのかをのべる」「基礎医学を大切に」

 11.9. 三沢保健所長木村茂先生、栄養士さんと来室 (地域における減塩運動調査についての話し合い)

 *公衆衛生活動の評価を尿Na(濾紙法)のうらずけでやれたらと

 11.11. 第90回弘前医学会例会 発表「尿試料の収集・運搬法としての濾紙法 特にNa.K,クレアチニン測定について」竹森

 西宮市では日本学校保健学会が開催された

 11.14. 弘前冬本番初雪 17cm 奥羽線などみだれる

 11.15. 全国米配協、北海道栄養士会主催 「米食民族の国民栄養学講座」栄養改善特別講演会 札幌市日本生命ビル8階 「食塩と高血圧」佐々木直亮 「食生活と消化器病」並木正義(旭川大内科) 「400名以上集まって盛会」 「アイヌの食生活(塩の少ない) 胃の形が和人と違うこと 胃病のすくないことなど話題になる」「夜は北大高桑教授とススキノの夜はふけて」

 11.16. 千歳市へより38年前学生時代に「学生義勇軍」で勤労奉仕をして「運河」を掘った場所へ行く 大学橋・大学排水の名前が残っていることに感激する 当時の貴重な資料・写真をおいてくる おみやげに”インデイヤン水車小屋”のオルゴ−ルをもらう(佐々木)

 11.17. 産衛理事会(仙台にて明年度の学会について) 臼谷教授出席(佐々木欠)

 11.19. 明年閉校になる養教の特別講義に来弘された鈴木逸太先生(98歳)を迎えて会食 翠明荘(小野定男、小野淳信、板垣正太郎、佐々木直亮、福島龍彦、武田壌寿、福士襄、高松むつ)

 *何銭何厘の時代の話

 *”先生おどろいてはいけません”と裾をまくった彼女をみたところどの穴に(クスコを)入れたらよいかわからなかったことがあった(浅虫で)

 *校医になって”学校衛生”とは何かと参考書を買ってみた

 *学校に入る前の検査を全国に先がけてやった

 *謡曲(宝生)をどどいつにして創作し

 *もう先生(小野淳信先生)のいない間に(小便に立って)やってしまいましたと一寸からかう気の若さ

 夜は中年組鍛冶町へ 

 *竹森先生におそわりました 看護学校には先生の伝説があります(としこ)

 *”娘を迎えによこそう””まあそういわずに撫牛子まで”とハイヤ−で送る

 11.20. 朝日新聞記者(本社科学部)岡明人氏取材(食塩問題)のため来室

 11.25. 尾上町康づくり研究会 尾上町中央公民館 記念講演「成人病予防の最近の話題から」(佐々木) 葛西町長以下成田黒石保健所課長も出席して熱心な会であった ”健康で文化的な町づくり”丁度文化祭もひらかれていた

 *小野チエさんお孫さん男の子誕生とか

 11.26. 青森県医師会には書面で 県環境保健部長に明年度の日循協総会および公開講演会の件で面談する

 11.30.仁平將先生講義 アンケ−トでは評判よし

  佐々木教授三沢から上京 (弘前から三沢まで色々な人にあい 話し合う機会あり:行きは佐藤清美教授、帰りは品川信良教授、行き帰り下山淑子栄養士)

 12.1. 血圧測定の手技に関する研究会 東大好仁会302号会議室 2-6時半まで熱心に討議し 日循協血圧測定(1979年改正版)をつくる (佐々木・蓮沼出席)

 厚生省神経疾患研究 「筋ジストロフィ−症の療護に関する臨床社会学研究昭和54年度研究報告会 松江市ホテル 宍道湖 発表「体力に関する研究 血圧測定法」 三上(木村・佐々木・仁平)

 12.5. ボ−ナス支給

 12.10. 雪ふる 第2回高血圧カンファレンス ホテルニュ−キャッスル 特別講演「最近の高血圧治療の動向」横浜市大金子教授 「アカデミックはさておいて 一般向けに講演する」「パ−テイそうそう割烹中三で夕食(関係者)」「弘前のレベルが高いので(一般講演の)おどろいた(金子)」

 12.12. 教授会のあと水曜会忘年会(みきや) 助講会忘年会(ろへん)

 12.13. 学1学期末試験 (敏感度、特異度など)

   日循協総会御案内原稿送る

   教室忘年会 稲穂(佐々木・武田・福士・竹森・仁平・三上・成田尹・柴垣・小野・竹島)

 *忘年会の幹事をはじめてやりまして お知らせする先がもっとあったことがみんなきめてしまってからわかったような次第で・・・お酒は十分ありますので・・(仁平將)

 *最後に到着の成田尹さん座る場所がよく以後独演会となる

 *弘前市内に”かがみのある部屋”がありますか?(某先生)

 *今日にそなえて昨夜の忘年会は早く帰りました(実ははぐれた)(竹森)

 *あれからDISCOに行きました(三上) 

 *鰺ケ沢の”名物男”かみの毛と共にひとしきり話題となる

 *ニュ−ス「昨日午後3時から7時まで開かれた教授会で養教は全員教育へ移ることにきまった 武田先生は萬票であった」(今までにこんなことはなかったそうだ)

 *あまり連日なので一寸お先に失礼(佐々木)

 *あとはどうなったか筆者しらず

 12.14. *朝:昨日無事かえりましたか? 小野・竹島さんそろって”ハ−イ”

 学3衛生学試験

 12.17. Prof. Alvin M.Mauer(テネシイ−大学教授) Special lecture(医学部講堂) 終了後レセプション フルコ−ス(ウエッデイングプラザ)

 弘前市医師会忘年会 第一ホテル豪華楼 小野淳信先生の本”鷺草”発刊される

 12.26. 教授会 次期学部長候補者として東野教授当選 「責任重大である ご協力を 一生懸命やる」

 12.28. ご用おさめ 教授以下教室員全員で大掃除 2時間でおわる

  その後かふく亭で昼飯 キングでコ−ヒ−やパフエなどをのんで解散

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